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「すごい上手いね。知られざる特技ってやつだ」
「美波が下手なんだよ。子どもの時にコツとか研究しなかった?」
「うちは生き物禁止だったから」
そんな話をしながら、出店が並んでいる大通りを歩いた。焼きそばやフランクフルトのにおいがぷんと鼻をくすぐる。客先との打ち合わせが長引き、時刻は七時になろうかというところだった。宵闇の入口に灯る提灯の光が優しい。
「和田さんは良かったの? せっかく大きくて黒いのも取れたのに持ち帰らなくて」
「うちは生き物禁止だからなぁ」
屋台のおじさんには金色の一匹だけを袋に入れてもらっていた。ビニール袋を目の前に持ち上げると、金魚は水の中でぱくぱくと口を動かしていた。
彼が金魚を持ち帰らない理由など百も承知だ。世の中の妻帯者のほとんどが、生き物を飼うかどうかは妻の許可制だろう。何より仕事帰りに『誰か』と夜店に行っていたことを匂わせるのは得策ではない。――この関係を続けていく以上は。それでもわかりきった質問をして、わざわざ傷つきにいくことをやめられないこれはもはや様式美だ。
「美波こそまさか持ち帰るって言い出すなんて思わなかったよ」
「三十路女の一人暮らしともあれば、部屋に生き物の息吹を感じたい夜だってあるんですー」
例えば今日。和田さんとの逢瀬の後に過ごさなければいけないがらんどうの夜とか。そう言いそうになって口をつぐむ。年齢を重ねるごとに皮肉ばかりうまくなって、可愛く甘えることができなくなっていく。
「行こうか」
和田さんは謝らない。きっと悪いとも思っていない。そんな彼が好きだ。腰に手を回される。そこに指輪があったって、彼の手のひらは温かくて、優しい。
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