第七章

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第七章

 翌朝、高校は大騒ぎになっていた。昨日の放課後、見回りの教師が首を吊った男子生徒遺体を発見したためだ。  まだ警察の発表はないが、これで自殺と判断されたら、東陵高校は、短期間の間に五人もの自殺者を出したことになる。これは未曾有の出来事であり、下手をすれば、学校の運営にも支障が出るという。教師の話によれば、近々休校になる可能性が高いとのことだ。学校側は相次ぐ自殺を、連鎖自殺と認識しているので、これ以上生徒達に『ウェルテル効果』による自殺の引き金を引かせないようにするための配慮らしかった。  ただ、今回の南条星児の自殺は、不審な点があるらしく、まだ捜査は続いている。司法解剖も行われるようだ。  それを聞いても、俊孝に動揺はなかった。なぜかはわからないが、捕まらない自信が強く心の奥に兆しているのだ。その根源の出所は不明である。もしかすると、人の命を奪い続けたために、人として必要な危機意識が崩壊しているだけなのかもしれない。あるいは、純佳の敵を討てたことによる達成感がマスキングとなり、危険を嗅ぎ分けられなくなったのか。いずれにしろ、犯人は死んだため、これから先は、得体の知れないちょっかいを受けずに済むという安堵はあった。脅威の一つは消えたのだ。  俊孝は、自分でも驚くほど、安穏とした日常へと戻ることができていた。  『それでよー。重村の奴に腹が立ったわけさ』    『Sky Face』内でのチャットで、聡史の愚痴が吐き出される。  二人は今、デメテル内にあるホーム前の広場にいた。先ほど大規模討伐イベントが終了し、一息ついたところである。  そこで二人は、軽い雑談を行っていた。  俊孝は、返信する。  『それは確かにムカつくな。だけど、お前、しょっちゅう嫌な奴と関わりができるよな』  『仕方ないだろー。それだけムカつく連中が多いのよ。この世の中には。世知辛いぜ』  画面の中に映っている筋骨粒々のファイターが、頭を抱える動作をする。リアクションコマンドを押したのだろう。  俊孝は、苦笑いをしながら、同じようにリアクションコマンドを開き、『なぐさめる』コマンドを選択した。  俊孝の細身のウィザードが、野獣のような姿をしたファイターの肩を軽く叩く。どうにもシュールな光景だが、この時こそは、命を持たないCGのキャラに、生命が宿ったかのような不思議な錯覚を覚えてしまう。  再び聡史から、チャットが届く。  『それで、重村に自殺してもらうと考えているんだけど、どうだ?』  唐突に出た物騒な言葉に、画面内の空気がグラフィックであるにもかかわらず、数度下がったような気がした。大勢のプレイヤーが操作するキャラクターが目の前で行き来しているのだが、二人の場所だけ、ぽっかりと別次元へ移ったかのようだった。  俊孝は、少し考えた後、キーボードを打つ。  『今すぐはさすがにまずいから、また今度にしよう』    『それはもうやらないという意味か? 邪魔者は消えたのに』    『そういう意味で言ったわけじゃない。ただ、時期が悪いだけだ。短い間に人が死にすぎている。邪魔者は消えたけど、さすがにこのタイミングでは、リスクが高いんだ』    そして、俊孝は、続けてチャットを送る。    『だけど、『計画』は現時点で考えておいていいかもな。また今度会って話そう。俺もまだ『ゲーム』はやり足りないしな』  『そうこなくちゃ!』  聡史のファイターは、『喜び』を表すバンザイの動作を行った。ゲーム内で、よく使われるリアクションコマンドだ。  それに合わせて、俊孝も同じ動作を取る。  大男とノッポのキャラが無表情でバンザイを繰り返すのは、とても滑稽だった。俊孝は、パソコン画面の前で、思わず笑う。多分、聡史も笑っているはずだ。  それから、少しだけ雑談のチャットを交わす。その後、聡史が急にしんみりとした様子でチャットを送ってきた。  『俺よー、最近思うんだけど、こうやってお前と出会えて良かったと思ってるんだ』  予想だにしない内容の言葉に、俊孝は、思わず飲んでいたコーヒーを吹き出すところだった。  『どうした? 突然。気持ち悪いぞ』  『悪いな。でも本音だぜ。お前と過ごしてきたここ一年、マジに楽しかったぜ。特に、『ゲーム』を始めた時からはな』  まるで告白でもするかのような聡史の雰囲気に、気を呑まれながら返信する。  『ああ、それは俺も同じだ。楽しかったよそれに、犯人探し、手伝ってくれてありがとう』  画面の中の大男は、はしゃいだようにジャンプする。  『いいってことよ。俺達、仲間だしな』  俊孝は苦笑し、チャットを送る。  『そうだな』  それから少しの間、他愛のない会話を行った後、同時にログアウトする。  