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「深大寺の五大尊池は、地下で水生植物公園の池と繋がっているんだ。こっちの水が枯れると、あっちの水も枯れる。で、その水がどこに行くかというと、弁財天池に流れ込む。だから、この池には水の神様が祀ってあるのさ」
彼は、もっともらしい嘘を付くのが好きだ。
この辺りには湧水もあるし、聞く人が聞くと、ああ、と納得してしまいそうだけれど、そんな事実は聞いたことがなかった。もし、そうだとしたら、この辺一帯の池全部が枯れた時は水はどこに行くのやら。
私は無言で、美味しそうに蕎麦をすする彼を見て、ふいっと視線を外した。
この蕎麦屋の二階からは、件の弁財天池が見下ろせる。彼の話に呼応するように、池の鯉が跳ねた。黄昏時の太陽に照らされて、それは黄金の鯉になった。
深緑も爽やかなこの季節のこの辺りを、私も彼も気に入っていた。
賑やかで、静か。暑くて、涼しい。
広いバラの園だってあるし、深大寺城跡で兵どもの夢の跡だって見られる。
素敵なエデンの西。
私がため息をつくと、彼は間髪入れず、私の額を叩いた。
「無言で否定するなよ。よし、じゃあ、これから確かめに行ってみるか?」
蕎麦をすする音が、誰かが泣いているように聞こえて、思わず顔をしかめた。
蕎麦屋を出て、湧水が造る小川に沿って歩く。深大寺の朱塗りの山門をくぐり、階段を登って、手水舎の井戸で手を洗う。お参りをする時に投げた賽銭の音が、チリリンと風鈴のように鳴り、心に透明感を持たせる。5色の垂れ幕が風に揺れている。
私にとって憂鬱なのは、夏。
縁結びの神様だって言うから、来るたびにお祈りするのだけれど、なかなか叶わない。神様も夏バテなのだろうか。
「ここに祀られている深沙大王も水の神様なんだぜ?日光の神橋があるだろ?日光山の開祖、勝道上人が日光山に向かう途中、大谷川の激流に阻まれて立ち往生した時に祈願して現れたのが深沙大王なんだ。その姿は夜叉のようで、右手に赤と青の二匹の蛇を巻いていたそうだよ。その蛇が神橋に化けたのさ。激流に『橋』を渡すから縁結びの神様なのか、ここの開祖、満功上人の両親の縁を取り持ったからそうなのか。いずれにせよ、縁結びの神様のくせに憤怒の形相をしている。よほどの悲恋の持ち主らしい。だから」
と、彼は私の眉間を突いた。
「お前も、そんな顔をするんだろうね」
彼は、もっともらしい解説をするのが好きだ。
本堂の左横に周ると、可愛らしい森に囲まれた五大尊池が見える。本堂から続く回廊下にある、これまた可愛らしい滝が流れ込み、さらさらと涼しげな音を出す。五大尊池にも鯉はいる。彼がパーンと拍手を打つと、鯉は呼応するように跳ねた。それは日陰に隠れて、黄金にはならなかった。
「それにしても、この辺は湧水が多いね。釈迦堂もそうだし、深沙大王堂の所も不動の滝もそうだ。どこから湧いてくるんだろう」
私は肩をすくめてみせた。彼風に言うなら、悲恋の神様、深沙大王が泣いて、泣いて、その落ちた涙が地下に染みて噴き出しているのだ、とでもしておこう。
この辺の湧水は枯れる様子もないから、神様はずっと失恋したままなのだろう。私が、枯れそうにもないよ、と目で訴えると、彼は「枯れそうにもないな」と笑った。
彼が私の手を取って歩き出す。夕日が最後の悲鳴を上げて、体中にへばり付く。しばらくすると、握り合った手と手の間から雫が落ちた。
閉園間近の水生植物公園には、人は疎らにしかいない。蓮も睡蓮も眠ろうとしている。水と緑の二色だけのコントラストは、夜を待たずして涼しげだ。兄妹と思われる子供たちが、足音でリズムを取り、歌いながら横を通り過ぎた。
公園に張り巡らされた小橋の上で、彼はしばらく考え込むように俯いた。池や湿地の上を通るから、風は意外と冷たい。
びゅう、と一瞬、強い風が吹き、私の体をさらおうとした。彼が連れ戻すように手を引く。冬将軍ならぬ、夏将軍といったところか。
「あともうちょっとで閉園だから、そこの上で隠れていよう」
彼は再び私の手を引くと、湧水が流れる小橋を通り、小道に逸れた。
呆れた。不法侵入をする気かしら。
私が呆然とした顔をすると、彼は片眉を上げた。
「意外とモラリストなんだな」
彼も私も足を止める。小高い丘に続く森の小道で、しばらくの間、見つめ合った。
そんな二人を不審に思ったのか、閉園の見回りに来た係員に注意された。私は、恥ずかしくて太陽の沈む方向へ視線を逸らした。
彼は係員に何か言っているようだ。困ったように係員が渋い声を出す。
困るよ、そこを何とか、困るんだよね、今日だけは。
何だか、彼女の家に泊まるために必死になっている彼氏のようで情けない。彼は運転免許証まで提示し始めた。こんなに必死に頼み込む彼を私は見たことがなかった。彼でもこんな顔をするのか。
何十分、押し問答を繰り返していたのだろう。結局、係員が折れたようだ。彼が得意げにこっちを見る。
「21時まではOKだってさ。さあ、行こう」
そう言って、彼は小道を登り始めた。
深大寺城跡の城郭跡は芝生の広場で、その一画にモダンアートのような背の小さい城の柱が復元されている。彼は無言で夕日を見つめているけれど、ここからの夕日はそんなに美しくない。芝生が太陽の残滓に焦がれるから、昼間のような熱気が私たちを下から襲う。下の池に戻りたい。睡蓮のように眠りたい。
