第四章 心を映すガラスの靴

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第四章 心を映すガラスの靴

『サン・ドリヨン商店街』の中心、大きな仕掛け時計がある交差点で、私はため息をついた。 あれから・・・姉がパーティに行って、私が靴屋さんを訪れた日から丸2日、私は家に引き籠っていた。 自己嫌悪に襲われて、外に出たくなかった。でも買い置きが無くなったから、仕方なく今日は買い物に出てきたのだった。 買い物のメモを確認するに、靴屋さん方面には行かなくて済むからまぁいいか。 ポケットにメモをしまって、顔を上げた時「えっ?」と言葉が漏れた。 黒っぽいスーツの女性が、スマホを手にキョロキョロとしている姿が目に入った。人影まばらな商店街において、その女性はあまりににも際立って、輝くような美しさだった。 「真白!?」 「羽入?どうしたの、こんな所で」 ・・・真白の言葉は、いつも私の一歩先を行ってしまう。 「私、この辺に住んでるから」 「えっ?そうなの?ごめん。じゃあこないだは呼びつけちゃったんだね」 「それはいいの。私もたまには、ああいうお洒落な所でランチ食べたいし」 「電車でちょっと走るだけで・・・都内っていっても随分変わるものね」 「ま、まあね・・・なにか探してるの?良かったら案内するよ」 「いいの?用事は?」 「ただの買い物。全然暇だから大丈夫」 「ありがと。この辺に『carriage』の店舗があるはずなんだけど」 ・・・頭の中に、あの中世の建物みたいな可愛いい外観のお店が浮かぶ。木製の看板に、確かに『carriage』って。 「あ・・・あああ。知ってるぅ・・・こっちぃ」 背中にどっと冷や汗が流れた・・・なんでまた、よりによってあそこなの? 案内するって言った手前、今さら一緒に行かない訳にはいかないしなぁ。 「助かるよ。またすぐに戻らないとでさ」真白はスタスタ歩き出す。 「でもなんで?わざわざあの靴屋さんに?」 「靴屋?バックや小物類がメインじゃない?」 そう言えばこの間入ったら、バックの方が幅をきかせてて『変わった』って思ったんだった。 「若社長のお使いなのよ。バックの色、柄が決まってて、どうしても購入してきてくれって。で、本店に問い合わせたら、ここの店舗にしか在庫が無いって言われてさ」 「本店って?あのお店、チェーン店なの?」 「知らなかったの?『carriage』って結構有名なブランドよ。本店は銀座にあって、他に都内に数店舗あるわ」 「私は子供の頃から、この町の靴屋さんって印象しかなかった」 「待ってよ・・・ああそうか。元々は靴屋だったわ。創業者が靴職人だったのよ。でも創業者亡き後、継いだのがその妻で・・・結構年の差あったのよね。彼女がバックに着目して」 カララーンって音と「いらっしゃいませ」の声。 「・・・商才があったのよね。それからバックや財布といった革製品でトレンド入りしていって、今の地位があるのよ」 「へぇ〜真白詳しいね」 「前にね。営業かけようと思って調べたのよ。確かに靴があるわね」 「えっ?」ここで初めて、店内に入ってしまってることに気付いた。 店の前までのつもりだったのに、話に夢中でまるで気が付かなかった!! 真白がカウンターに行ってる間、私はどぎまぎしながら靴コーナーに留まっていた。 確かお姉ちゃんが『いつ行っても会えない・・・』って言ってたよね。皇紀さんは居ないことの方が多いのよね。実際、いま現在は姿が見えないし・・・と思っていたら、店員の男の子が裏に『取り置き』のバックを取りに行きすがら、 「新寺さん来てますよ」と誰かに声をかけた。 (わざわざ呼ばなくてもいいのに!!) 「いらっしゃいませ。ありがとうございます」 皇紀さんは先ず真白に会釈をしてから、靴コーナーへ入ってきた。 私はもう目を伏せて、小声で「この前はどうも・・・」と言うのが精一杯だった。 皇紀さんは相変わらず爽やかな笑顔で、私に近づくと少し声を潜めて言った。 「パーティの後、麻魅さん大丈夫でしたか?」 「アサミ・・・姉、ですか?」 あの夜は確か、0時前には帰ってきたはず。私は部屋を真っ暗にして引き籠ってたから、直接会ってないけど。 