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臆病者の恋
side 智之
「智之さん…好き…」
掠れた声が耳朶を打ち、更に恋情を激しくさせる。
客と店員。10も違う女性。それに――うまく行くわけがないのだから、と何度も迷って躊躇って、手を伸ばすのをやめては、諦められなくて…だけど好きだと言うつもりもなかった。
「…一生言わないつもりだったのに」
恨み言をこぼしてから、僕は観念して、僕の心の奥にしまいこんだ感情を取り出して、言葉にした。
「好きですよ、咲良さん。とっくに僕は、一店主としてのラインは踏み越えてました」
多分、咲良さんが手の内を見せてこなかったら、告げるはずもなかった思いを、僕は吐露させられて、今も――。
「やっぱり帰らないでください…って言ったら、どうします?」
僕のずるい質問に、彼女はいつだって正直に素直に答えてくれるから。
「私も…もっと傍にいたいです」
「そんなこと言われたら、絶対帰せないじゃないですか」
結局僕の我慢も理性も、あっけなく瓦解して、我儘な欲望が弾ける。
触れるのが怖いくらい、彼女の身体は綺麗で、しなやかだった。
いつ以来だっけ、誰かとこんな風に肌を重ねるのは。
自分の中にまだこんなにも、熱く滾る想いがあることに驚いた。
ベッドの中で他愛ない話をしているうちに、咲良さんは眠ってしまった。
肩が出ていたので、風邪をひかせては…と思い、毛布を掛けてから、自分はベッドを出た。
夜中の2時。世の中には自分しか起きてないんじゃないかと錯覚するくらい、室内も外も、静かで暗い時間。
バルコニーに出ると、薄暗い月がひっそりと輝いてた。
自分なんかが幸せになってはいけないのに。
舞い上がった気持ちに水を差され、過去の咎を責められているように思えた。
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