第八章

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第八章

 スマートフォンのアラームにより、ハッと目が覚める。時刻を確認すると、午前七時。起床時刻だ。  俊孝は、アラームを止め、ゾンビのようにのっそりと体を起こした。額に触れてみると、汗が滲んでいる。  嫌な夢を見ていた気がするが、詳細は覚えていない。だが、ひどく恐ろしかったことを、体が記憶していた。  俊孝は、額の汗をティッシュで拭い、ベッドから降りる。緩慢な動きでカーテンを開け、差し込んだ鋭い光に、思わず目を細めた。  今日も暑くなりそうだった。  俊孝は、階下へと降りる。居間では、すでに朝食が食卓へ並んでいた。母に起床の挨拶を行い、椅子に座る。父はすでに出社したようだった。  箸を手に取ったものの、食欲がなかった。結局、ほとんどの朝食を残し、席を立つ。母が心配そうな顔をするが、何も聞いてくることはなかった。  登校の準備を終え、俊孝は家を出た。  学校へ辿り着き、教室へ入る。  案の定、俊孝の机の上には、いくつものゴミが載せられていた。よく見ると、椅子にもである。  俊孝は、特にリアクションを取ることなく、それを片付ける。もう毎朝恒例だった。  片づけを終えて、席へと着いた俊孝は、比澤達の姿を確認した。比澤達は、事が済んだと言わんばかりに、談笑に興じている。俊孝の方へは目もくれていなかった。  俊孝は、しばらくの間、二人の様子を見つめていた。  午前の授業が全て終わり、昼休みが始まった。  俊孝は、教室を後にする。そして、昨日と同じく、カウンセラー室へと向かった。  扉をノックし、返事を待たずに開ける。ぎょっとした様子の入谷と目が合う。  入谷は訪問者が俊孝だと知ると、微かにうんざりした表情を見せた。そして、すぐさま微笑を浮べる。役者のように見事な切り替えだ。カウンセラーといえど、客商売なので、営業スマイルはお手の物といったところか。  「あら、またきたのね。いらっしゃい」  入谷は笑顔を絶やさず、俊孝を手招きした。室内のデスクに目を向ける。昨日もそうだが、昼食を摂ろうとしている形跡は見当たらない。おそらく、ダイエットか何かが目的で抜いているのだろう。  俊孝は、後ろ手に扉を閉め、奥へと歩を進めた。入谷は先にソファへと座り、俊孝もこれまでと同様、対面のソファに腰掛ける。  入谷は、微笑をたたえたまま、こちらに頷いて、話を促す。  俊孝は、口を開いた。  「先生、俺、わかったことがあるんです」  俊孝は、入谷を真っ直ぐ見据えた。  「わかったこと?」  入谷は、首を傾げ、疑問を口にする。  「はい。あなたが桝本純佳と川戸聡史を殺したことです」  そう俊孝が言うと、入谷の表情から、霞を取り去るように、笑みが消えた。無表情になる。  「不思議に思ってたんです。犯人はうちのクラスの状況を知っていた。だから、犯人はうちのクラスの誰かのはず。だけど、その人物は、情報処理部からアプリケーションを盗み出せない。つまり、共犯者がいたんですね」  入谷は戸惑いの表情を浮べる。これも演技だろうか。  「共犯者の名前は比澤正典と神山大吾。その二人なら、クラスに細工するのも容易いし、状況も把握できる」  入谷は、複雑な顔で、こちらを見つめている。しかし、傾聴の姿勢は崩していなかった。  俊孝は続けた。  「以前、聡史のアカウントを盗んで、俺にアプローチをかけたのも、それなら納得できる。比澤達なら易々と聡史のゲームアカウントを入手できるから。そして、情報処理部へと侵入し、アプリを盗んだのはあなたです。それから、純佳と聡史を殺したのも……」  俊孝がそこまで言うと、入谷は手をこちらに向け、制する仕草をした。  「ちょっと待ちなさい。何を言っているのか全くわからないわ」  傾聴の姿勢を崩し、入谷は小さく首を振る。  「勘違いしているみたいだけど、私は何も知らないわ。そもそも、川戸君と桝本さんが殺されたって何? その二人は事故と自殺でしょ?」  俊孝は首を横に振った。  「いいえ。それはあなた達が実行した殺人です」  俊孝の脳裏には、夕闇に包まれた教室で、純佳が教室の窓から突き落とされるイメージが映っていた。そして、聡史の家が放火される光景も。  「あなた達が犯人だとしか考えられないんです」  俊孝は搾り出すような声で言った。