「遅くに帰ってきました。お酒飲んでたみたいですけど・・・」 朝見たら、玄関がひどい有り様だった。靴があちこち吹っ飛んでて、カサ立てが倒れてて。 「そうでしたか。お送りすべきだったんですが、いつの間にか帰られていて・・・ああ、そうだ!」 皇紀さんはカウンターや店内をきょろきょろしながら、呟くように言った。 「ああ、しまったなぁ。車に置きっ放しだ」それから私へ顔を向けた。 「羽入さんは、この商店街には良くいらっしゃるのですか?」 内心ドキッとした。なんで、私の名前。 「良かったら・・・本当についでの時で構いません。店に立ち寄って頂けませんか?実は、麻魅さんに渡して貰いたい物があるんです」 お姉ちゃんに?なんだろう・・・ 「わかりました」 「済みません、ご迷惑をおかけして」 程なくして真白が紙袋を持って現れたので、一緒に店を出た。 今度は商店街を駅に向かって歩きながら、真白と話した。 「さっきの宮前 皇紀でしょ?雑誌で見たことあるわ」 「雑誌に載るほどの人なんだ」 「有名ブランドの後継者だからね。でも反感があるらしいわ、現在の代表・・・つまり自分の母親にね」 「どうして?」 「彼は大学卒業後、靴職人として海外留学をしているわ。父親を尊敬しているのね。でも、戻ってきたら経営方針が変わっていて」 「有名ブランドより、靴屋さんでいたかったってこと?」 「そうね。雑誌のインタビューでも、靴について相当熱く語ったらしいわ。でも世間が求めているのは、有名ブランドとしての『carriage』なの。だから靴の話はほんの数行のみ。本人も感じたんじゃないかしらね、現実ってものを」 ・・・唐突に思った。あの人も、家族や家の事情に流されてる。程度は比べ物にならないけど、私と同じなんじゃないかって。 駅に着いた。真白はホームに向かう。 「ありがと、羽入」 「あ・・・うん。またね」 少しだけ、気もそぞろなままでお別れの挨拶を交わしてしまった。 「またね・・・」羽入は言った。どうなのかな?『また』があるのかな? 今日のように偶然ではなく、きちんと約束をして予定を組む。そんな『またね』が、私達の間にあるのかな・・・ 都心に戻ってみると、人ごみの多さにウンザリする。 私としては、報告のつもりで若社長に電話をしたら、「そのまま届けてくれ」だって。どうゆうの?彼女へのプレゼントでしょ? 待ち合わせ場所は新宿で、『carriage』本店前。わざわざ支店で買ってきた物を、本店前で渡すのか。 何気に気になって、大きなショーウィンドウから中を覗いて見た。やっぱりバックや財布が並ぶ店内。 (靴はあるけど、ほとんどディスプレイ用って感じね) そんな事を考えていたら、ガラス面に一人の女性が映った。私の後ろで機嫌悪そうに立ってる。 「あんた秘書さん?」いきなり棘がある。 「はい、木揺と申します。茨城 将人とお待ち合わせの方ですか?」 私は両手で紙袋を携え、彼女に差し出した。 「こちらをお渡しするように、言付かりました」 彼女は黙ってバックを受け取った・・・と思ったら、投げ返してきた! あまりのことに対応出来ず、紙袋は胸に当たって地面に落ちた。紙袋からバックが半分くらいはみ出してる。 「ふざけないでよ!お別れのプレゼントって何よ!?せめて自分で持ってこれない訳!?」 ・・・やられた!そんな事情聞いてないわよ!! 「ふん!」私が言葉に詰まっていると、彼女は鼻で笑った。 「あなた美人ね。そうとう自信あるんだろうけど、どうかしらね?あいつは自分にしか興味無いわよ」 何か誤解されてるようだ。とっさに弁解しようとした。 「いえ私はただの秘書ですから・・・」 「いいわよ、隠さなくて。せいぜい私みたいに捨てられないように、気をつけるのね」 捨て台詞を残して彼女は去って行った。誤解も解けないまま・・・あー癪にさわる! こんな人通りの多い場所で、見知らぬ女からバックと罵声をぶつけられるとは・・・とりあえず、落ちた紙袋を拾うか。 屈みこんで、はみ出したバックをしまっていたら、肩をポンポンと叩く手があった。 『誰よ?』と思って顔を上げたら、目の前にティッシュを差し出された。 浅黒い顔が、子供みたいな笑顔を浮かべている。 