気病みの女

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気病みの女

閉じ込めてしまいたい程の愛とは何だろう 貴方だけで良いと、貴方だけが良いと 狂気が混在する執着を、ただ一人に向ける その瞳に自分以外の人間が映る事を存在する事を赦さない 病的な迄の愛、捕らえた蝶を殺す様な愛 生殺与奪を手に入れ神にも等しい存在になる 果たして、それは愛と呼べるのか それは愛と言う耳触りの良い、糖衣を纏わせただけではないか そんな事を熟々と考えながら私は 今日も今日とて彼の写真を眺め その横に写る女を見ては悋気を燃やす 何故 何故、彼の横に立つのが 彼の傍に居るのが私でないのか 憎い ただただ只管に憎い 憎悪なんて生温い言葉で表現出来ぬ程に憎い それ程までに憎いと思うのに 私の知る言葉では憎いと言う表現しか出来ない、きっと今の私の顔は般若かくや 醜く恐ろしい顔をしている 行き場の無い情念が執着が恋心が 沸々と身から沸き立つ 私の物に成らないから憎いのか 全てを敵と想う程に好いて好いて好いて好いて、慕って慕って慕って堪らぬから憎く思えるのか 憎い憎い憎い憎い 傍に居れる、あの女が 私に見向きもしない彼が これだけ愛を向けて与えているのに 私の物に成らない彼が 私程の愛も何も彼に与えていないのに 傍に居れる、あの女が憎い こんなに こんなにも愛しているのに 何故、私を選ばないの 何故、私に見向きもしないの 貴方が望む望まないに関わらず 貴方だけを愛し貴方だけに尽くし 貴方の好みに染まると言うのに 憎い程に愛すと言うのに 何故、何故、何故、何故 何故、私を見ないの 頭が心が怒りや悔しさ 色んな感情を孕んでは煮え立つ こんなにも好きだと伝えているのに 愛していると伝えているのに 解り易くアプローチだってしているのに 可愛いと綺麗だと思って欲しくて見た目だって努力してるのに こんなに頑張っているのに 貴方の言動で一喜一憂するのよ? 貴方が優しい言葉を掛けてくれれば 私は、その日一日を幸せでいれるのよ? なんでなんでなんでなんで なんで私じゃ駄目なの 私の何が駄目なの 業火のような嫉妬と怒りや悲しみで 己を焼き焦がす女の耳に ぽた と何か小さく軽い物が落ちる音が届く ふっと其方に目を向ける まただ またアレが落ちている 私は床に落ちた小さく白いソレを じっと見詰めながら考えに耽る 何時頃からかは忘れしまったが こうして私が身を焼く程の渦巻く感情と思考に支配されると ソレが現れるようになった ぽと・・・ぽた・・・ 現れたソレは何処からともなく降ってきて 段々と数を増やしながら模様を描く様に 床へ落ちて散らばっていく 初めてソレが現れた時は恐怖と悍ましさ そして驚きから悲鳴を上げたものだった それが今や、またか。である いや寧、ソレ等が現れる事によって 少しばかり安堵している自分がいる 私にしか見えないし触れない 床へ転がる米粒大の白いソレへ近付き 指先に伝わる蠕動を感じながら そっと摘まみ上げる ぷちっ 小気味の良い音を立てて蛆が潰れ 私の燃え上がる感情が少しばかり冷える いい気味。 そう思いながら次を選ぶ ぷちっ 指先に伝わる感触や 指先を汚す蛆の不快な体液は こんなにもリアルなのに ・・・ぷちっ これは私の妄想でしかないと言う事実に 毎度、驚かされる 次は連続で潰そう。 摘まみ上げるのではなく 床と指先を使ってリズム良く押し潰す ぷちゅぷちぷっぷち 軽快なリズムを聴きながら 指を止めず、少しばかり冷え出した頭で蛆達へ想いを馳せる 可哀想にと思う気持ちも無くはないが 私の妄想の産物なのだから どうするも勝手だろうと言う結論に至る この不思議な蛆達が初めて現れた時 虫の苦手な私は悲鳴を上げ 近場に住む友達へ泣きながら電話をして、駆け付けて貰ったものだ そして駆け付けた友人は私が指差す先に近寄り、じっくりと見回してから 「何もいないよ?」と言った その時の友人の不思議そうな顔と、尚も這い回る蛆が見えている私が理解出来ずに洩らした、素っ頓狂な「はひ?」と言う声を思い出す度に笑ってしまう その後、増え出した蛆と、それが見えない友人。そして友人に踏まれ潰れた筈の蛆が潰れていなかった事、どうも私にしか見えていない妄想の産物だと気付いた事によって笑い事ではなくなったけれど 私は業火の如き嫉妬の炎で 頭の何処かまで焼いてしまったようだ。 