おそらく、帰結としては間違っていないはずだが……。  しばらく、二人の間に沈黙が流れた。入谷の整った眉根には、困惑の皺が刻まれている。  口火を切ったのは、入谷だった。  「もう充分よ。出て行きなさい。これ以上妄想には付き合っていられないわ」  入谷は立ち上がり、出口を指差した。  俊孝は言う。  「昨日、あなたが言った、悪因悪果。それは、あなたが犯人だから出た言葉では?」  入谷はため息をついた。もうすでに微笑は消えている。  「それは今、あなたの身に降りかかっていることの結果として、あなたに教えただけよ」  「どういうことです?」  「あなた、いじめられているでしょう? 随分嫌われているみたいね。それもそうでしょうね。こんな妄想で人を殺人者呼ばわりするんだから」  入谷は不敵な笑みを受かべた。それとクラスの連中の嘲笑とが重なり、俊孝は自身の顔が朱を帯びたことを自覚する。  この女はそれを知っていて、昨日当てつけのように言葉を発したのか。悪趣味だ。いや、それも誤魔化しだろう。おそらく、真意は自分の想像通りのもののはずだ。  俊孝は、強い口調で言った。  「いいか、入谷。もう俺は犯人を知ってしまっている。これ以上、何かちょかいを出すと、必ず殺すからな。比澤と神山にも伝えておけ」  「出て行きなさい!」  入谷は、何も答えず、目を三角にして、そう怒鳴った。  俊孝は立ち上がり、扉へ向かう。  カウンセラー室を出る際、最後に入谷を睨みつける。入谷は、無表情のまま、その場に佇んでいた。  学校が終わり、俊孝は家へ直帰した。そして、すぐに『Sky Face』へログインする。別段、やりたかったわけではなかったが、あくまで精神安定のためだ。  しかし、プレイをしていても、身に入らない。夢遊病者のように、漫然と手を動かしているだけだ。  モニター内では、俊孝のウィザードが、ハイゴブリンにボコボコにされていた。  それに構わず、俊孝は思考に沈む。  あれだけ発破をかければ、さすがにしばらく動きはないはずだ。そして、残る問題は復讐である。仮にもう動きがないとしても、このまま済ませるわけにはいかない。必ず、聡史と純佳の敵をとってやる。  そのために必要な『計画』を頭の中で練っていると、スマートフォンに着信があった。最近は滅多に着信がなく、不思議に思って確かめてみると、着信ではなく、監視アプリへの通知だった。  アプリを開いて、チェックする。対象の位置情報が取得されており、それは学校を示していた。今の時刻は午後六時半。ちょうど部活が終わった頃だ。  俊孝はカッとなる。これはあの女の仕業だろう。性懲りもなく、盗んだアプリを起動し、位置をこちらに知らせてきたのだ。  意図はわからない。挑発のつもりだろうか。何にせよ、確かめる必要がある。  嫌な予感がするので、念のため『武器』も持って行くことにした。  怪しまれないために、再び制服に着替え、準備を終える。  パソコン画面に目をやると、無残にもハイゴブリンに殺されたウィザードの姿が映っていた。  江田駅に降り立ち、日が落ちかけた通学路を、東陵高校へ向かって急ぐ。途中、部活を終えた東陵高生達とすれ違った。  学校へ着き、俊孝は、スマートフォンで対象の位置を確認する。  どうやら、入谷らしき人物は、二年四組にいるらしい。この期に及んで、何をしようというのか。  俊孝は、スマートフォンをポケットに戻し、下駄箱から校内へと入る。  廊下を進み、階段を登る。部活はとうに終わり、閉門まであと少しだ。そのせいで、全く他の生徒の姿は見えなかった。  四階まで登り、廊下の一番奥にある自身の教室へ近付く。そして、扉の前で『武器』を取り出した。  それは刃渡りが二十二・五センチあるマスターカタラリーのサバイバルナイフだった。以前、通販で買ったものである。  いざとなったら、これで相手を刺し殺すつもりだった。どうせ殺す予定の人間である。気にはしない。そこまでいかなくても、牽制くらいにはなるだろう。  俊孝は、右手でサバイバルナイフを持ち、左手で教室の扉を開けた。細心の注意を払い、周囲の音にも耳を澄ませる。  教室の中には誰もいなかった。燃えるような夕日が、ただただ、室内を赤く染めているだけだ。  俊孝は、スマートフォンの監視アプリを再び確かめる。マーカーは、相変わらずこの教室の真上を御旗のように指し示していた。  教室内に入り、室内をチェックする。そこで、あるものに目が止まった。  