臆病者の恋

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「智之さん、今日もお休みするの?」 朝になっても、ベッドから起きてこない僕に、華絵は声を掛けてくる。 「…ん、ああ、行くよ」 「そう。スーツこれでいい?」 華絵が用意してくれてたのは、グレーのストライプの入った、少し派手目のものだった。 「あ、いやそれは…」 「気に入らない?」 今日は取引先の工場を視察予定だ。出来る限り地味な方がいい。 「自分でやるからいいよ」 「じゃあ、ご飯用意しておくから」 「いや、それもいい」 「え」 「食欲はないから、着替えたら出る」 華絵を鬱陶しく思いながら、僕はクローゼットから、ネイビーのスーツを出して、袖通した。 彼女は普段通りなのだ。それを受け取る僕の方に、余裕がないだけ。 「行ってくる」 「行ってらっしゃい」 ぎこちない朝の挨拶をかわして、家を出たものの、出社するには、少し早すぎた。 いつもなら素通りしている喫茶店がその朝は何故か妙に気になって、ふらっと入ってみる。 まだ朝早いのに、その店は、僕みたいなスーツ姿のサラリーマンで結構混んでいた。 「何にします?」 「あ…じゃあ、ブレンドとトースト」 たまたま目に入った厚切りのトーストの写真がやけにおいしそうに見えて、そう答えていた。 ビジネスバッグを席に置き、ケータイのメールを確認していると、コーヒーとトーストが運ばれてきた。 何の気なしに飲んだコーヒーはものすごくおいしかった。 何が違うんだろう、豆か、焙煎方法か。思わず店主の方を見て、コーヒーを淹れる手元を確かめようとしてしまう。 席からだとよくわからなかったが、特に変わった淹れ方はしていなかった。ネルドリップを、ポットで一杯一杯丁寧に淹れてるだけ。 毎朝のように通うサラリーマンが多いのだろう。席がかなり埋まっていたのも、納得だった。 ――頑張って働く人のために、安らぎと憩いの場を作る…。 こういう仕事もいいな。喫茶店に興味を持ち始めたのは、その店に通うようになってからだ。
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