第五章 彼方からの旋律

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第五章 彼方からの旋律

『明日なら大丈夫』カラオケ店から出て、悩んだ挙句に遊佐さんに送った。 『良し、レッスン終わった頃に土屋を迎えに行かせる』だって、なんだあの人も一緒か。ドキドキして損した。 迎えに来てくれた真っ赤なスポーツカー・・・あの夜見たのと同じだ。 あの夜・・・遊佐さんにキスされかかった後は、ただドキドキしちゃってへたり込んでいた。遊佐さんはまだ寝ころんだまま・・・ひょっとして寝ちゃった? バンドの演奏は一通り終わったみたいだけど、若者達の喧騒に囲まれているというのに。 (起こさないと・・・)そうは思うけど、また覆い被さるようになっちゃう。それは恥ずかしい・・・ 「なんてザマかしらね」 不意に後ろから声がした。(土屋さん?)思って振り返ったら、あのでっかい2つの膨らみがググーッと迫ってきたもんだから、驚いて床に転がり落ちちゃった。 ソファ越しに上半身だけ乗り出した格好で、土屋さんは遊佐さんの様子を覗き込んでる。 「パーティから抜け出したと思ったら、こんな所で寝てるわけ?」 「よお〜土屋。メール見てくれたか・・・」 「見なかったらどうするつもりだったの?この子連れ出して、どういう了見?」 土屋さんはわたしをチラッと見ながら、ソファの前に廻ってきた。 そして・・・この人結構力持ち!・・・遊佐さんの体をぐいっと持ち上げて、腕を自分の肩に掛けさせる。 「もう少し優しく扱えよなぁ」 「無様ね。若い人達が幻滅してるわよ」 「今更カッコつける気も無いさ」 そのまま土屋さんは遊佐さんの足を引きずって、運び出そうとする。わたしも手伝おうとしたが。 「いいわ、あなたはその辺の物拾って持ってきて」 わたしは遊佐さんのジャケットやスマホを拾って、後を追うように店を出た。 道路沿いに停車している真っ赤なスポーツカー。土屋さんが遊佐さんを助手席に放り込む。 わたしは急いで、遊佐さんに忘れそうになってる物を渡した。すると、トロンとした目を向けて、 「今日は悪かったな・・・今度埋め合わせするからな」そう言った。 その『埋め合わせ』が即ち、今向かっている家への招待ということなんだね。 「あの後、大丈夫だった?」 真っ赤な車の中で、運転席の土屋さんに尋ねた。 「ダメね。すっかり酒にも弱くなって。情けない男よ・・・マンションに叩き込んで帰ったわ」 「ああ・・・」この人は遊佐さんのマネージャーだよね?にしては、すっごく厳しいなぁ。 「キスでもされた?」唐突な質問がきた!真っ赤になって両手を慌ただしく振る。 「ううん!してない、してないよっ!されそうになっただけで・・・」 土屋さんはまるっきりクールな反応。相変わらず、わたしを見もしない・・・まぁ運転してるから当然だけどね。 「酔うとそうなのよ。私なんかしょっちゅうされてるわ」 「・・・そうなんだ」あの夜も、あの女の子の事を思い出す。 「だから私は、紫の口紅をしているの。証拠が残るようにね」 「あはは・・・」やっぱり怖い人だ。 「なんにしても、あんなものは男女のそれではないわ。気にするだけ損ってものよ」 「それじゃ・・・どうゆう?」 土屋さんは少し考えたようだけど、どうでもいいって風に答えが返ってきた。 「さあね、淋しいんじゃない?多分、わかんないけど」 遊佐さんの家に着いた。セキュリティ万全の高級マンション。最上階らしい。 土屋さんと一緒に玄関を訪れると、遊佐さんが出迎えてくれたんだけど・・・また飲んでるみたい。 「まぁあがれよ」 足元がふらつく遊佐さんに対し、氷の様な視線を向ける土屋さん。その後ろからひょろっと入った。 正直びっくり!広いリビングをぐるりと囲む大きな窓に、東京の夜景が広がっていてスッゴク綺麗!! 