きみの春を知りたい。

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風の音が強くなって、磯の匂いが鼻を掠める。 「見て、相沢さん」 ふたりの間の真ん中にあった手が、渡辺くんの方へと引かれる。 声に促されるままに顔を上げると、空の青、花弁の桃色、その足元に敷き詰められた緑が、鮮烈に目に飛び込んでくる。 「やっと顔を上げてくれた」 笑い混じりの優しい声が耳元により近い気がして、渡辺くんを見遣る。 前髪の隙間から、奥二重に閉じ込められた黒目がちな瞳がわたしを見ていた。 「相沢さん、いつも下を見てるからどうしても最後に目を見てみたくて、連れてきたんだ」 「……最後なんて言わないで」 いつも下を見てるのは渡辺くんでしょう。 真っ直ぐに前を向いて、払う程度に前髪を退けてくれたら、渡辺くんと目を合わせるくらい簡単なことだ。 わけがわからなくて、でも、ただひとつだけ『最後』って言葉だけはすぐに否定したかった。 来年も同じクラスになりたい。 渡辺くんと話ができて嬉しかったって知ってほしい。 渡辺くんの春の終わりと始まりの間に見る景色と聞こえる音を共有したい。 今日を思い出にして終わるなんて、そんなの。 「最後なんて、いやだよ」 目尻に滲んだ涙が、目の下まで伸びる前髪を張り付かせる。 渡辺くんを見ていたはずの視界のほとんどが、日に透けて茶色い前髪に遮られていた。
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