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ピエロ5
人は、どこから来てどこに行くのか。
ノナミが小さい頃から持っている疑問だった。
誰かに質問すれば、ためらいながら
「そりゃ・・あれだよ・・」
「お母さんの・・あれだよ・・」
の定番の答え。
まぁ、これがこの質問の答えなんて誰も思っちゃいない。
答えた本人さえ。
大人になり、絶対座標は無い。すべては相対的である。
確かな正論だと今は納得している。
ただ、死だけは、絶対的なものである。
死の確率は、100%である。
ゆえに、確率ではない。
絶対である。
デカルトの名言
”我思う故に、我在り”を自分に置き換えれば、
”ノナミ思う故に、ノナミ在り”
の空間では、死は絶対的な座標を持っている。
絶対座標である。
ノナミ思う故に、ノナミ在りの座標では、絶対座標である。
では、生と死を相対的な物と考えてみるとどうなるのか?
生とは何かとの相対として存在している。
と仮定してみる。
その何かとは?
「ノナミがいると思ってる、ゆえにノナミ在り」
と思っている何かが存在している。
を認めなくてはならない。
簡単に言えば、
ノナミの相対的な生は、ノナミ以外からの認識によって存在している事となる。
生と死だけは、相対的になってくれない。
と思っていた。
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