金さえ生めば世間は黙る

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金さえ生めば世間は黙る

「花純ちゃんってさ、怖いものなしだよね」 雪音さんが私の長い髪を撫でながら、 「花純ちゃんといると金さえ生めば世間は黙るってことが、よーく分かった」 独り言の続きを言いながら、雪音さんは二人が写った週刊誌の記事を楽しそうにめくる。 『大学生デザイナーと新人アーティスト、手つなぎデート、禁断の女同士!?』 無粋な見出しがデカデカと紙面を飾っている。私は大学からは自分の気持ちに素直に生きてきた。高校まで隠してきたこともオープンにするようになった。 在学中から雑貨や文具のデザイナーとして活躍して、マスコミからインタビューを受ければ、自分の恋愛対象が同性の女性であることも隠さずに話してきた。 「お金を自分で稼いで経済的に自立した男性や女性が誰を好きになろうと、その性別がどちらであろうと、周りにあれこれ言われるのはちょっと違うなと思います」 正直、私レベルのデザインが出来る子は通ってる美大に五万といる。ただ私は女の子らしいもの、カワイイものを、とことん突き詰めることが好き。女の子だけでなく、大人の女性までが少女に戻ったように、「これ、カワイイ!」とうれしそうにはしゃいでる姿を見るのが好き。女性がカワイイものを目を輝かせて見る姿を見たくてデザイナーの仕事をしている。 一度デザイナーとして人より早くデビューしたからにはその地位を守りたい。そして、私のカワイイ物への飽くなき執念の源は、やはり恋愛対象として女性が好きということと切り離せない。だから堂々と同性が好きだと公表している。同性が好きだと公表することで他の同じ位の腕のデザイナーと差別化して、自分をアピールする武器にもなる。 同性を好きになる人達の世界では、こうしたアピールに眉をひそめる人もいる。売名行為として断罪されることもある。それでも、 「デザイナーとしての原点は?モチベーションは?」 とインタビューを受ければ、 「女の子がカワイイ物を手にして嬉しそうにしてる姿が好き。いつか自分が愛する特別な女性に喜んで貰える物を作りたい。それがモチベーションです」 真っ正面から答えてきた。 そんなある日、3歳年上の雪音さんと出会った。確か、雑誌の対談だった。雪音さんは最初はアイドルグループのとしてデビューしたものの、鳴かず飛ばず。実力派アーティストとして再デビューした。 「アイドルのときと違ってアーティストは等身大の自分が表現出来ますね。今は同性のファンが多くなって嬉しいです。元々男性にちやほやされたくてアイドルになったんじゃなくて、カワイイ女の子たちと一緒に歌い踊りたいからやってたんで…。アイドルの女の子たちに憧れて」 三十代とおぼしき男性インタビュアーが前のめりで質問する。 「今日の対談でデザイナーの三井花純さんを是非にと言ったのも上城雪音さんですよね。やっぱり雪音さんは女性が好きって噂は本当なんですか?」 男性インタビュアーが唾を飲み込むと同時に喉仏が醜い動きを見せた。興奮して鼻息まで荒くなっている。雪音さんはそんな盛りのついたインタビュアーを嘲笑う。 「好きですよ、女の子が。でも男の人が想像するような安っぽい感情や欲求じゃありません。変な期待してるなら残念ですけど」 男性インタビュアーは嘲笑されてもまだ食い下がる。私と雪音さんを交互に見て頬を真っ赤にして興奮し続けている。 「それは具体的にどんな感情なんですか?」 「この世で一番可愛らしい人を永遠に愛でていたい。そう言えば伝わる?」 そう言うと雪音さんは立ち上がって私の席のすぐ隣に来た。肩にそっと手を添えて静かな微笑みを向けてくれた。私は雑誌のインタビュー中の大胆な行動に心を奪われた。私は照れて微笑み返すのが精一杯だった。 インタビュアーの様子がおかしい。