それが、聡史と交わした最後のチャットだった。  翌朝、俊孝が教室へやってくると、まだ聡史は登校してきていなかった。  始業のチャイムが鳴ってからも、同じだった。聡史の席は空白のままである。今日は休みなのだろうか。昨夜は、あんなに元気そうだったのに。  普段、始業のチャイムが鳴ると同時に、教室へ入ってくる二年四組の担当教諭も今日は遅かった。何だか、妙な胸騒ぎを覚えてしまう。  始業から五分ほど遅れて、担当教諭が教室へやってきた。教諭の表情は、影が差したように固くなっている。それは、俊孝へ、不吉な予兆を孕んでいることを伝えるのに、充分な効力を持っていた。  クラス委員長の坂本の号令で挨拶が行われ、ホームルームが始まった。  開口一番、担当教諭は、皆を見回しながら、伝える。俊孝の胸騒ぎは、的中していた。この上もないほどに。  「皆さんに悲しいお知らせがあります。今日の未明、川戸聡史君の家が火事になり、聡史君が遺体で発見されました」  その言葉に、教室内は騒然となった。中には泣き出す女子生徒もいた。  俊孝も愕然となる。教師の言葉が、呪詛のように頭を駆け巡った。  聡史が火事で死んだ?  信じられない。つい昨日まで、一緒にゲームをしていたじゃないか。  混迷を兆し始めた生徒達に、担当教諭は、皆で黙祷を捧げる旨を伝えた。  教諭の号令で、一分間の黙祷が始まる。俊孝は、未だ聡史が死んだという言葉が実感できず、目を開けたまま呆然としていた。  聡史の通夜は、その日の夜に行われた。場所は鷺沼にある葬儀場だった。  火事による死者は、聡史のみで、両親は無事だったらしい。両親が夜遅く帰った頃には、家は炎に包まれ、家で一人寝ていた聡史のみが、犠牲になったようだ。  遺体の損傷が激しく、棺桶の蓋は閉じられたままだった。俊孝は、聡史の死に顔さえ拝むことができないのだ。  祭壇の前で、俊孝は線香をあげた。前を見ると、祭壇に飾られた、爽やかな笑みを浮べた聡史の遺影と目が合った。アンセル・エルゴートに似た、やんちゃそうな顔。もう会えないのだ。  線香をあげ終えた俊孝は、会場から出る。そして、少し離れた椅子に腰掛け、頭に手を当てた。  これまで得た情報を整理してみようと思う。脳内は、玩具箱をひっくり返したように、ぐちゃぐちゃとしていたが、何とか必要なものを寄せ集め、思案する。  聡史の家から出火したのは、深夜の午後一時から二時までの間らしい。聡史と『Sky Face』でプレイをしていたのは、十二時近く。となると、ゲームを終えたほぼ直後に、聡史は業火に襲われたことになる。  おそらく最後に会話(チャットではあるが)をしたのは自分だ。俊孝は歯噛みをする。その時点で、どうにかできなかったのか。どうしようもないことはわかっていたが、嫌でも考えてしまう。人を喪った人間の習性だろう。  そして、次に、火事の原因を考える。出火元は、聡史の部屋らしい。煙草が原因で延焼したというのだ。  これには、俊孝は違和感を覚えた。聡史はタバコを吸っていたのだろうか。二人で会った時は、吸っている姿を見たことがなかった。聡史の部屋に行った時も、喫煙器具の類など置いていなかった気がする。もちろん、それで、聡史が非喫煙者だと断定はできない。俊孝が知らないだけで、喫煙していた可能性はあるのだ。  だが、どうしても引っ掛かる。煙草が出火元というのは、消防の公式発表なので、間違いではないようだが……。  それに、タイミング的にも、妙な気がした。俊孝達の周りで、立て続けに異常事態が起こり続けた矢先の出来事である。無関係だと断ずるには、いささか躊躇いがあった。  つまり、これは、連続自殺の……。  思考に沈んでいたせいで、俊孝は、自身を呼ぶ人の声に気がつかなかった。  何度も呼ばれていたのだろう。声の主はイラついたように、強い口調で俊孝に言葉を投げかけた。  「おい。聞いてんのか? 天海」  はっとして顔を上げると、俊孝の目の前に、二人の人間が立っていた。いずれも東陵高校の制服を着ている。  神山大吾と比澤正典だ。  声を掛けてきたのは、神山の方だ。白人ハーフのような端整な顔を歪めて、こちらを見下ろしている。  「なんで、お前が聡史の通夜にいるんだよ?」  「なんでって、クラスメイトだからだ」  神山は、なおも不愉快な表情を崩さず、見下ろしたまま言う。  「お前はあまり聡史とは親しくなかっただろ? 普通、そんな奴は明日の葬式に合同で出る。通夜に来るのは、親しい奴のはずだ」  神山は、自身の背後をあごでしゃくった。目を向けると、聡史と親しかったクラスメイトの女子が数人、遠巻きにこちらの様子を伺っていた。どうやら、この二人は、女子と共に葬儀場へきたらしい。  俊孝は、再び神山へ視線を戻し、呟くように言う。  「いつ来ようが、俺の勝手だろ」  何なんだろうこいつは。