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店主は驚きもせず、微笑みながら言う。
「私もねぇ、若い頃に体を壊したことがあるの。その時、病院でたまたま一緒になった、全然知らないおばちゃんにね、言われたのよ。“受けた恩を、必ずその人に返そうと思わなくていい。返せる時に、他の人に返せばいいのよ”って。どうしてそんな話になったんだか、全然覚えてないんだけど、その言葉が妙に心に残ってね。でも当時は意味がよくわからなかった。それから五年、十年、生きていくうちに、人生には、返せない恩があるって、気づいたの」
「返せない恩……?」
「恩を受けた人と、何かのきっかけで疎遠になったり、恩を返せないまま死別っていうこともある。先輩からちょっと奢ってもらったりとか、そういう恩もいちいち返せなかったりするのよね。そうやって溜まった“返せない恩”を、返せる余裕ができた時に他の人に返せばいいって、あの時のおばちゃんは言ってたのかなぁって……。私けっこう転々と生きてきたから、返せない恩が溜まり過ぎちゃってて。そんな中で、ガリガリに痩せて今にも力尽きそうな君が助けを求めてきた。私にとっては、君との出会いは恩返しのチャンスだったのよ。だから、ありがとう。助けさせてくれて」
「でも、そんなの、僕じゃなくても……」
「そうでもないのよ。黙って助けられてくれる人って、なかなかいないんだから。私は少しでも恩返し出来て、君は元気になれた。何かの縁だったのよ、これも。だから私に何も返さなくていいから、気にしないで。それじゃ、がんばってね。君の人生、まだまだこれからなんだから」
そう言って、店主は笑顔で僕を送り出した。
僕は拍子抜けして呆然としたままで、最後にちゃんとお礼を言って頭を下げたか、覚えてない。自転車をこいでいつもの道を帰りながらも、僕はまだ店主の言葉をキチンと飲み込めずにいた。
ただ、この一年の出来事と今聞いた店主の話を、きっとこの先の人生で何度も何度も、何度も思い出すんだろうという予感だけが、霧のように朧気に心の中を漂っていた。
〈終〉
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