今まで前のめりだったくせに、急に足を組もうとして椅子ごと後ろにひっくり返って倒れた。同行しているベテラン女性カメラマンが助け起こそうとする。私と雪音さんも慌てて駆け寄るとそこには…。 興奮しきった姿を見られまいとして、しくじった男は慌てて内股になって脚をクロスして「生理現象」を誤魔化していた。ベテラン女性カメラマンが笑いを堪え切れずに含み笑いをする。雪音さんと私もあまりの滑稽さに怒るよりも笑ってしまった。 男という生き物は性的な連想や妄想が女性より得意らしい。好きという気持ちは性的なものと必ずしもイコールではないのに、本当に短絡的だ。 雪音さんは同性が好きと公言して、その心情を綴った雪音さんが書いた歌詞が共感を呼んでヒットを飛ばしブレイクした。雪音さんの事務所の社長も、 「CDが売れない時代、何か特色がないとアーティストは難しい。雪音は上手いことやってくれた」 事務所のドル箱になった雪音さんをベタ褒めらしい。 お金を稼ぎさえすれば、誰にも文句を言わせない。私と雪音さんはきっと、金の卵を産むガチョウなんだ。二人とも実力だけで勝負したら、あっという間に他のライバルの間に埋もれてしまう。「レズ」、「キモい」などと陰口を言われてイロモノ扱いされても、実力が同程度ならキャラクターが尖っていて、話題性がある人が稼げる世界。 雪音さんは私を抱きしめたり、キスをすることはあってもそれ以上踏み込まない。それは、私にとって大切されている証で嬉しくもあり、子ども扱いされているようでもどかしくもあった。雪音さんは決まって、 「可愛らしい人は壊さないで愛でていたいの。花純ちゃんはさ、芸能の人じゃないから私の汚い部分を知らないでしょ?知ったら離れていくと思うから」 そう言うと淋しそうにうつむく。雪音さんの憂いを帯びた表情は、掴めば溶けてしまう雪の結晶のように儚くて、ゾクッとするほど美しい。 「花純ちゃんは後戻り出来る所にいるから壊したくない」 私に性的な経験が全くないことは雪音さんにはお見通しらしく、牽制してくる。キスひとつとっても、私からするとぎこちないからバレバレなんだろう。でも、いつかきっと…。私は雪音さんに会う度にもっと深く愛されたいと期待し続けた。 そんな期待は、あっさりと裏切られた。 『上城雪音、織田洋一郎と電撃結婚』 スマホのネットニュースを見て息が止まる。織田洋一郞、今人気のバンド「レッド カニバライズ」のボーカルで作曲家。ソロ活動では何人かの女性アーティストに曲を書いている。雪音さんも最新シングルで織田洋一郎に曲を書いてもらった。 結婚?雪音さんが? もう私は必要とされていないの? 震える手で、スマホの電話帳をタップする。 雪音さんが電話に出るかは分からないけれど、とにかく雪音さん本人から何か言って欲しかった。8コールで留守番電話に切り替わる。留守電に何を言っていいか分からなくて、電話を切ろうとしたそのとき、 「もしもし…」 雪音さんの声がした。私は絞り出すように、 「あの、その、お、おめでとう…け、結婚」 心とは裏腹な言葉をたどたどしく告げた。もう会えなくても雪音さんに嫌われたくない。 「私、言ったでしょ?花純ちゃんに汚い部分を知られたくないって。結局金なのよ、この世界。女のアーティストなんて、年を取れば需要が無くなる。今のうちに稼げる作曲家捕まえて結婚して、カードを揃えて上がる方が利口なの」 冷めたというより、氷のような冷気を感じる声だ。私は茫然としつつも、 「雪音さんが…幸せになれるなら…私は…。私は、大丈夫だから」 無理に明るい声で言ってみた。雪音さんはため息をひとつつき、シュボっと言うライターの音が電話越しに聞こえてくる。ああ、雪音さんがまた煙草を吸ってる。歌い手なのにどうしても煙草が止められなくて、1日3本までって我慢して本数減らしてたんだよね、確か。 「もう歌わないから煙草も我慢しないで好きなだけ吸えるし…。