「社長秘書のお仕事も大変そうだねぇ」 「青海じゃない?何してるの?」 「言わなかったっけ?ティッシュ配りがわたしの仕事だよ。裏見て」 ティッシュを裏返すと、カラオケ店の宣伝用だった。『カラオケ アトランティス 女子会格安!』って。 「ストレス発散にはちょうどいいでしょ?」 「え?あーでも私、カラオケはあんまり・・・」 「ね!決まり。おごるからさっ。わたしにもお礼させてよ」 青海って割と強引。確かに愚痴りたい気分だけど・・・でもカラオケは困る。 ・・・羽入、ひまかな? 偶然真白を見つけた!ちょうど給料もらったばかりだし、これは運命だね。 なんかちょっとね。誰かと騒ぎたい気分だったんだよね・・・あの夜からずっと。 コンコンッて軽くドアをノックする音。ポンッとマイクをソファに置いて、ドアまでお出迎えに行く。 「羽入、久しぶり!」 「うん、久しぶりだね青海・・・真白とよく遊んでるの?」 「いや、私達も偶然会ったのよ。一日の内に、羽入と青海と偶然会うなんてね」 「本当ね。真白なんだか疲れてる?」 「一曲歌ったのよ・・・もう汗だく、もういい」 「真白、一曲しか歌ってない。わたしはもう3曲目だよ」 「いいのいいの、私は。青海の歌聞いてるだけで、十分ストレス発散出来てる」 そう言って、ソファにもたれ掛かった真白は、カラオケ画面を指差す。 隣に座った羽入が、画面を見て軽く手を叩いた。 「わっ98点!すごいじゃない」 「逆にあと2点はなんなんだって感じよ。3曲ともこのレベルよ」 褒められたわたしは鼻高々・・・そうだね、そろそろ打ち明けてもいいかな? 「実はわたしは歌手を目指しているのです!」 「おおー」という羽入と真白のリアクションが面白い。 「そうなんだ、すごいね!それで一人で故郷を出て、東京来たんだ」 「何のツテも無く?芸能プロダクションとか入ってるの?」 「ツテはね・・・実はあったの。音楽事務所に所属してるよ」 「じゃあ、もうプロってこと?」 「所属してるだけじゃそうとは言えないけど。でも青海なら、すぐデビュー出来るんじゃない?」 ふっと不安みたいなものが過った。わたしの『ツテ』・・・遊佐さんのことを話してみたいなぁ。 「遊佐 爵也って人知ってる?」 「遊佐?音楽プロデューサーよね。ロックバンドとか」 「自分でもバンドやってたよね。私ライブに行ったことある」 「羽入がロック?意外な趣味ね」 「違うの、お姉ちゃんに連れられて・・・というか、引きずられて。当時の彼氏さんにドタキャンされたとかで」 2人が話してるのを聞いて、少し淋しくなった。 「わたしより全然詳しいね」 「てゆうか、世代の違いじゃない?青海って23でしょ?5年違うと結構だよ」 「私達でも遊佐 爵也の全盛期とはずれてるよね。お姉ちゃんでギリギリ」 「ふぅ〜ん」そう聞いて、少し遊佐さんが可哀想に思えてしまった。 それにロック。やっぱりわたしとは世界が違うのかなぁ。 「何にしてもプロデューサーと面識があるなら、心強いじゃない」真白が明るく言ってくれた。 「チャンスがあるんだもん。きっと大丈夫だよ」羽入の言葉も思いやりがあるな。 「うん、絶賛がんばり中です!今日は話聞いてくれてありがとっ」 2人とも「いいよ、いいよ」と言ってくれた。嬉しくなって、テーブルの上のフードを指差す。 「ここはわたしのおごりだからねっお薦めはフレーバーフライドポテトですっ」 「へええ〜」とお皿に顔を近づけた羽入は暫し黙った。 「いけるわよ」ポリポリと、ブラックペッパー味と唐辛子味を交互に食べてる真白に羽入が言った。 「これ、ひょっとして真白が選んだ?」 「そうそう、味が2種類選べるっていうからさ」 おもむろに羽入は席を立った「先に飲み物とってきまーす」って。 「はいは〜い」と真白は羽入を見送る。ちょうどのタイミングで、わたしのスマホが光った。 ラインがきた・・・遊佐さんからだ。 『明日、俺ん家に招待する。この間の詫びだ』 家に来いって・・・ライブハウスでのこともあるし・・・どうしよっかなぁ。 帰り道、独りになってみるとついつい考えこんでしまう。 青海には夢がある。夢のために頑張ってる。