そんな事を熟々と考えながらも 指は止まる事無く仮想の命を奪っていく 仮想とは言えども、無作為に何の感情も込めずに潰され、潰した事は覚えているのに、どんな蛆だったのか細部はどうであったのかを、すぐさま忘れられ簡単に潰され逝く蛆達が哀れに思える 彼にとってのその他大勢、それこそ村人Aのような毒にも薬にもならない、時が経てば名前も顔も思い出せなくなるような存在、彼にとって何の感情も湧かない存在の私と潰される蛆達が重なる 名前でも付けてやろうか ぷちゅ 適当な名前で良い ぷちっ 和洋問わずに 嗚呼でも最初にこそ相応しい名を ぷっ 【愛】 これは彼に愛されなかった私の愛 ぷちっ これは真理絵これはキャシー これは美智代これは理恵これは恵これは景子 有紀・・・ひとみ・・・リリア・・・優美・・・ 私の乏しい頭で思い付く限りの名前を脳内へ羅列していく これは・・・あかり 嫌いな女の名前を与えた蛆が 穢い体液を撒き散らし呆気なく潰れると 胸がすいた、いい様だ。 一瞬、止まってしまった指を再度動かしながら脳内に羅列され続ける名前へ意識を飛ばす ありさリリー香織あゆみ桜エマ舞 ジュディ薫子ソフィア裕美ベネット絵里・・・ 何時間そうしていただろうか 床へ座り込み潰し続けたせいで身体は芯から冷えきっているのに、考え続けたせいか少しばかりの頭痛を伴い脳だけは熱を帯びている もう名前が思い付かない 他の名前が・・・他の女達の名前が・・・ もう・・・もう私の名前だけしか・・・ 私は少し考える、自分の名前を持つ蛆を潰すと言うのは私を殺しているようで良い気はしない。けれども存在を確りと刻み込むと言う点では、これ程に素晴らしい発想もない。彼が忘れてしまう私を私は自分に確りと刻み込み記憶するのだもの、彼が消す私を、私の中で存在させるのだ。私を殺し、新しい私を誕生させ続けるのだ 自分の素晴らしい考えに思わず うっとりとした溜息が洩れる なんて素敵なのだろう 記念すべき第一号になる蛆を探す指先が、高揚のせいか少し震える いけない、気を鎮めなければ 興奮のせいで少し早くなった息を調える為に 何度か深呼吸して頭をクリアにさせ 気を落ち着ける うろうろする指先は狙いを定める コレだ 丸まり蠢く蛆を、そっと摘み上げ これは・・・優子 【私】 少しずつ丁寧に力を込めていくと ぷちっと聞き慣れた音がする 私の背骨は歓喜に震える 産まれ直しだ。 思わず洩れ零れる微かな歓喜の吐息と、恍惚の笑みを浮かべ指先は飽く事なく動いていく 私 私 私 私 私 私 私 私私私私私 わたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたし・・・ 踊る指先はワルツに似た優雅さを持って 残酷に純粋に仮想の生命を踏み躙る ぼぅとした頭に天啓のような 一瞬の光が閃く ふと、ふと思ってしまったのだ 産まれ直しだと思っている、この行為が 私を殺し続ける私が、殺されていった私が実は刻み込む為でも産まれ直し等でもなく、私を、ただ只管に殺しているだけなのだとしたら、こうやって私を私が殺すのならば本当の私とはなんなのだろうと。今こうやって殺されていく蛆が私の一部であり存在を構築している物であるのなら、この行為が刻み込むのとは実は逆だとしたら、私と言う人物の人間性みたいなものは、どんどんと殺された数だけ薄まっていってしまうのではないか、なら希薄になり続ける私と言う人間の個性なるものが薄まり続け無くなってしまった時に、わたし足り得る物は一体なんであって、個性や人間性を構成する物が無くなってしまった私はどうなってしまうのか そもそも そもそもの話として私はなんなのだろうかと だって私は私を殺しているのだ え?じゃあ私って こうやって私を殺す私って何?殺されてしまった私って何よ?今こうやって人の形を取っている私は何なの?蛆と私の違いって?私、わたし 本当の私って何? ぶるりと先程とは違った意味で背骨が震える 冷や汗がドッと噴き出し、浅い呼吸は頭と肺を圧迫して、カラカラになった口の中で膨れ上がった様に感じる舌は喉を塞ぎ、瞬間的に冷えた指先は震え出す 何よりも、何よりも今この指先で私の皮膚の下で僅かばかり蠕動を繰り返す蛆が、私が。 