恩返し

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「せっかくだから作り方覚えたほうが、元気になった時に、自分でちゃんとごはん食べていけるでしょ。ほら、こっち入って来て」  店主は手招きして僕を厨房に呼び寄せる。  僕は、これ以上借りを上乗せするのはマズいと思いつつも、断るのもそれはそれで向上心の無いヤツみたいで、恩に報いる気がないと思われる気がして、素直に従うことにした。  それから二ヶ月くらい経って、僕は店主に内緒でバイトを始めた。  まだ体力に自信がなかったから、朝10時から午後2時までの、短時間のコンビニのバイト。それで少しずつお金を稼いで、毎月の生活費の足しにした。  貯金はもう十万円を切っていて、一文無しになるのも時間の問題だった。安アパートとはいえ、短時間のバイトでは家賃光熱費を払うのがギリギリだ。あの時ご飯を食べられる場所を捨てなくて良かったと、心から思っていた。  やがて、働くリズムを取り戻して自信がついたので、バイトの時間を少し増やすとともに、僕は本格的に仕事を探し始めた。  店主には秘密にしたままだった。  菜食食堂で世話になり始めてから、実に一年が過ぎていた。  ついに再就職先が決まったのだ。  そこは少人数のアットホームな職場で、以前の仕事のスキルも生かせる分野だった。給料は前の会社よりは少ないけど、残業はほとんど無く、社会保障完備、週休二日制。  ホッとひと安心だった。  これで、あの店に通う日々も卒業だ。  店主に疑念を持ったあの時から約半年。  この半年も店主の対応はやっぱり変わりなく、美味しいごはんを準備してくれて、パスタの作り方も何度も教えてくれた。たまには横で教えながら僕に作らせることもあった。中でもフレッシュトマトを入れる、野菜たっぷりのパスタは、簡単で美味しくて、僕の得意料理になった。  これだけのことをしてもらったのだから、やっぱりお金を払うことから逃げてはいけない。月々少しずつでも、恩を返していくのが筋というものだろう。僕はそう思えるようになっていた。  ただ、店主の口からそれを要求されるのは嫌だ。完全な好意だと信じた気持ちを砕かれて、現実を思い知らされるのは、さすがに辛い。最後まで、店主に裏の思惑なんてなかったと信じたい。この経験を美談として終わらせたいのだ。  だから、店主がお金のことを切り出す前に僕から支払いの話をしよう。そう決めて、僕はいつもの時間に菜食食堂へ向かった。
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