真白は社会で強く生きてる・・・私はなにをやってるんだろう。 電車を降りてブラブラ歩く私の手には、紙袋がぶら下がっていた。 カラオケの席で、真白が無造作にソファに投げ出していた物だ。 「どうしたの、これ?」って聞いたら、 「聞いてくれる?」って。 「うちのバカ社長が、その女にプレゼントする約束してて、でも気持ちが冷めたから『お別れ』の品に変更したんだって。女にはメールで伝えて『秘書に持たせる』だって。冗談じゃないわよ」 「(真白がこんなに愚痴るタイプだったとは)大変ね、社長秘書って」 「同じことわたしも言ったよ」青海は子供みたいに笑ってる。 「腹が立ったから、バックは貰ってやった。けど使う気にはなれないよね」 ぐいっと紙袋を掴むと、私の前に差し出してきた。 「羽入貰ってくれる?」 「えっ?でも悪いよそんな」私が尻込みすると、青海が手を伸ばした。 「じゃあ、わたしがもらう」 「青海の格好には合わないじゃない。いつもリュックしょってるし」真白の意見は正しい。 「速攻売る!」 「いや、それはちょっと・・・お店にも申し訳ないってゆうか・・・」 「じゃあ、はい」 結局私が持たされたのだった。私もこの手のバック使わないなぁ。 でも「いらない!」とか言って突っぱねられない。こういう性格なんだって、諦めてるとこあるな・・・ 『自分を持った方がいい』真白に言われた言葉だ。他にもあった、なんて言われたんだっけ? 『東京生まれっぽく無い』『専業主婦みたい』・・・あかぬけて無くて、おばさんっぽいってことかな。地味で暗くて。 『灰色』これは青海が言った。悪口のはず無いんだけど、実は一番きつい。だって青海は、素直に感じたままを言うから・・・それが私の『色』なんだろうな。 夜の商店街は、ほとんどのお店がシャッターを下ろしている。だから買い物も出来ない。 (買い物以外に用事なんてなんにも無い。なんにもする事がない・・・今夜も明日も、これから先も) 紙袋が足にぶつかった。不意に唐突に。 「・・・あった、用事」 『carriage』のロゴが、私に昼間の出来事を思い出させてくれた。 時計を見ると、午後8:30だった。閉店時間は過ぎてると思うけど、『靴屋さん』の店内は明かりが点いている。 (他のお客さんがいるのかな?) そう思って、扉を開けてみた。 ・・・誰もいない。店員の男の子も。無人の店内に入るのは、なんだか変な気分だ。 (出た方が良さそう・・・) 振り返って扉の取っ手を掴んだところで、店の奥から足音が聞こえてきた。 扉が開くとカララーンってゆうから、その音を聞いて。そして、作業着のまま出てきてくれたらしい。 皇紀さんは、少し驚いた表情で私の名前をよんだ。 「羽入さん、来て下さったんですか。ありがとうございます」 「済みません。お店終わってますよね」 皇紀さんは店内の時計を見上げた。照れ笑いしながら言う。 「過ぎてましたね。全然気が付かなかった。そう僕から閉めるからいいよって、彼を先に帰したんだった」 「お仕事中でした?邪魔しちゃって・・・」 「いえ、助かりました。延々と店を開けたままにしてしまう所でした」 皇紀さんが爽やかに微笑みかけてくれるもんだから、本当にいい事をしたような気になってしまう。 「そう、僕がお願いしたんですよね。少し待って下さい」 皇紀さんが再び店の奥に入っていった。 そう言えば、お姉ちゃんに渡す物があるって・・・ひょっとしてプレゼント? 真白は社長のプレゼントを、女の人に届けに行った。私もその役?まさか『別れの品』ってことないと思うけど。 (お姉ちゃんは皇紀さんの事が好きみたいに言ってた。私はその間でどうすればいいんだろう・・・) またもや心が混乱してきた。無意味にドギマギしながら、皇紀さんが戻るのを待った。 「お渡しして頂きたいのは、これでして」 お店の紙袋に入れたその品を、皇紀さんが差し出した。私は見ていいものかどうか悩みながらも、中を覗いてしまった。 (・・・手帳?見た事がある。お姉ちゃんのだ) 「バーのカウンターに忘れて行かれたんです。電話番号なども聞いていなくて」 ・・・はぁ。なんだか肩すかしをくった気持ちだ。 「じゃじゃあ、あの間違いなく渡しておきます」勘違いしてた恥ずかしさも手伝って、そそくさと言った。 