なぜかわからないが、俊孝がこの場にいることが気に食わないらしい。思えば、こいつと会話を交わすのは、これが初めてな気がする。それがこんな内容なのは、少し不愉快だった。  自分は招かれざる客のようなので、立ち去ることにする。俊孝は、椅子から立ち上がった。  今度は、比澤が口を開いた。  「パソコン部の部長、首を吊って死んだらしいな」  咎めるような口調だ。俊孝は、比澤の方を見る。比澤は俊孝とさほど変わらない身長だが、こちらは精悍な顔付きなので、低身長でありながら、気迫があった。  「……そうだな。それがどうかしたのか?」  俊孝が、そう答えると、神山と比澤は同時に笑みを浮べた。侮蔑が入り混じった、明らかな嘲笑だ。  「随分と淡白だな。同じパソコン部の先輩だろ? 悲しくないのか」  さっきから、パソコン部パソコン部と繰り返しているが、情報処理部だ。と、口をついて出そうになるが、堪える。それより、こいつらは、何か言いたいことがあるらしい。  「悲しいさ。それをなんでお前らが質問するんだ?」  神山達は、答えることなく、にやけた顔で互いに顔を見合わせる。そして、何かしらアイコンタクトを取った。そこには、こちらを揶揄したような意思が見受けられた。こいつらは、俺を挑発している。ざわりと、不快感が腹の底から湧き上がった。  こいつらの目的はわからないが、これ以上付き合っていても、不愉快になるだけだろう。俊孝は、二人の横を通り抜け、歩き出す。  背中に、神山の言葉が突き刺さった。  「パソコン部の部長、実は自殺じゃないんだろ?」  微かに心臓が高鳴る。俊孝は、振り向いて、神山の顔を見た。神山は、揶揄するような表情を浮べたままだ。  「噂になっているぞ。お前が自殺に見せかけて、殺したんじゃないかってな」  比澤も口添えする。比澤の方は真剣な顔付きだった。  俊孝は、何も答えず、再び背を向ける。一刻も早くここを離れたくなった。俊孝は、足早に、その場から遠ざかる。それ以上、二人は、何も言ってこなかった。  二人の視界から俊孝が逸れるまで、ずっと背中に視線を感じていた。  家に着き、遅めの夕食を済ませた俊孝は、部屋に入る。  机に座り、ぼんやりと天井を見上げた。  神山達の言葉が、呪詛のように、耳の奥で木霊している。  俊孝が南条を自殺に見せかけて、殺した噂が流れている――。  どうしてこれほどまでに、ピンポイントで自分へ容疑の焦点を絞られたのだろうか。噂も何も、ドンピシャである。警察が他殺の線も含めて司法解剖を行ったとの情報はあったが、そこから推測してのことなのか。それにしては、あまりにも的確過ぎる。同じ部活の先輩と後輩。それくらいしか、南条と自分を結びつける接点はないはずなのに。  ともあれ、噂は噂だ。それが直接俊孝の容疑に結びつくはずがない。今の段階で過剰に気にする必要はないだろう。  とはいえ、気になる点は他にもあった。神山と比澤のあの態度である。あそこまで敵愾心を剥き出しにされているのは、少し心外であった。まるで積年の恨みでも抱えているかのようである。聡史が死んだために、負ったやり場のない心の傷が、刃物となり、他虐という形でこちらに向かったのだろうか。  考え事をしつつ、俊孝は、半ば無意識にパソコンを起動させ、『Sky Face』のアイコンをクリックしていた。毎日のように繰り返している動作なので、オートメーション化しているのだ。  ログイン画面から、いつものアバターを選択し、お馴染みの『デメテル』の街へと舞い降りる。  大勢のプレイヤーでごった返しているセントラルエリアを前に、俊孝は、しばし佇んだ。  ここはいつも目にしている『デメテル』の街並みである。巨大な噴水も、豊穣の女神像も、その周辺を往来するプレイヤー達の姿も、これまでと何ら変わらない。  だが、大きく違う点が一つだけあった。  俊孝は、フレンドリストを開く。そして、その一番上に表示されている名前を確認した。  SAT。聡史のプレイヤー名である。隣には、ログインの有無を示す項目があり、そこには『ログアウト』と、はっきりと明示されていた。  それはまるで、SATに対する死亡宣言であるかのようだった。もう永遠にこのキャラはこの世界へと戻ってこない。そう言われている気がした。ただのデジタルにしか過ぎない『ログアウト』のフォントが、さらに無機質なものに感じる。虚しさが顕在化したかのようだ。  俊孝は、少しの間、SATの、聡史の名前を見つめていた。  気がつくと、涙が頬を伝って流れていた。モニターが曇りガラスのように霞み、おぼろげになる。  代わりに、俊孝の目の前を走馬灯の如く、聡史と過ごした日々の光景が、流れていった。出会った時のことや、夜遅くまで『Sky Face』をプレイした日々。