花純ちゃんとのことも…ただの話題作りだから。お金さえたっぷり貰えれば、私は男でも女でも利用出来ればどっちでもいい。今度はさ…騙されないで自分をちゃんと好きになってくれる人見つけなよ」 私はさすがに怒りが込み上げて来て、語気を強める。 「話題作り…?本当にそうならどうしてそんなにグスグス鼻声になってるの?泣いてるなら素直に悲しいって言ってよ…」 ダメだ、泣かないようにと思っても涙が溢れてくるし、電話の向こうで雪音さんも泣いてるのが分かる。 「可愛らしいものは壊さずに愛でていたいなんて、全部私の我が儘だった、逃げだった、保身だった。ごめん…。」 雪音さんの嗚咽が響く。私は涙を拭って答えた。 「もう…分かった。私は織田洋一郎という男に負けたんじゃない。織田洋一郎の桁外れの財力、お金に負けたんだと思うようにするから。さよなら…雪音さん。もう、過去形にするから、好きだったよ」 雪音さんも鼻を啜る音がして深呼吸するのがスピーカー越しに伝わってくる。 「私も花純ちゃんが好きだった。傷つけてごめん…さよなら」 電話は私から切った。部屋のカーテンにそっと手をかけると、外に待ち構えているマスコミの気配がする。どうやら私のコメントを取りに来ているらしい。 22歳の若さで自分のお金で建てた家の庭には植え替えたものを買った大きな桜がある。雪音さんがマスコミに追われず家でゆっくり花見をしたいと言うから後から買った桜の木だった。私ももう24歳か…。2年しか雪音さんと一緒にいなかったのに、10年位の長さに感じる。 4月の東京だと言うのに牡丹雪が降っている。桜の花は所々雪に覆われて、滲むような淡いピンク色の花弁が今にも散りそう。雪に花。まるで雪音さんと私みたいだ。 降りしきる雪にもめげず、マスコミの人間はしぶとく待ち構えている。私はメイクを直して泣いて充血した目に目薬を差す。泣いていた跡を消し去る。 待ちくたびれたマスコミの人間を自宅の庭に入れて、雪に彩られた桜をバックに取材に答える。 「雪音さんと過ごした時間はとても素敵な宝物で後悔はありません。どうかお幸せにと思ってます。普通の恋愛と何も変わりません。別れが来ただけです」 笑顔の私に向けて一斉にフラッシュが焚かれる。私をズームする好奇心丸出しのテレビカメラ。私の胸元には雪音さんがプレゼントしてくれたダイヤとパールで雪の結晶をデザインしたペンダントが光る。二人だけに通じる桜と雪の背景、胸元のペンダント。 最後の最後は笑顔で愛した人を見送りたい。私は男に負けたんじゃない、お金に負けただけ。そう自分に言い聞かせて、気丈に振る舞い笑顔をカメラに撮らせた。 「やはり女性同士だと結婚が難しいですか?子どもとか考えると?」 せっかくの最後の舞台を無神経なリポーターが台無しにしようとする。させてたまるかと思って、 「そういうことじゃないんです。単純に雪音さんにとって私より織田洋一郎さんが素敵な人だから。そういうことだと思います」 強がった笑顔のまま、ついに言い切ってしまった。織田洋一郎の財力に負けただけ!コイツは桁外れの金持ちだから、金の力で雪音さんを手に入れた!そう叫びたいのに良い子ぶった答えしか出てこない。 牡丹雪が猛吹雪に変わる頃、マスコミの取材を切り上げた。雪の重みで庭の桜はハラハラと涙の粒のように散り落ちていった。その花弁を手のひらにのせて、 「まだ私は終わらない」 自分を奮い立たせた。愛や恋を失くしても私には心の支えになる仕事がある。これからもデザイナーとしてもっともっと稼いでみせる。雪音さんが織田洋一郎を選んだ事をいつか後悔する位、金を稼いで稼いで稼ぎまくってやる。悔しさで握りしめた拳。手のひらの中で潰れた桜の花弁から、春の甘酸っぱい香りが漂っていた。その香りは初めて愛した人の香りと似ていた。
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