気付けば、紙袋を両手にぶら下げた姿になった私に、皇紀さんは深く会釈した。 「いつもありがとうございます」 私はそれを、真白に持たされたバックの事を言ってるんだと思った。 「いえ、違うんです。これは貰ったんです。昼間買った真白が、いらなくなったからって・・・あっ!」 大変!失礼なこと言っちゃった! 「・・・い、いらないってゆうんじゃなくて、その・・・」 うまく言えなくて赤面して俯く私に、皇紀さんはなお笑顔を向けてくれる。 「それもでしたね。でも僕が言ったのは、履いていらっしゃる靴のことです」 「えっ?」 ・・・確かに今履いてるのは、ずっと前にこのお店で買ったパンプスだった。あんまり『お出かけ』することが無い私は、街でカラオケってんで、まともな靴を探したらこれになった。 皇紀さんを怒らしたんじゃないと知って、ホッとした。 「はい、もう何年も使ってます。長持ちしてくれて・・・あっでも、新しいの全然買ってなくて」 「ありがとうございます。最高の褒め言葉です」 そう言うと、皇紀さんはしゃがんで私の靴を見た。 「父が造った物です。いい出来です・・・でも少し疲れていますね。宜しければ、良く見させて頂けませんか?」 皇紀さんに促されるまま、店内の椅子に腰かけた。少し高くて、足が宙ぶらりんになる。 「これを」足の下に台を入れてくれた。 ちょうどいい高さの台に、靴のまま両足を載せてみる。 私の足元で、皇紀さんは膝をついた姿勢になった。しなやかな手が、靴の縁をなぞるように動いた。 「!!」私は恥ずかしくなって、両足を台から外した。 皇紀さんは顔を上げ、私に『どうしたの?』という表情を向ける。 私は胸の中に詰まった想いを、初めて口にした。 「そんな、私・・・いいです。そんなことして貰う資格なんてないから・・・」 「資格・・・って?」 「だって、皇紀さんは私のこと軽蔑してるんですよね?私は靴に興味が持てない『最低の女』だって」 突然、皇紀さんが立ち上がった。そして、座ってる私に深々と頭を下げた。 「済みません!あの時、変なことを口走ってしまって!」 私は訳が分からず、ただ皇紀さんを見つめた。彼は顔を上げ、本当に申し訳なさそうな表情を浮かべた。 「違うんです。あれはあなたに向けた言葉では無いんです。あの寸前まで、僕は母と話をしていて・・・靴の工房など必要無いというのが、母の意見です。それが納得いかず、言い争いに。何度言っても電話してくるものだから、つい」 確かにあの時、携帯電話が鳴っていた。皇紀さんの誠実な言葉からも、嘘じゃないことは伝わってくる。 ・・・でも私の胸には、まだつかえている物がある。 「でも、でも・・・やっぱり恥ずかしいです。あんな、左右互い違いの靴を履いていて・・・」 皇紀さんは微笑みを浮かべた。それまでに見せた、どんな笑顔よりも柔らかい微笑み。 再び膝をついた彼は、私が恥ずかしがらないように、靴のつま先の方に手を置いた。 彼の手を見つめて俯いた。彼は靴を見つめている・・・そして、心静かな様子で、私に語りかけた。 「あの時、羽入さんはカーディガンにロングスカート・・・普通、足元にスポーツシューズは合わせませんね。でもあななたは、敢えてそれをしていた。 あのパーティ、僕は別に遅れてもいいと思っていました。でも、あなたのお姉さんは違ったんですね。時間通りに出席したい、だから急いで欲しかった・・・あなたはその気持ちを察した。 あなたは急いで行かなければならない。電車を降りたら走らなければならない。その為にスポーツシューズを選んだ。大慌てで靴箱を開けて、似たような白いシューズの左右が別の物だと気付かずに。 ・・・ただ急いで、走って。お姉さんに届けるために、お姉さんのために、走って」 彼が顔を上げた。柔らかい笑みが私に向けられる。 「・・・あなたは、優しい方ですね」 彼の言葉が届くと、胸がほわっと熱くなった。同時に目頭も。 ぽろぽろ・・・と涙が溢れ出た。 「そんな・・・靴ひとつで、そんな・・・わたし・・・そんな、そんな・・・」
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