他者を自殺に追い詰める『ゲーム』に興じ、そして、それらが上手くいき、共に祝杯を挙げた時のこと。  それらはすでに過去の遺物となり、二度と取り戻すことは叶わない。聡史はもう帰ってこず、会うことは決してないのだ。  俊孝は、しばらくの間、モニターの前ですすり泣いた。『Sky Face』をプレイする気などまるで起きなかった。  少し時間が経ち、涙を拭った後、ログアウトしようとモニターに目を向ける。  俊孝は、眉根を寄せた。開いたままのフレンドリストに、変化があり、そして、それがあきらかにおかしいことに気がついたのだ。  SATの横に表示されてあった、『ログアウト』の文字が、『ログイン』状態へと変わっている。つまり、俊孝が泣いている間に、聡史がログインしてきたことを示していた。  聡史の亡霊がネットに宿り、ログインしてきた――そんな馬鹿げた妄想に取り付かれるほど、幼稚ではない。おそらく、誰か第三者が、聡史のアカウントを利用し、入ってきたのだ。  俊孝は、とっさに個人チャットを送ろうとした。だが、ふと思い止まる。そして、SATの現在位置をフレンドリストから検索した。  SATの居場所は、灼熱の平原。中級レベルで訪れるような場所である。上位レベルのSATには、特別な理由がない限り、用がないエリアのはずだ。なぜそんな場所にいるのだろう。いや、そもそも、聡史のアカウントを利用してまで、一体誰がログインしてきたのか。  俊孝は、その疑問を払拭するため、SATがいる場所までいってみることにした。トラベルマジックを使い、灼熱の平原へと飛んだ。  空は混沌とした闇に覆われ、大地は赤いマグマが血管のように広がっている。地獄を思わせるその禍々しい場所へ、俊孝は降り立った。  現在、灼熱の平原エリアには、他のプレイヤーは見当たらなかった。ここは、いるだけで地形ダメージを受け続ける嫌な場所だ。大抵のプレイヤーは、クエスト以外では、近付こうとはしない。そのため、閑古鳥が鳴いている場所でもあった。  そして、今は一人だけ、俊孝以外のプレイヤーの反応がある。目標のSATだった。  俊孝は、自身のキャラクターを操作し、SATへと近付いた。SATは、エリアの中央付近、マグマ溜りがある地点で佇んでいる。俊孝がこのエリアに訪れてから、一切の動きがなかった。  俊孝は、SATの姿がはっきりと見える位置まで迫った。間違いない。やはり聡史のキャラクターだ。野獣のような巨体に、以前、共に苦労して素材集めを行って作成した戦斧を背中に担いでいる。兄弟のように、毎日目にしていた仲間の姿。  俊孝は、SATのすぐ側まで寄っていった。SATは相変わらず、石像のように動かない。操作しているプレイヤーが、退席しているのだろうか。今も、マグマの地形効果によるダメージを受けているはずだが……。  その時、チャットウィンドウに、メッセージが届いた。青色の文字。個人に対するチャットだ。  差出人はSAT。目の前にいる人物からだ。  そこにはこう書かれてあった。  『人殺し』  その一文を目にし、俊孝は、しばし硬直する。うすら寒い思いがして、腕を擦った。こいつは、一体、何だ?  俊孝は、チャットを送る。  『お前は誰だ?』  しばらく反応はなかった。禍々しい空と、ポストアポカリプス然とした大地に包まれ、陰鬱な時間が流れる。  そして、再びチャットが届く。  『お前らがやってきたこと、全て知っているからな』  そう言い残し、SATは驚くべき行動に出た。そばにあるマグマ溜まりに飛び込んだのだ。地獄の釜へと落とされる罪人のように。  SATは業火に包まる。おそらく、HPが驚くべき速さで減っていっているに違いない。だが、火だるまになりながらも、SATは微動だにしなかった。それは、火途で焼かれる死者を思わせた。  俊孝は、戦慄する。これは、悪趣味極まりない。間違いなく、焼死した聡史のことを表しているのだ。どこの誰かはわからないが、悪意と不謹慎に満ちた当てつけである。  やがて、HPが尽きたらしく、SATはマグマの中へ倒れ伏し、消滅する。  俊孝のウィンドウに、他プレイヤーが死亡した際のメッセージが流れた。  『SATは死亡しました』  その虚しく映る文言を見つめながら、俊孝は、しばらくその場から動けないでいた。  翌日の朝、寝不足気味になった重い瞼を擦りながら、俊孝は、電車に揺られていた。  窓の外は、綺麗な青葉台の街並みが流れている。  それを眺めつつ、昨夜ゲーム内で起こった出来事のことを思い出していた。  SAT(正しくは聡史のアカウントを乗っ取っている誰か)は、こう言っていた。  『お前らがやってきたこと、全て知っているからな』  これは俊孝と聡史が行ってきた『ゲーム』のことを指しているのは、間違いないだろう。俊孝が疑われているらしい南条の件のみの話だと、そんな言い方にはならないはずだ。