投げ捨ててしまいたいのに今は 気付いてしまった今では堪らなく恐ろしい だってだってだってだって私なのだ、この蛆は私なのだ 殺し続けた蛆も今この指先で蠢く蛆も 怖い恐い怖い 親しみすら恍惚すら慰めすら感じていた蛆が 今尚、床に散らばる蛆達が先刻より蠕動を増した指先の蛆が怖い ヒュッと喉が鳴る 強ばった指先に知らず知らず力が籠る やだ やだ やだ やだ 嫌だ ぐぐっ・・・ゆっくり、ゆっくり指先は 私の意志に反して私を潰そうとする ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ嫌嫌嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ 別の生物の様に動きながらも感覚を伝えてくる、指先の下で蛆が力に抗えず、少しずつ少しずつ平たくなっていく じんわりと視界の滲んだ瞳から間を置かず 生温い涙がポロポロと溢れ出して頬を濡らす スローモーションに見える世界で ぷちっ 私は呆気なく潰れた。 喉に迫り上がる酸味は、私の噴き出す恐怖だとか悲しみだとか困惑だとか訳の解らなくなってしまった感情を体現する様に、びちゃびちゃと不愉快で無様な音を立てて口から床へと撒き散らされる、それと同時に怒涛の如き感情に呑まれたせいか、ショックさの余りなのか、遠くなり出した意識の中で辛うじて働く脳の一部は私を問う事を止めてくれなかった 私って何なの?私って今も私なの? 私は私なの? "私って一体、誰で何だと思いますか?" 「って話を後輩の女の子からされてさ」 そう話し終えた友人は喉の渇きを思い出したのかストローを口に咥え一息に吸えるだけ飲み物を啜り、喉を鳴らしながら飲み込む様を見つつ、友人が飲み終えるタイミングを見計らって疑問を口にする 「それに、なんて返したの?」 「ちょっと考えるから一日待って欲しいって」 そう返しながらストローの先を軽く噛む友人に"お前の良い所でもあり悪い所だよ、そうやって真面目に返すから変なのが寄って来るんだろ"と言う言葉を飲み込み喉奥へ押し込んで問いを重ねる 「相手は?」 「解りましたって」 「次の日どうなったんだよ?」 「それがさ・・・」 眉尻を下げ声を落としながら口ごもる友人へ 先を話せと目だけで合図する 「その子、大学来なくなっちゃって」 「それ以降ずっと?」 「うん。だから、まだ伝えれてないんだよ」 そう言って先程よりも眉尻を下げ、しょぼくれた顔をする友人の言葉を聞き、後輩の女の子は一瞬だけでも正気に戻り、友人こと意中の先輩へ自分の想いを知られた事か、失態を晒した事かが恥ずかしくなってしまったのだろうか、それとも向こう側に行ってしまったまま戻れなくなったのだろうかと想いを馳せつつ言葉を紡ぐ 「なんて答えるつもりだったんだ?」 「考えて俺には、よく解らなくなってしまったけど今も君は君だと思うよって」 「・・・らしいな」 「俺らしい?」 「うん」 頷きつつ思わず洩れてしまった笑いを収めながら、嗚呼でも、きっと彼女は友人の答えに満足しなかったのだろうな、きっと彼女には解らないままで一層の事、自分とは何なのだろうと深みに嵌り続けるだけだったのだろう、もしかすると意中の相手が、そう言ってくれるのだからと楽になったのかもしれない。なんて考えつつ 「後輩の女の子さ」 と続ける友人の声に耳を傾ける 「大学には来なくなったんだけど、大学周りには来てるみたいで」 「ふむ?」 「来る時間は、まちまちみたいなんだけど」 「うん」 「大学から出て来る人とか、近所の人とかに訊いてまわってるっぽいんだよね」 「なんて?」 「私って一体、誰で何ですか?って」 「・・・へぇ」 彼女は向こう側に行ったまま戻れなくなってしまったんだなぁと何とも言えない気持ちになりながら、自分のグラスに僅か残ったコーヒーを飲みきる 「俺そろそろバイト行かなきゃ」 「じゃあ出るか」 「ここは出すよ」 「悪いから良いよ」 「この前、課題手伝って貰った御礼に」 「・・・なら甘える」 会計を終え、今からバイト先へ向かう友人と自分の帰り道が逆な為、カフェ前で 「じゃあ」 「じゃーなー!また連絡する!」 手を振り、互いに駅へと歩き出す いつか自分は彼女と遭遇するのだろう そして問われるのだ 「私って一体、誰で何ですか?」
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