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定休日の日曜祝日を除いて、僕は毎日午後三時にその店へ通った。
お店の営業時間は、十一時~午後二時半のランチタイムのみ。なので、お客さんが引いてひと段落した三時頃が、タダ飯食いの僕を受け入れるのに都合のいい時間なのだ。
店主は僕に食事を提供すると、厨房の片づけやら翌日の仕込みやら事務仕事やらをしているらしく、無闇に話しかけて来ることはなかった。おかげで僕もあまり気を遣わずに、落ち着いて食事をとることができた。
ずっと家で一人で寝ていると、悲観したり、悔しくなったり、不安になったり、怖くなったり、悪いことばかり考えてしまっていたが、こうして少しがんばって店まで出て来さえすれば、外の空気と、温かくおいしいごはんと、店主の笑顔が、いつも僕の気持ちを一新してくれた。
この時間が、薬より何より心強かった。
店主はたまに、今日は多めに残ったから、と言って、タッパーに夜ごはんの分まで詰めてくれた。僕はそれを、家でレンジで温めて食べた。
逆に客入りが良く、ごはんやお味噌汁など作り置きのものがなくなってしまった日もあったが、そんな時はわざわざパスタを作ってくれた。しかも、野菜をたっぷり入れて。
悩みが軽くなったからか、夜もよく眠れるようになり、半年も経つ頃には胃腸もすっかり回復して、少しずつ体が元気になってきた。
痩せてしまってベルトで無理やり締めて着ていたデニムも、常識的な締め具合でずれ落ちなくなった。
家にいるときも寝てばかりじゃなく、片づけたり、本を読んだり、パソコンの前に座って作業をしたりと、生活の質が上がってきた。溜まりがちだった洗濯もこまめにできるようになり、食事に出たついでに少し自転車で周辺を回るだけの余裕も出て、気持ちも体力もずいぶん上向いた。
もしかしたらそろそろ、また働けるんじゃないか。
そう考えると、希望が湧いてきたとともに、毎日タダでご飯を食べさせてもらっていることに、しだいに罪悪感を覚えるようになった。
店主は今も変わりなく僕を迎えてくれる。でも、本当は心の中で「いつまで来るつもりだろう」と思われていないとは言い切れない。
第一、見知らぬ他人に半年もタダでご飯を食べさせるなんて、そこによっぽどの理由ーー実は生き別れた母親だとか、僕のことを恋愛感情として好きだとか……、そういうものがなければ、考えられない。
とはいえ、年齢差的には母親は無さそうだし、恋愛感情みたいなものは全く感じられないくらい、接し方がサッパリとしている。逆に、関係が近づき過ぎないように一定の距離を取っているようにすら感じるほどだ。
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