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恩返し
「スミマセン……、あの、ここで……バイトできませんか?」
恐る恐るそう切り出すと、店主の女性は目を丸くして小さく「エッ」と言った。
家から自転車で十分くらいのところにある、四十代くらいの女性が一人で切り盛りしている個人経営の飲食店。
以前の勤め先の近くだったので、何度か食べに来たことがあり、このお店の優しい味と心地いい雰囲気に癒されていた。……ということを、無職になって数ヶ月が経った今、部屋でベッドに寝転がって今後の人生を悲観していたら、ふと思い出したのだった。
お店の表示が『Closed』から『Open』に変わるなりドアを開けて中に入ったものの、お金が無く、この店でランチを食べることができない僕は、温かい笑顔で迎えてくれた店主にいきなりこの質問をぶつけた。
正直、切羽詰まっていた。不躾になってしまったが、自分にはこれ以上どう繕うことも出来なかった。
縋るような思いで店主の返事を待っていると、僕の後に続いて二人組のお客さんが入って来てしまった。
「いらっしゃいませ、こんにちは」
店主は二人に明るく笑いかけ、僕に「ちょっと待ってね」と一言残して、テーブルについた二人にお水とメニューを出しに行った。
僕は所在なく足元を見ながらその場に立っていたが、店主はすぐにこちらに戻ってきた。
「ごめんなさいね、これからちょっと忙しくなるから、午後からまた来てもらうことはできます?」
「あ……大丈夫です……」
「それじゃ、三時頃に来てもらえれば」
「わかりました……」
僕は軽く頭を下げて、店を出た。
とりあえず、門前払いはされなかった。
それだけで、希望が見えて、涙が出そうになった。
一旦家に戻り、約束の時間に再び店に来た。
この店は菜食食堂だ。つまり、肉魚を使わない、植物性の材料だけを使ったお店。
仕事のストレスで長らく胃腸を患っていた僕に、この店の料理は優しく、お昼休みにここでご飯を食べた日だけは痛みを感じずに午後の仕事を乗り切ることができた。ただ、それから程なくして体調不良で仕事に行けなくなり、そのまま辞めたため、ここに来たのはほんの三、四回だけだった。
店のドアには『Closed』の表示が下がっている。もしかして騙されたのかと、一瞬不安になって怯んだが、ドアをそっと押してみると、ちゃんと開いた。
「あ、いらっしゃい。どうぞ、入って」
一文にもならない僕に、店主はお客に向けるのと同じ笑顔を見せた。
そのまま席に促されて、僕は椅子に腰を下ろした。
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