純佳の机の上だ。献花の瓶と共に、何かが置いてあった。  近付いて、それを見る。スマートフォンだった。液晶モニターには、監視アプリの発信側――純佳に渡したアクションゲームのメニュー画面が表示されている。しかし、スマートフォンは、純佳のものではなかった。見たことのない、赤いボディの端末だ。  俊孝は、そのスマートフォンに手を伸ばす。そこで、背後に気配を感じた。振り返ろうとした瞬間、全身に殴られたような衝撃を感じた。一瞬だけ、意識が飛び、サバイバルナイフを落としてしまう。  床へと前のめりに倒れた俊孝の背中へ、誰かがのしかかる。俊孝は思わず、潰されたカエルのような呻き声を上げた。  「上手く引っ掛かったみたいだね。天海君」  頭上から、聞き覚えのある声が聞こえた。  まだ全身が痺れたようになっていたが、何とか首を動かし、声のした方へ顔を上げる。  そこには、学級委員長の坂本真一がいた。背中に乗っているのは、八島利博だ。  坂本の手には、警棒のようなものが握られている。スタンガンだ。それで、こちらの自由を奪ったのだろう。  「何なんだお前ら」  呂律の回らない口調で、俊孝は訊く。そこで、この教室にいるのが、坂本と八島だけでないことに気が付く。数名の男女。田淵登と立花優衣、下條里奈である。  他の三人は、ショーを見物しているかのように、こちらの動向を面白そうに眺めていた。  状況がまるで飲み込めず、俊孝は混乱する。一体、何が起きている?  「これは僕のだから、勝手に触ったら駄目だよ」  坂本は休み時間にちょっとした注意をするような風情で、そう言い、純佳の机の上に置いてあった遠隔監視アプリ入りのスマートフォンを手に取った。  「それはお前のか? 一体なぜ?」  ようやく口が回るようになった俊孝は、質問をした。どうしてこいつが俺の作ったアプリケーションを持っているんだ?  坂本は、生真面目そうな顔を少しばかり歪めて、笑う。  「そうだよ。一体なぜとは、僕が君の作ったアプリケーションを持っていることに対する疑問かな? 答えは単純だ。桝本純佳のスマートフォンから盗んだんだ。まあ、それをやったのは、僕じゃないけどね」  わけがわからない。  「どういうことだ?」  俊孝は、背中から八島に押さえつけられたまま、悲鳴のような声で訊いた。頭は、茹で上がったような状態で、混迷を極めている。  「桝本さんと仲の良い友達が、隙を見て盗み出したんだよ。それを僕にくれた。だから僕らは一度も情報処理部に入っちゃいない」  「なぜお前に?」  「それは今後の計画のためさ」  坂本は言わなくてもわかっているだろうと、鼻白む。  「……つまり、聡史と純佳を殺したのはお前達か」  俊孝の質問に、坂本は首を振った。  「正確には違う。ほぼ全部だよ。我々がやったのは」  「全部?」  「そう。一番最初の岡部真澄の時から、宮沢朱里、坪井順子の時まで、僕らが影から君達を援護していたんだよ。もっとも、その時はまだ君らが犯人だとは知らなかったけどね」  「……」  未だ理解できず、俊孝は無言で返した。その俊孝に、諭すような口調で坂本は問いかける。  「君はおかしいとは思わなかったのか? あれほど都合よく、相手が自殺する流れに向かうことに。学校BBSにしたってそうだ。芸能人のゴシップ記事のような内容で、本当にあれほどまでに被害者が糾弾されていたと思っていたのか?」  「つまり、お前らが扇動していたってことか?」  俊孝は声を振り絞りながら訊く。  坂本は頷いた。  「ターゲットを選んでいたのは君らだが、本当に影で動いていたのは僕らだってことだ。ちなみに岡部真澄こそは自殺だけど、他の二人と、川戸聡史、桝本純佳は僕らが後押しないしは、直接手を下したよ」  「僕らって何人だ? ここにいる人間だけでは、不可能だろ」  坂本は、不敵な笑みを浮べた。  「一番最初は僕一人だったけど、今では学年の半数くらいかな? このクラスではほとんどの生徒がメンバーだ。他の学年を入れると、大体1学年くらい。それくらい協力者がいれば、完全犯罪など容易いだろう?」  そんな馬鹿な。俊孝は戦慄した。それほどまでの人数が、この件に関わっているのか。  「だから君が当たりをつけた南条や入谷カウンセラーは、全くの的外れだったわけだ。南条なんかは、とんだ迷惑だったね」  「南条は何か知っている風だったぞ」  「彼も独自に動いていたみたいだからね。