思わず窓際に走り寄って、夜景を眺めた。 「呼び寄せておいて、何のおもてなしも無いの?私はともかく、あの子どうするのよ?」 土屋さんの冷たい声がした。振り返って見ると、確かに食べ物とか何にも無い。 リビングには、大型のTVの前にふかふかのソファのセットがあるんだけど、ガラステーブルの上にあるのは、遊佐さんが飲んでるウイスキーとグラスだけ。 それにしても広い。いつでもパーティが出来そう。片隅にはバーカウンターも。 そして、真ん中に真っ白いピアノ!まるでライトアップでもされてるかのように、光り輝いている。 「ううん!わたしはこの部屋に入れただけで、すごく満足だよ!」 わたしは笑って見せた。もう少し捕捉しとこうかな。 「なんかもう、夢の世界に来たみたい!お姫様体験だね。ありがとう遊佐さん!」 遊佐さんはわたし達を部屋に案内してからは、ふかふかのソファに横たわっていた。けどいま、体を起こして意味深な笑顔を浮かべる。 「い〜や、これで終わりじゃない。まだあるさ」 その言葉に、土屋さんが素早く冷たく抗議する。 「何があるってのよ。期待させるような適当なこと言わないでくれる?」 「・・・甘いなぁ土屋」 遊佐さんが立ち上がった・・・危ない!ガラスのテーブルに足ぶつけそう!! 「大丈夫、酔っちゃいないさ」・・・嘘ばっかり!テーブルは避けたけど、ふらふらだよ! 遊佐さんはリビングの真ん中に向かっていた。そこにある物に手をついて、体を支えるようにした。 「見ろ!ピアノだ。ピアノがある。だからここに青海を呼んだんだ」 倒れ込むようにピアノの椅子に座り、カバーを放り投げて鍵盤に手を置く。 「ピアノは何のためにある?そう、音楽を奏でるためにある」 遊佐さんのしなやかな指が動き出した。最初はただ音を鳴らし、次にドレミの歌、猫踏んじゃった・・・ わたしとしては、ピアノの音色よりぐらつく上半身が気になるよ。 案の定、背もたれの無い椅子で後ろに大きく傾いた。急いで駆け寄って支える。 「悪い、水くれるか」 遊佐さんの呟きに従い、飛んでいってバーカウンターから水をグラスに入れて戻った。 土屋さんはどうしたんだろう?・・・彼女はこの間、微動だにしない。あの大きな胸の下で腕を組んで、黙って立っている。遊佐さんがピアノに向かった時からずっと、ただ睨むような視線を送り続けてる。 「ありがとな」遊佐さんからグラスを返され、わたしは2、3歩下がった。 数秒の間を置いて、遊佐さんの指が鍵盤の上を滑り出した。 『音楽を奏でるためにある』・・・そう言ってた。 でもそれはきっと、ピアノのことじゃない。自分のことを言ったんだ。遊佐 爵也という人の、その存在意義を、彼は自分自身で示したんだ。 遊佐さんは目の前にいる。指は滑らかに動き、楽しそうに体を揺らしている。 でも、手は届かない・・・そう思えた。絶対に届かない領域から、この音楽は流れてきてる。 その『音楽』は静かなバラード・・・でも時として、力強いフレーズが散りばめられる。曲が流れている間、わたしは別世界に飛んでいたに違いないんだ。体から心が離れていたのかも知れない。 指が止まった。曲が終わったんだ・・・そう理解しても、わたしの心はしばらくの間戻らなかった。 わたしの中で、曲は流れ続けていた。 「どうだ?悪くないだろう?」 遊佐さんの一言で、わたしは戻った。戻ってみると、体は震えていた。 言葉が出ない。『素敵』とか『いい曲』とかそんな言葉では、この感動を表現できない。 (人は大きななにかの前で、無力なんだ) 「さあ教えてくれ。何が見えた?何を感じた?どんな事でもいいんだぞ」 遊佐さんがヒントをくれた。わたしはふわふわ漂って、なにを見てたの? 「・・・神さま?大きくて、広くて青くて・・・あっ海!」 「そうだな。