第2章・加藤優子:物の価値と心の価値

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第2章・加藤優子:物の価値と心の価値

 「もう限界です。別れましょう」  私は彼に告げる。  「ああ、わかった」  彼はまるで散歩にでもいくような軽い返事を返してきた。  彼はそのまま寝るために寝室に引きこもった。  私はイラつきの頂点に達しまだ封を切っていないワインボトルを棚から出し、栓を抜きワイングラスを使わずそのままボトルに口を付け3口ほど飲んでソファーにもたれた。  なんでこうなったんだろう、何処で私は人生を間違えたのだろう。  私はさらにワインを浴びるように飲み昔を思い出した。  私は父母兄私の4人で小さな町で暮らしていた。  父は長距離のトラックの運転手をしてあまり家には帰ってこなかったが楽しく暮らしていた。  私が小学校3年生の頃までは、家に帰ると家は綺麗に掃除され、昨日着ていた服は洗濯され太陽の日を浴びた服達は綺麗に畳んで部屋に置いてあり、キッチンでは母が夕ご飯の用意をしている日常が広がっていた。  私が学校から帰ると母が出迎えそしておやつが待っていた。  そんな日常が当たり前だと思っていた。  しかし、4年生になるとその生活がどんどん当たり前だと感じた日常からかけ離れていった。  家の中はゴミが散乱し始め、洗濯は3日から4日に一度しかされず、学校から帰っても母の姿がない日が多かった。  父は毎日家には帰っていなかったが、家の雰囲気でその異変に気づき始めた。  その頃から度々父と母が言い争う声が夜な夜な響いていた。  私は父と母が言い争う声を聞くのがとても嫌で、布団の中で耳に手を当てて早く終わりますようにと祈っていた。  それから数か月後の夜、母と私と兄の3人で食事をした後、言いにくそうに母が語り始めた。  「実はねあなた達には申し訳ないけどパパと離婚する事になったの」いきなりそう母は私たちに告げた。  私と兄は母からの告白の言葉を聞いたけど一言も声を発しなかった。  「それでね、私は家を出ていくのだけど、私は働いていないからあなた達の面倒を見る事が出来ないの。だからあなた達はパパとこのまま生活してほしいの。私は近くに住む予定だから、なにかあったら会いに来てくれればいいから」  母はそこまで話すと黙ってうつむいてしまった。  私は母から言われた現実を受け入れようと一生懸命自分に言い聞かせて母に言葉をかけた。  「私は大丈夫だよ。ママは近くに住むんだよね。すぐに会いに行くよ」  私は母の言葉を信じてそんな言葉を返した。  次の日、学校から帰ると母は既に荷物をまとめ家を出て行ったあとだった。  その日から生活は一変した。  私は小学4年から学校でバスケットボールの部活を始めていたが、母がいない生活では部活動をやっている時間さえなくなり、私は顧問の先生に理由を伝え部活を辞めることになった。   兄は私より3つ歳が上で中学1年でサッカーを続けていたが、中学2年になる頃には私同様に部活を辞めた。  父から大きな財布とノートを私たち兄弟は受け取った。  「この財布に1か月分の必要なお金を入れておく。このお金の範囲なら何を買っても問題ない。ただ、何に使ったかをこのノートに書きなさい。レシートがあればレシートを張ればいい。レシートがないものは手で書きなさい。どのようにお金をつかったが重要なのだよ」  父は私たちにそう告げた。  その日から私と兄で家の事を分担して行うようになった。  最初はいろんな物を自分たちで買って生活していくのが楽しかった。  料理はほとんど最初出来なかったが、だんだんと慣れていった。  洗濯は洗剤さえ洗濯機に入れれば自動で洗ってくれるので大変ではなかったが、どうしても手間のかかる掃除だけはたまにしか行わなかった。  母がいない寂しさもあったが日々の忙しさでその事を忘れていた。  ある日私と兄の二人で買い物をしていた時に偶然、若い男と腕を組んで歩く母の姿を見てしまった。  私はその光景を見た瞬間なぜ母が父と別れたかの答えにたどり着いた。  私は母の元へ駆け寄ろうとしたが、兄が私の腕を掴み無言で首を横に振った。  私は兄の顔を見ながら涙が出てきた。  私は涙を流しながら兄と二人で母が居なくなるの待ち続けた。  それまで私は母が近くに住んでるから安心とゆう後ろ盾があったが、あの光景を見てその安心は(もろ)くも崩れ去った。    私はそれから母を忘れる為に一生懸命に家事に励んだ。  炊事はもちろん洗濯、掃除、裁縫など夢中で勉強し家事をこなしていった。  家事をやり繰りしていく内に、どの工程がどれだけの時間が掛かるなど時間管理に優れていった。  そして私が中学に入る頃、家族4人で住んでいた思い出のある家を出て、隣町の名古屋市へ引っ越しをした。  そんな私も生活環境の変化と思春期と言う事もあり体に変化が訪れた。  女性ならだれにでも訪れる大人への始まり生理が始まった。  それ自体は得に問題はなかった。  学校の授業などで既に勉強済みの事だったが、それに対して私自身不快感を覚える事柄があった。  私の家では兄と私の共同の財布があり、そして、出費した全てを書き示す家計簿があった。  家計簿は家族全員が見れるものとなっていたので、私が薬局で購入する生理用品に対しても家族に公表しなければならない事が、私の不快感を煽っていた。  最初の頃は生理用品だけ別で購入し違う形で家計簿に記入していたが、そうゆう事をやっている自分がバカバカしくなり途中から無駄な事は辞めてしまった。  そう私は考え方を変えた。  生理用品も所詮はただの紙やプラスチックなどの合成品にすぎない。  装飾品をあしらった服を買うのと同じただの物に過ぎないと思い始めた。  そう思うと全ての物がそうゆう風に見えるようになってしまった。  それは物に対しての執着心がなくなると同意義だった。  物は使えなくなるまで使い、使えなくなったら捨てる、そんな感情を抱くようになった。    私はそんな感情を抱くようになると人前で肌こそ出さないが、友達の前でも購入した下着などを隠すことはなくなり、一般的に言われる羞恥心がなくなっていった。  羞恥心がなくなってはいったが、異性で一人だけ意識する人物がいた。  彼は中学の3年間同じクラスになり、入学当初の席替えで隣通しとゆう偶然から私の中で彼にだけは嫌われたくないと思い始めていた。  私は家庭環境からか少し周りの女子からずれていた面を持っていたが、彼だけはそんな私を偏見な目で見る事はなく、周りと同等な対応をしてくれた。  そんな彼との接点はクラスが同じと言うだけでほとんどなかったが、中学3年生になり彼が夏部活を卒業してから家の方向が同じとゆうことで、半年ほど帰り道に会う事があり一緒に帰ることがあった。   その時に彼と話をした事が中学での一番の思い出となった。  その後彼は進学校へと進み、私は近場の高校へと進学したのでそれ以来会う事はなかった。  高校へと私は進学したが、友達という友達も出来ず、進学率98%以上の中で私は就職を選択した。  私は父と兄から離れ家を出たいと中学の頃から思っていたので就職の選択しかなかった。
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