きみの春を知りたい。

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「ちょっと付き合って」 「どこに?」 「散歩。駅まで遠回りになるけど、最後だし」 最後って言葉を渡辺くんの口から聞いて、妙にドキッとした。 悪い想像に結びつくような意味ではないってわかってるのに、その言葉はわたしを不安にさせる。 「相沢さんが良ければ、どうかな」 伺うような口調に、無意識のうちにぎゅっと握り込んでしまっていた両手の力が抜ける。 今まで一度も、渡辺くんと足を揃えて校舎を出たことはない。 不安よりも、はじめての経験をさいごのときになってできることへの心地良い緊張が、微かに強ばった体を解してくれた。 「行きたい」 「うん。じゃあ、行こう」 そう言いながらもわたしに背中を向けようとしない渡辺くんを不思議に思っていると、立ち止まっていた真横の教室のドアが開いて、数人の男女が雪崩出る。 ぺしゃんこなカバンには、卒業証明書や三年分の思い出、三年分の涙も、まだ詰まっていない。 今日、終わったはずの春は、今より新鮮な風をはらんで、四月にまたやってくる。 わたしがそれを経験できるのは、あと一度だけ。 ぼうっと、楽しげな様子を眺めていると、手首と手のひらの間を軽く掴んで引っ張られた。 「行こう」 「あ……ごめんね」 渡辺くんが苦手なことの、ひとつ。 賑やかな雰囲気は嫌いじゃないけど、騒がしいのは苦手らしい。 教室内で誰かが騒ぎ始めて、別の誰かが囃し立てて、止まらなくなってくると渡辺くんはいつも廊下に出て行っていた。 わたしは喧騒に巻き込まれさえしなければ、雑音も騒音も聞き流せるから、そんなに気にならないけど、今日だって渡辺くんが早々に教室を後にしたのは、羽目を外したクラスメイト達の間にいたくなかったからだと思う。 せっかく早く出てきたのに、他の人たちとタイミングが被ってしまったら、きっと嫌な思いをする。 「なんで謝るの?」 「え……?」 「何に謝る必要があるのかわからない。ごめんって言われても、意味がわからなかったら言わせたみたいで……なんか、こっちが申し訳なくなる」 緩く掴まれていた手は階段に差し掛かったところで解かれた。
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