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時が癒した傷
多くの人々で賑わう渋谷の街。
何か用があるわけでもなく、ただぶらぶらとしていただけ。
最初はそのはずだった。
「東横!いい所に!」
こいつが、私を捕まえなければ。
「は、え?何、え?」
「いいから、駅まで連れていけ!」
「⋯⋯は?」
「⋯⋯お願い」
この私にそこまで言うだなんて、一体どんな理由が!?
「あ、いた⋯⋯って、一人じゃねぇのか」
後ろから小走りでやってきたのは、若い男。私を見ると、げ、というような顔をする。
失礼だな。
「一人じゃないから結構です!間に合ってます!」
「けっ、チャンスだと思ったのになー」
そう言いながら、男はどこかへ歩いていってしまう。
その少しやり取りで、何となく察しがついた。
「何人目?」
「三人目」
なるほど。思えば確かに、こいつ⋯⋯京王が渋谷に来るのは珍しい。
慣れない街でまるで箱入り娘のようにうろ付けば、目をつけるやつがいるだろう。
「事情はわかった。だが今私は忙し」
「今度ケーキ焼いてあげる」
「誰に通じるかは知らないが物で釣るな」
「世田谷にあることないこと吹き込む」
「喜んでお供仕ります」
こうして私は、強制的に付き人となった。
「それにしても、人が多いな。歩くのもやっとだ」
「お前新宿でも同じこと言えんの?」
「新宿は人の波に流されていれば目的地に着く」
「あ、そうなの」
人混みを掻き分けながら、駅へと向かう。
そういえば、珍しく向こうから話しかけてきたな⋯⋯と思っていると、突然手を握られる。
「!?⋯⋯!?」
焦りと驚きでつい足を止める。冷たい肌が、私の熱を奪っていく。
その温度に最後に触れた記憶は思い出したくなかった。
「はぐれたら許さない」
「⋯⋯そうかい」
素っ気なく返したが、頭の中はオーバーヒートしそうなぐらいぐるぐるしている。
帰ったら世田谷に何時間か話そう。
たまに何でもない会話をしつつ、アベニュー口に辿り着く。
「⋯⋯」
「何だ」
「地下五階に連れていかれたらどうしようかと思った」
「さすがにそんなことしないわ!」
それはあまりにも手の込みすぎている悪戯だ。
「妹でも付き添わせりゃよかったのに」
「次からそうする」
手は解かれ、京王はエスカレーターの方へと向かって行く。
「⋯⋯その、ありがとう」
「!」
小さく、ぶっきらぼうな言葉。
「構わんさ、気をつけて帰りな」
人に紛れていく京王を、しばらく見送っていた。
「警護どうもー、お疲れ様」
「うわああ゙あ゙あ゙あ゙!?」
心臓に悪い登場の仕方をするやつなど一人しかいない。
「何だ高尾いつからいた!」
「さあねー?」
見てたなら、こいつがついてやればよかったのに。
「まあいいじゃない。あ、帰ったらちゃんと手は洗ってね?」
「洗うわ!」
さすがにそこまではしない。いや、するのか。洗うのか。
「じゃ、私も帰るねー」
果たして何をしに来たのか、高尾はすぐに人の中に消えていく。
「でね、そしたら突然⋯⋯」
「あらあら、良かったですねぇ」
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