「虫除け、持ってくればよかったな」
それでもって、全然ロマンチックじゃない。
パチン、パチンと、蚊を叩く音がする。その音がするたびに、すうっ、すうっ、と辺りは暗くなっていく。
太陽の絶叫を聞いたような気がした。
素敵なエデンの西。
閉園した公園には誰もいない。私と彼と月の三人きり。
先ほどまでは焦がれていた芝生も、今は月の光を浴びて青白く冷ややかだ。
芝生の上に、二人して寝転んで空を見る。
蚊を叩くのを止めた彼が、風が吹くたび、トントンと太ももを手で叩いてリズムを取るので、何の気なしに、何の曲?と目で伺う。しばらく沈黙の末、彼が答えた。
「新世界、第4楽章」
『家路』ではなくて、なぜそんな激しいメロディーラインの曲を選んだのか。月と城なら、単純に『月光』。あと、『荒城の月』とかね。彼が今、どういう心境なのか、全然想像がつかない。今日はそんなに風も強くない。何か関係があるのかと思ったけれど、ドボルザークと城郭の関係性なんて聞いたことはなかった。
指揮者のラファエル・クーベリック風に言うなら、この世界がドボルザークの見た幻想で、真の喜びの世界であるならば、いくつもの満たされない人たちが対位法の中で満たされなければならないし、この世界によって導かれるのは美と愛の思想となるわけで。
それでも、やっぱり幻想だから、私たちは新世界に行くことなんて出来ないのだ。
ドボルザークは私をイライラさせるし、彼は私を憂鬱にさせる。
「今時期なら、蕎麦畑に花が咲いているかもな。行ってみる?」
蕎麦とドボルザークもご勘弁願いたい。私は無言で首を振った。
彼は立ち上がると、私に向けて手を差し出した。
「行こう。もう時間だ」
差し出された彼の手の腕時計をみると、もうすぐ21時になるところだった。
彼は、意外とモラリストだ。
水生植物公園の入口には、時間きっかりに係員がやって来て、門を閉めた。
さようなら、素敵なエデンの西。
彼は係員に礼を言うと、再び私の手を取って歩き出し、来た道を戻った。
どこに行くのだろう。彼も、私も。狭い時空を行ったり来たりして、どこにも進めないでいるのかもしれない。幾つもある蕎麦屋も甘味処もお土産屋も、店じまいをしているから、人の気配がない。表参道を歩く音も、彼と私の二人分。
深大寺を通り過ぎ、境内脇の小道に折れる。蕎麦屋を何軒か通り過ぎると、鬱蒼とした森の小道に入った。どこまで続くのかわからない暗闇の中で、私たちは恐る恐る進む。ヘンデルとグレーテルのように。
稀に木々の間から零れる月明かりが体中にぶつかり、弾ける。
真夏の夜は暑い。繋いだ手も汗ばんでくる。彼の喉仏を汗が伝っている。
「暑いな」
彼がこちらを見て笑った。私も笑った。そして、再び視線を前に向ける。
暗闇に、ぽっかりと空洞が見えた。
出口だ。
無意識に早歩きになる。ザッ、ザッ、と砂を蹴る音がする。もうすぐ、もうすぐ。ザザッ、ザザッ、と二人の足音が重なる。
あと一歩と、足を踏み出した瞬間、私は思わず目を瞑って立ち止まった。
暗い暗い森の中に居たから、こんな月明かりでも眩しいのだ。
私が立ち止まっていると、彼は静かに、それでも力強く手を引いた。
「おいで」
彼に促されて目を開けると、そこには至る所に大小様々な石のオブジェがあった。
人は普通、これらを墓石と言い、これら一帯を墓地と言う。おいで、と勧められて見るものじゃない。私は目を背けた。
夜の墓地なんて、全然ロマンチックじゃない。
私が怒ったような顔をすると、彼は笑った。彼はさらに私の手を引いて、石の森の中を確かな足取りで進む。
石の森、石の森。
そして、1つの墓石の前で止まった。彼はその墓石の後ろに周り、彫り込まれている名前を指でなぞった。
私も彼の傍に行き、その墓石の名前を覗き込む。
あっ、と思った瞬間、隣を見る。
すると、彼が見えなくなった。
見えなくなった。
見えなくなった。
たぶん、私は泣いていたのだろう。
その年の夏、五大尊池も水生植物公園の池も枯れなかったけれど、不動の滝の水は枯れた。
彼はもっともらしい嘘を付くのが好きだし、もっともらしい解説をするのも好きだ。
だから、来年はこう言うのだ。
「不動の滝は、この辺り一帯の湧水と地下で繋がっていて、そこから余分な水を吐き出しているんだ。だから、湧水の池に余分な水がないと枯れる。つまり、不動の滝が枯れるということは、全ての湧水が枯れてしまう危険があるということなんだ。本来なら“有動の滝”なんだろうけれど、願を掛けて“不動の滝”なんだよ」
湧水が常に満たされているというのは、私たちの幻想なのかもしれない。ただ、対位法の中で満たされているだけで、何処かバランスが崩れれば、湧水は枯れてしまうのかもしれない。その水が、どこに行くのかは知らないけれど。
だから、私は常に泣くのだろう。
毎年、彼は命日になると現れる。何歳になっても、結婚をしても。きっと、おじいさんになっても現れるに違いない。
深大寺の裏山には墓地があり、そこには私が眠っている。
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