つまり、昨夜SATとしてログインしてきた人物は、全容を知っていることになる。  それ自体も驚愕するべき事実だが、一方で、悲惨な事実も示唆されてしまう。もしかすると『真犯人』である可能性があるのだ。  南条は犯人ではなく、別に犯人が存在する――。これが事実ならば、取り返しのつかない失態を、俊孝達は犯したことになる。  それだけではない。昨夜の人物が真犯人とするなら、震撼するべき答えが見えてくる。すなわち、聡史も火事に見せかけて殺されたということだ。SATが最後に焼身自殺してみせたのは、それを暗喩してのことかもしれない。それは宣戦布告を意味しているのではないだろうか。  田園都市線を走る電車は、市が尾駅に着いた。ドアが開くと同時に、大勢の人間が山羊の群れのように吐き出され、次に同じくらいの人数が乗ってくる。そして、寸分違わず時刻通りに発車した。機械のような正確さを求める日本ならではの芸当だ。  俊孝は、再び人がひしめき合っている車内を見回した。老若男女、大勢の人間が立っている。その中には、東陵高生の制服を着た生徒もいた。その人間が真犯人だというつもりはないが、今もどこからか、監視されているような気がする。  どうであれ、少なくともあと一人、敵がいるのだ。しかも、この上もなく、やっかいな相手だ。  一刻も早く真犯人を探し出し、対処しなければならない。敵は、こちらを警察に突き出すなどといった、微温的な措置を取るような真似はしないだろう。暗殺者のように、こちらを抹殺する考えなのだ。  もう聡史はおらず、孤軍奮闘の身だが、殺されるわけにはいかない。聡史と、そして、純佳の弔い合戦も含めた戦いだ。  電車は江田駅に着いた。俊孝は、真犯人に対する殺意を胸に秘め、立ち上がる。  だが、俊孝の決意とは別に、もう一つ、過酷な試練が、その先に待ち受けていた。  俊孝が二年四組の教室へ辿り着き、中へ入った時だった。それまで私語や雑談で騒がしかった教室内が、一瞬だけ静まり返った。俊孝が姿を見せるのを待っていたような雰囲気もある。  元々、大して注目されてこなかった俊孝だけに、怪訝に思うが、気にせず自分の席へ向かう。そして、すぐにその答えが判明した。  俊孝の机の上に、丸めたプリントやお菓子の空き袋などが置かれてあったのだ。それもかなりの数の。誰かが間違えて置いたのではなく、意図的に放置されているのは明白だった。  俊孝は、教室の中に目を走らせた。誰もこちらを見ていないが、意識が針のように集中していることが感じ取れる。  俊孝の耳に、含み笑いの声が届いた。前方の席にいる比澤と神山がその発生源だった。二人共、俯いて、肩を小さく上下させている。おそらく、実行犯は彼らだろう。目的はわからないが、子供じみた真似をと、俊孝は呆れる。仲の良かった聡史が死んだにも関わらず、嫌がらせを始めるのは、どういった心境だろうか。  俊孝は、二人に抗議することなく、机の上のゴミをゴミ箱へ捨て、席へ着いた。  やがてホームルームを経て、授業が始まった。だが、その後ずっと、こちらを意識するような雰囲気は続いていた。  幸いにも、それ以降は、絡まれたり、再度机にイタズラされたりするような目にはあわず、特にトラブルなく過ごせた。  そして、学校が終わると、俊孝は、クラスメイト達と共に、聡史の葬式へと参加した。場所は昨日通夜があった葬儀会館である。  葬儀が始まり、坊主が唱えるお経が会場に響き渡る。その中、俊孝は焼香を行い、学校関係者達の列に戻る。それから、周囲に注意を払った。  すすり泣きや、嗚咽の声が聞こえるが、確実に、この中に、聡史や純佳を殺した犯人がいるはずだ。  開演前の映画館のように薄暗い空間の中で、俊孝は悟られないよう、クラスメイトや学校関係者の様子を確認する。だが、皆一様に悲しみに暮れた表情を浮かべているのみで、何ら手掛かりといったものは掴めない。逆に、こちらを探るような視線をいくつも感じたのは、気のせいだろうか。  やがて、告別式が終わり、出棺が済むと、聡史は霊柩車に乗せられ、火葬場へと運ばれていった。俊孝は、そこまで着いていきたい気持ちがあったが、客観的には、さほど親しくはない間柄として認識されているはずなので、そこは思い止まった。  二年四組の生徒は、会場前で解散となった。皆思い思いの様子で、散っていく。女子の一部は、その場でたむろって、お喋りを始めていた。  その側を通る際、立花優衣と下条里奈の会話が耳に飛び込んできた。自分の名前が含まれていたので、カクテルパーティ効果として、脳が反応したのだ。  「……学校掲示板……天海……」  「噂……書き込み……」  聞こえたのはそれくらいだったが、ひどく気になる単語ばかりだった。  家に帰り、俊孝は、さっそくスマートフォンで学校BBSへアクセスしてみる。  