それは同一と言えるかも知れないな。青海の心には海が映ったのか」 「静かなさざ波が続いていって・・・水平線まで届いて。彼方から大きな波が現れて、ザザーッて、それからすーっとひいていって・・・」 「いいぞ!もっと聞かせてくれ」 「太陽が近づくと、オレンジになって、赤くなって、真っ赤になって!長い光が水面を走って!」 ティッシュケースが差し出された。だらだら流してるのを見て、土屋さんが持ってきてくれたんだ。 わたしは受け取ると涙を拭いた。鼻をかんだ。ティッシュケースを抱えたまま続けた。 曲を聴いている間は掴めなかった心の景色が、今は次々に浮かんできて、話したくて話したくて堪らない! 「空は藍色になって、黒になって・・・でも星の海が!きらきらきらきら反射し合って・・・海と空とで何倍にもなって・・・」 遊佐さんはソファで眠ってしまった。 わたし達は示し合わせたかのように、静かに動いてマンションを出た。 歩いて帰ろうとすると、土屋さんは「送っていく」と言ってくれた。 車の中で、わたしは胸がいっぱいだった・・・あの曲がエンドレスで流れ続けて、また漂うような気持ち。 『お喋り』なわたしが口を開かないせいか、土屋さんも黙ったきりだった。 時間はもう0:00を過ぎている。真夜中の闇と静寂が、わたし達を包んでいる。 アパートのすぐ前まで、土屋さんは送ってくれた。 車から降りて、運転席側に廻っておじぎした。 「ありがとうございます」真夜中なので、小声でひそひそと・・・すると土屋さんが、真顔のまま言った。 「おめでとう」 「へ?」 「気付いてないの?あれはあなたの為の曲よ」 青海が遊佐 爵也の家を訪ねた話は、数日後に一緒に飲んだ時に聞いた。 私と羽入は揃って祝福した・・・それはいい話なんだって、信じて疑わなかったから。 「ま、ちょっと待ちたまえ」 社長室から退出しようとしたら呼び止められた。ここ数日・・・バックの件があってから、私はまともに話をしてない。 「元気にしているのかい?」 「毎日会ってますけど?」 「ああ・・・」若社長は明らかに困っている。私は背を向ける。 「いっ、言いたい事あるなら、言ったらどうだい?ずっと怒ってないで」 そうね。確かにいつまでも大人気ないかもね・・・じゃあ言うか。 「社長は『秘書』の仕事をどう考えているんですか?プライベートの処理まで引き受けたつもりはありませんが」 「いや・・・あーあー悪かったよ」 ようやく謝ったか。ついでだから、思ってること言ってしまおう。 「秘書に限らずですけどね。社長の考えでは社員は皆、嫌なことを放り投げる為にいるものの様ですが・・・」 「僕がいつそんなこと言ったかね?」 「言ってませんが、態度に出てると言わざるを得ません。会議の決定を他の幹部に任せたり、経理上の資料を、ろくろく見もしないで総務部長に返したり」 「それは、それが彼らの仕事だ!僕は専門的なことは専門の社員に任せることにしているのだ」 「『彼らの仕事』?誰がどんな仕事してるか知りもしないで?任せるってのは、丸投げするってことじゃないんですよ」 「君は・・・君はちょっとばかり、失礼なのではないか!?」 「言いたい事言えって言いましたよね?また黙っていた方がいいなら、そうしますよ!」 「いや、それはだな・・・」 「ついでのついでですが、社長のお仕事はなんですか?少し考えてみて下さい」 遂に黙った。良し!秘書室に戻ろう。 「待て!僕も君に言いたい事がある!」 ほお〜聞いてやろうじゃない。変なこと言ったら、パワハラだとか言って大騒ぎしてやる。 「君は・・・君は線が細すぎる!女性であっても、大腿筋を中心に鍛えるべきだ!努めたまえ」 「・・・失礼します」ドアノブに手を掛けながら思う(今の何ハラ?) 考え事をしていた私は、どうも急にドアを開けてしまったらしい。