犯人はわからないまでも、相次ぐ自殺が他者の手によるものと認識してたみたいだ。だから、あの時、君らを疑ってかかったんだ」  「見てたのか?」  坂本は首を振った。  「いや、聞いてたよ。盗聴器を仕掛けてたんだ。隣の視聴覚室にね。志向性のやつを。鬼気迫る音声だったよ」  坂本は、スリラー映画を観た後のような感想を漏らし、笑う。同じように、周りにいた他の人間も笑い声を上げた。  「聡史のアカウントを盗んで、俺にアプローチしたのも、お前か」  「そう。だけど、君が疑った比澤と神山はメンバーじゃないよ」  「じゃあ、どうやってアカウントを?」  俊孝がそう疑問を吐いた時、それまで見物していた下條里奈が言葉を発した。  「聡史君の友好関係は広いのよ。彼の家に訪れるのは、あなたやその二人だけじゃない。私もたまに遊びに行ったわ」  俊孝は、目を瞑った。おぼろげに、全容が見えてくる。  おそらく、発端は、自分と聡史が岡部真澄に目を付け、学校BBSを使い、中傷文を書き込み始めた時だろう。その時は坂本一人が影で動き出した。そして、それから、俊孝達の活動と並行するように、人数を増やしながら、裏で自殺の教唆を援護し続けた。この時は、まだ俊孝達の仕業だとは坂本達も知らない。だから、誰かが行っている自殺教唆『ゲーム』に乗じる傍ら、方々に盗聴器を仕掛け、犯人を探したのだ。  それが露呈したのはあの時――純佳に『計画書』を読まれた時だ。そこで俊孝が犯人だと知り、その後、純佳殺害計画を立てている際に、聡史も共犯だと知ったのだろう。  そして、その純佳殺害計画に便乗する形で、純佳を自殺に見せかけて殺した。  坂本が言及していたメンバーの中には、信じられないことに、純佳の友達もいたようだ。だからこそ、純佳のスマートフォンからアプリケーションを盗むことも可能で、教室へおびき寄せることもできた。お守りの存在を相手が知っていたことも頷ける。純佳から話をきいているからだ。そこまで周囲を固められている以上、純佳に書かせた遺書を俊孝から盗むことなど、朝飯前だ。  聡史の件も同様だ。それほどメンバーがいるなら、聡史のアカウントを盗むのも、家に火を点けるのも容易いだろう。  全て、自分達は傀儡だったのだ。ただ、大勢の人間の手の平で踊らされていただけ。ピエロのように、滑稽だ。  俊孝は、最大の疑問をぶつける。  「どうしてそんな真似をしたんだ?」  すると、坂本は、悪の親玉のように、大笑いをした。  「それはそのまま君達にも言えたことだろう? しかし、答えよう。楽しかったからだ。自分達が人の生死を自由にできる。通常の学校生活では味わえない達成感だ。それは他の仲間――チームの名前はまだ考えていないが――も同じ気持ちのはずだ」  俊孝は、歯噛みをした。屈辱と恐怖。震えが、腹の底から沸き起こる。ぞして、これから自分はどうなってしまうのかと、思う。  ふと、床に落ちたサバイバルナイフが目に止まった。机と椅子の間にある。  俊孝は、必死に身をよじり、手をサバイバルナイフへ伸ばした。サバイバルナイフに手が触れ、掴もうとする。  だが、それより一瞬早く、坂本の蹴りが飛び、サバイバルナイフはどこかへ吹っ飛んでいってしまう。  坂本は、冷静な口調で言った。  「そろそろ終わりにしようか。もう時間もないことだし、早く済ませたい。君が自殺する理由も沢山あるから、ここらで幕引きといこう」  その言葉が教室に響き渡ると、人が動く気配がした。それまで囲んでいるだけだった田淵達が動き出したのだ。  そして、俊孝の首に何かが巻かれる。俊孝は、激しく体を動かした。なんとか、のしかかっている八島から逃れようとする。だが、体格差があるため、不可能だった。  次に大声を上げようとしたものの、口を塞がれた。  首に巻かれたのはロープだった。それが力強く、引かれる。  ぐっと、息が詰まり、俊孝は大きくもがく。次第にロープの力が強くなり、さらに首へと深く食い込んだ。俊孝は、うめきながら、暴れた。  嘲笑が聞こえた。絞首刑に処される罪人を笑う人々の声。  ロープは、完全に俊孝の呼吸を停止させていた。徐々に視界が狭まってくる。  俊孝の意識が途切れる直前、慣れ親しんだ『断頭台への行進』が頭の中で鎮魂歌のように、鳴り響いた。
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