東陵高校の掲示板へ行き、スレッド群をチェックすると、あるスレッドタイトルに目が止まった。  『T・A君を糾弾しよう』  タイトルでは、イニシャルのみだったが、中を開いて確かめてみると、紛れもなく、天海俊孝のことを指しているのは明白だった。  内容も非情なものであった。『暗くてキモい』『何考えているかわからない奴』などどいった、俊孝に対する誹謗中傷や、差別発言などが羅列されている。中には、イニシャルではなく、直接名前を上げて非難しているレスもあった。  一部には、南条を殺害した疑いを指摘するものもある。ただ、『ゲーム』のことについて言及しているレスはさすがになかった。例の真犯人には書き込んでいないらしい。  俊孝は、レスを読みながら、胃を掴まれたような不快感を覚えた。今朝のイタズラもそうだが、これはそれ以上に、剥き出しの悪意が感じ取れた。誰もがアクセスできる掲示板が舞台であることも含め、不特定多数による複数の書き込みが、よりそれを助長させた。多くの人間が、自分に強い敵意を持っている――その事実が、これほどまでに精神にダメージを与えるとは思わなかった。これは、当事者になってみなければわからない感覚である。  もうこれ以上読まない方がいい。そう思っても、つい目を通してしまう。そして、読めば読むほど、不快な気持ちがホースでグラスに水を注いだように、すぐさま溢れかえる。  ストレスが最大値まで増加した頃、気になるレスに目が止まった。そこにはこう書かれてあった。  『カウンセラーの入谷も共犯らしいよ』  俊孝は、そのレスの内容に対し、不思議に思う。どうして、そんな疑惑が出てくるのだろうか。以前、入谷の元を訪れたことを誰かが目撃し、憶測を立てたのか。しかし、スレッドの前後関係を見てみると、何ら脈絡のない、降って湧いたようなレスである。誰が書いたのかはもちろんわからないが、そこだけ浮いているように感じた。  その後、何か真犯人に繋がる書き込みがないかチェックしたが、ただイタズラに不快感を募らせるだけに終わり、俊孝は、掲示板の検分を切り上げた。  それから夕食をとり、風呂へ入る。寝るにはまだ時間があったが『Sky Face』へはログインする気が起きない。明日も学校があり、寝不足気味でもあるので、早めに寝ることにした。  しかし、布団へ入ってからも、睡魔は訪れなかった。心の中に、不安がしこりとなって生まれているせいだ。  明日学校へ行くのが苦痛だった。自身へ悪意や敵意を向ける人間達がいる空間へ赴く。その現実が、極めて甚大な精神的負荷となっているのだ。  豆電球だけを点けた薄闇の中、天井を見つめながら、俊孝は、ふと思う。これまで自分が自殺へ追い込んだ者達も、こんな気持ちで夜を過ごしていたのだろうかと。  結局、昨日と同様、ろくに睡眠がとれないまま、朝を迎えた。  よっぽど、仮病を使って、学校を休もうと思ったが、それでは何も解決しないのだと考え直し、登校することにした。  電車に揺られ、俊孝は、通学路を歩く。足が重くなった気がした。  教室へ着くと、やはり昨日と同じく、雰囲気がおかしかった。自分の席へ向かう。机の上には、怨嗟の如く、落書きがされてあった。『学校へくるな!』『人殺し』『人間のクズ』『根暗』などといった、誹謗中傷や罵詈雑言が書かれてある。相変わらず、こちらに目を向けているクラスメイトはいない。  俊孝は、小さく息を吐き、掃除箱の前に行く。そして、中から雑巾を取り出し、水で濡らして、机の上の落書きを消す。幸い、水性のマジックペンで書かれてあったので、簡単に消すことができた。  作業の間も、ずっと不快な意識の視線を全身で感じていた。  午前の授業の終了を告げるチャイムが鳴る。俊孝は、通学鞄から弁当を取り出した。本当なら、ここで食事など摂りたくなかったが、どこにも行き場がないので、我慢することにする。便所飯など、もっての他だろう。  包みを空け、弁当箱の蓋を開ける。母が作った弁当箱の中身は、汚らしく、黒く染まっていた。黒色の正体は、墨汁か、絵の具だろう。色とりどりのおかずや、ふりかけのかかった白飯などが、暗系色にマスキングされている様は、前衛芸術のようだった。  周辺から笑い声が聞こえる。クラスメイト達が、こちらをチラチラと見ながら、嘲笑していた。比澤の席では、神山と比澤が下卑た笑みを浮かべ、楽しそうにお互い顔を見合わせている。  おそらく、彼らが、二時限目にあった体育の時間の隙を突いて、これを仕込んだに違いない。  俊孝は、聡史の席に目を向けた。当然空席であり、机の上に置かれた献花が、取り残されたように侘しさを放っていた。  俊孝は席から立ち上がり、弁当の中身を丸ごとゴミ箱へ捨てた。それから教室を出て、購買へ向かう。  購買でパンを買って、廊下で食べる。