社長室から直結する秘書室で、桜木が慌てている。 どうやらドア越しに聞き耳を立てていたらしい。私と社長が揉めてるのを面白がっているんだ。 「あっ木揺さん。なんか社長大きな声出してたみたいねぇ」 「まあ・・・ね」正直、彼女にはわだかまりがある。またどこかで陰口叩くんだろうな。 「ほんと大変ね、社長の担当にならなくて良かったわ」 「ええ、その通りよ」 腹の内の分からない彼女に、話を合わせる・・・私も上っ面だけの人間だな。 デスクに戻ると、プライベートのスマホに2軒のラインが着ていた。 1件は羽入で、週末の飲み会の連絡。もう1件は叔母からだ。 『ちょっと心配になって連絡しました。壬妖子さんの事が、また話題になってるみたいだから。大丈夫?』 その雑誌記事なら見た。忘れた頃に取りだたされるのよね・・・女優の隠し子疑惑。 ここ数日の私は、いわゆる『浮かれている』状態にあった。 我ながら沈んだり、浮いたり、慌ただしい人だ・・・真白と青海に話したら、呆れるだろうな。 鼻歌歌いながら掃除して、曇り空なのに「いいお天気」なんて言って買い物に出かける。 『サン・ドリヨン商店街』には毎日行く。もちろん『靴屋さん』には行かない・・・用事がないからね。 でも、あの夜のことを思い出すだけで、フワフワした気分になる。 (ほんと、単純な人だ)自分でも呆れちゃう。 買い物帰りにコンビニに寄る。目当ては『飲食店のおすすめガイド』個室居酒屋の載ってる本を買った。 カラオケの終わりに青海が言い出して、こんな話題になったのよね。 「ねぇねぇ今度どこ行く?」 「次は飲みにでも行ってみる?羽入はお酒は?」 「ちょっとなら大丈夫。じゃあ今度は、私がお店探すね」 あの時は(持ち回りの幹事みたい・・・)と思ったけど、今はお店探しも楽しく思える。 うちに帰って、買い物袋をポンと台所に置いて、パラパラ捲りながら2階の部屋に向かった。 階段を上ったところで、私の部屋から出てきた姉と鉢合わせた。 「あれ?どうしたの?」と聞くと、姉は睨むようにして、 「私の洗濯物・・・あんたの部屋にあるかと思って」と言った。 「あ・・・ごめん。まだ洗濯機の中だ」 今朝洗濯機を回すのを、すっかり忘れていた。 「しっかりしてよね。あんた家事くらいしか出来ないんだからさ」 そう言われて、また沈んだ気持ちになる。 「なに?飲みに行くの?」私の持つガイドブックが目に入ったようだ。 「うん・・・週末、女子会しようって。いいかな?」 「なんで私の許可がいるのよ?なにするのもあんたの勝手・・・けどさ」 言いかけて姉が止まった。『なに?』って首を傾げると、溜息ついてから続けた。 「あんた皇紀さん狙ってるの?バックなんか買って、気を惹こうとしてる?」 (部屋のバックを見たんだ!)姉の言葉に、私は耳まで赤くなった。 「違う!違うよ、そんな・・・私、そんな事考えてないよ!」 「だからさ、別にいいわよ。自由なんだから・・・私も気を惹こうとしたしね」 「え?」やっぱりお姉ちゃん、皇紀さんのこと・・・パーティの夜なにかあったの? 「手帳よ。わざと忘れたのに、まさかあんたに届けさせるなんてね。脈なしね」 あの夜帰って、すぐに姉の部屋を訪ねて手帳を渡した。確かに受け取る時不機嫌だったっけ。・・・そうだったんだ。すごい手使うんだな。 「ごめん」 「あんたに謝られる筋合いは無いわよ。それに、あの人ちょっと変わってるしね」 また首を傾げた。姉はまた溜息をついた。 「三次会まで行ったのよ。皇紀さんがバーカウンターで一人になった隙を狙って隣に座ったの。あんたが持ってきた靴のおかげで、話のきっかけが出来たと思ったら靴の話題ばっかり・・・」 これにちょっと苦笑い。皇紀さんらしいかも。 「酔って饒舌になってたのね。自分が造ってる靴の事を語りだして・・・ 『いつか、自分の靴を履いてくれる女性にめぐり逢いたいものです』だって。