しかし、食欲が完全に失せており、結局は半分以上残して、残りは捨ててしまった。  俊孝に対する嫌がらせは、それからも続いた。むしろ露骨に苛烈していた。それは完全ないじめと言えるものだった。机の落書きを始めとし、弁当や教科書への汚染は度々行われ、丁寧に書き取り続けたノートすら破り裂かれた。  標的は俊孝自身にも及んだ。蔑視や嘲笑は当然で、聞こえよがしの中傷も発せられようになった。すれ違いざまに体当たりをしたり、足を踏むといった、小学生のような真似も行われている。  それでも俊孝は、教師や親に被害を訴えるようなことはしなかった。正確には、できなかったのだ。理屈はわからない。証拠は揃っており、声を上げれば、大人が助けてくれる。それはわかっていたが、気持ちが動かなかったのだ。岡部真澄達が自殺するまで、誰にも助けを求めなかった感情が、ここで理解できた気がした。  そして俊孝は、そのような状況下でも、真犯人を探し出すことを諦めなかった。仕掛けた盗聴器の録音も怠らず、証拠を掴むために尽力した(盗聴の会話には俊孝に対する陰口も多く、それはそれで参ったが)。  依然として、真犯人へと繋がる明確な証拠は得られないものの、録音された音声から、気になる情報が見付かった。  入谷仁美の話である。録音されたクラスメイトの何人かがその名を口にしていたのだ。聡史がいないため、俊孝だけでは、誰が発言したのか判別不可能だったが、複数人が似たような内容を話していたので、一考の価値はあると思われた。  その内容は、入谷が相次ぐ自殺と関わりがあるというものだった。  そう言えばと、前に学校BBSでも同じような内容のレスがあったことを俊孝は思い出す。そのレスと、この録音が根も葉もない噂であることは、俊孝が一番知っている。だが、火のない所には煙は立たず、何かしら裏がありそうだった。そう思う。真犯人に繋がるものかはわからないが、入谷の名前が頻出する以上、必ずそこに原因があるはずなのだ。  それを突き止めようと考えた。  そこで俊孝は再度、入谷に会うため、カウンセラー室を訪ねることにしたのだった。  昼休みになり、俊孝は昼食も摂らずにカウンセラー室へと赴いた。あの教室ではもう食事はできなかったし、もともと食欲もなかったため、ちょうどよかったと思う。  カウンセラー室の扉をノックする。ノックした後で、もしかしたら入谷は食事中かもしれないとの考えが頭をよぎった。とはいえ、ここまできたので、いくら食事中だろうと、相談に乗ってもらう他ない。入谷は暇を持て余している優雅な身分なので、ちょっとくらい昼食の時間を引き伸ばしても、罰は当たらないだろう。  この前よりも少し間を置いて、中から返答の声がする。  俊孝は、失礼しますと、恒例の挨拶を行い、扉を開けた。  中では入谷がデスクに座っており、こちらを見据えていた。昼食を摂ろうとしていた気配はなく、迷惑がっている様子もなかった。  「あら、あなたは二年四組の天海君ね。今日はどうしたの?」  入谷は静かな口調でそう訊く。  「また話を聞いてもらいたくて……」  俊孝は、前回と同じように嘘をついた。  「そう。わかったわ。どうぞ」  入谷は、部屋の中へ俊孝を通す。俊孝は、そのままとソファへと座った。入谷も正面へ腰掛け、以前と同様の形になる。  俊孝は、入谷の姿をチェックする。水色のシャツにシックなスキニーパンツと、相変わらず落ち着いた印象を与える服装をしていた。  表情はあくまで穏やかで、閑古鳥とはいえ、職務を全うしようとする姿勢のみが感じ取れる。腹に何か一物抱えている様子は伺えない。  俊孝は単刀直入に切り出すことにした。  「あのですね、噂を聞いたんです」  「噂?」  傾聴の姿勢をとっていた入谷は、不思議そうな顔で首を傾ける。その仕草は実年齢以上に、入谷を若く感じさせた。  「はい。入谷先生が、この学校で相次ぐ自殺と関連しているんじゃないかって噂です」  その言葉に、入谷は一瞬だけ目を丸くした。まるで初耳だと言わんばかりに。  そしてすぐに、元の穏やかな表情に戻る。  「その噂の真相を訊くために、わざわざ訪ねてきたの?」  「まあ、そんなところです」  俊孝は曖昧に答えた。正確には、純佳や聡史を殺した真犯人を探す足掛かりのためだが、そんなこと言えるわけがない。万一、入谷が真犯人である可能性もあり得るのだ。  入谷は、少し困った顔をした。後ろ暗い部分を指摘されたからではなく、子供から下らない怪談話の真相を訊問された時のような、呆れた感情が入り混じっている顔だった。  入谷は口を開く。  「そうね、はっきり言うわ。そんなつまらない噂を信じるのは止めなさい」  ピシャリとした口調に、俊孝は怯む。俊孝の心に、微かな動揺が生まれた。入谷は、本気で叱責しているようだった。本当に何も心当たりがないのだろうか。  入谷は言い終えると、再び仮面のような微笑を口元へ浮べた。しかし、目は笑っておらず、八の字に眉根を寄せる。  「ここは噂話をする場所じゃないの。わかるでしょ? 何のつもりかわからないけど、探偵ごっこはもう充分よ」  入谷の諭すような口調に、俊孝は思わず「すみません」と頭を下げた。所詮、噂は噂に過ぎないようだ。どうやら、入谷は無関係らしい。  入谷が何ら関係のない存在だとすると、ここで相対するのも時間の浪費といえた。もう前のように胸の内を吐き出して、楽になる状況でもない。  俊孝は、退散しようと思った。礼を言い、立ち上がろうと足を動かす。すると入谷がそれを制するように、言葉を発した。  「最後に一つ、あなたに良い言葉を教えてあげるわ」  「なんですか?」  「悪因悪果。元は仏教が語源の言葉よ」  何の脈絡があるのだろう。俊孝は訝った。  「どういう意味です?」  入谷は微笑を絶やさず、説明を行う。  「悪いことをすると、必ず悪いことが起こる。そういう意味よ」  俊孝は、一瞬だが、自身の心の内を全て読まれたかのような錯覚を覚えた。入谷の様子を伺う。あくまで、平静としていた。  「それをなぜ僕に?」  「あくまで後学のためのアドバイスよ」  何を言いたいんだろうか。俊孝は訝かる。一貫して、入谷の表情は読めなかった。鉄面のような微笑に阻まれているからだ。  「失礼します」  俊孝は、立ち上がり、頭を下げる。あまり長居したくはなかった。妙な胸騒ぎがする。  俊孝は、廊下へ出て、カウンセラー室の扉を閉める。その瞬間まで、入谷は優しげな笑みを崩してはいなかった。  カウンセラー室を後にした俊孝は、その足で、三階のトイレに入る。そして、個室が空いていることを確認し、その内の一つへ篭った。  制服の内ポケットから、盗聴受信機を取り出し、インカムを耳へ差し込む。つまみを回し、教室へ仕掛けている盗聴波と同じ波周波数帯に合わせた。ここは盗聴器の傍受圏内なので、すぐにでも、教室の音声が聞こえてくるはずだった。  しかし、いくら待っても、インカムからは、テレビの砂嵐のような雑音のみしか聞こえない。周波数を間違えたのかと思い、つまみを弄ってみるが、結局同じだった。  俊孝は怪訝に思う。一体どうしたのだろうか。受信機が壊れた様子はない。にも関わらず、教室の音声を取得できないということは、答えは一つだった。  俊孝は、眉根を寄せたまま、その場でしばらく硬直していた。    午後に突入し、時折行われてくる陰湿ないしめに耐えながら、俊孝は後半戦を過ごした。  艱難辛苦の時を乗り越え、放課後になる。  情報処理部は事実上、機能停止状態だったので、すぐにでも帰れるのだが、今日はこれから用事があった。  俊孝はいつかと同じように、図書室へ行き、時間を潰す。そして、閉館ギリギリになると、図書室を出て、教室へ向かった。  教室へたどり着き、扉をそっと少しだけ開けて、中を覗き込む。教室内部は時が止まったかのように静かで、無人だった。  俊孝は、それを確認すると、普段と変わらない勢いで扉を開けて、中へと足を踏み入れた。  そして、自ら仕掛けた盗聴器の場所へ赴き、盗聴器を探す。やはり、思った通りだった。  以前、俊孝が仕掛けたはずの盗聴器は、影も形もなかった。三ヶ所とも全てだった。監視カメラも同様に、取り去られている。おまけに、前から仕掛けられていた犯人のものと思われる盗聴器も、綺麗に消失していた。  俊孝は、つと考える。おそらく、盗聴器を取り外したのは真犯人だ。無関係の人間が発見したならば、騒ぎになっているはずである。それがないとすると、盗聴器があると確信して探した者しかいない。  だが、いくつか疑問に思う。どうやって真犯人は盗聴器の存在を知ったのか。まず発見できない場所に仕掛けていたので、偶然見つけたとは考え難い。つまり、俊孝と同じように、盗聴発見器を使用したに違いなかった。真犯人も盗聴器を仕掛けているので、下種の勘繰りとして、盗聴器の有無を疑ったのかもしれない。  そして、それはいつのタイミングなのだろうかと思う。最後に俊孝が、盗聴器の音声を受信したのは昨日の七時限目後だった。そこから盗聴器を取り外すとなると、教室が無人になる昨日の放課後か、今日の早朝しかなくなってしまう。その時に、真犯人は盗聴器を探し出して、事に及んだというのか。  妙な思いに囚われる。何かおかしかった。  俊孝は、聡史の机を見る。天板の上に乗せられている百合の花が、疲れたように萎れていた。あと少しで、首が落ちるだろう。  ふと、俊孝の頭に、光が明滅した。暗闇が微かに明るくなった気がする。もしかしたら、根本的な部分を間違っているのかもしれない。
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