ロマンチストね」 ・・・そうか、あの夜も彼は工房に籠って靴を造っていたのか。 「何にしろあんたには無理じゃない?」 姉は捨てゼリフを残して、自分の部屋に引っ込んだ。 (そんなの分かってる!)そして、今の話に心を奪われる。 どんな女性なんだろう?皇紀さんの靴に見合う女性・・・エレガントで上品なお嬢様なのかな? 皇紀さんは私が泣き止むまで待ってくれた。そっとハンカチを手渡して・・・ 「ごめんなさい」って言うと、 「いえ、いいんです。悲しい涙じゃないのなら」そう優しく言ってくれた。 彼の言葉に私は甘えた・・・きっと、きっと、すごくあの人の邪魔をしてしまったんだ。 わたしの心はずっと、あの音色の中でとどまってしまっていた。 今夜は羽入と真白と約束してる。やっと聞いてくれる人に会えると思うと、嬉しくて堪らない。 遊佐さんに呼ばれた『詞が出来たって』これが逸る気持ちというやつか!? エレベーターが最上階に着くのも、まどろっこしい!扉が開いた、飛び出そうとしたら、 「青海、先に行ってて」と、土屋さんがスマホを手にしながら言った。 お言葉に甘えて、一番端の遊佐さんの部屋まで走っていく。 ドアが開くのに随分時間が掛かる。マンションの廊下からも外の景色が見える。気持ちを静めようと、小さな人や車を眺めながら待った。 ようやく遊佐さんが玄関先まで出てきたんだけど、あれっまた飲んでる?昼間だというのに・・・ 前回と同じくリビングに通された。昼だとまた雰囲気が変わるね。 光が入って、明るい室内。今度は窓の外ではなく、リビングの中をキョロキョロしてみた。 こないだも見た大きなTVの横に、DVDプレイヤーなんかが置いてある収納ラックがあった。その上の写真立てが気になっちゃった。全部で10個くらい・・・どれも、仲良さ気な家族の写真。 遊佐さんと綺麗な女の人と、男の子と女の子。子供達は赤ん坊から成長して、中学生位までになってるなぁ。 結婚式らしき写真もあった。新郎新婦も周りの・・・すごい化粧の・・・ロッカーさん達?も大笑いしてる。 「誰か来ていたの?」 土屋さんが到着した。リビングではなく、キッチンのコーヒーカップを見て、そう思ったって後で聞いた。 「珍しいわね。来客なんて」 「いいだろ・・・ソファのテーブルにある。持って行ってくれ」 話声が聞こえてきて、わたしはバッとガラステーブルに寄った。確かに紙の束があったんだけど・・・一番上のは。 実物は初めて見た。ドラマなんかで目にする・・・緑の文字の『離婚届』の用紙。女性の名前と、そしてハンコが既に押されているのも、ドラマでよく見る光景だよね。 (これは、見てはいけない物を見てしまった!)両手で目を覆った。 ドギマギするわたしをよそに、土屋さんはテーブルを覗き込むと、平然とその紙を拾い上げて遊佐さんに示した。 「これは?持ってっていいの?」 遊佐さんは一瞬ぎょっとした顔をしてから、視線を逸らした。 「それは、とりあえず置いといてくれ」 「そう・・・」 土屋さんは何事もないといった風に、一番上以外の紙の束を手にし、暫し読みふける。 と思ったら、紙袋にしまってさっさと玄関に歩き出した。 わたしとしては遊佐さんが心配・・・だけど、どう話しかけたらいいものか、全然頭に浮かばない。 またウイスキーグラスを傾ける遊佐さんを置いて、部屋を出るしかなかった。 帰りのエレベーターの中、土屋さんと2人・・・また沈黙が流れる。 と思ったのも束の間、土屋さんが・・・土屋さんが! 「ふふっ・・・ふふふふふっ」笑い出した!?嘘でしょ?初めてのことだ・・・ 「良かったわねぇ青海ちゃぁぁん」 えっ?青海・・・『ちゃん』?? わたしの鼻先にさっきの紙袋を突き付けて、なおも笑い続ける・・・ 「これ、いい詞よぉ〜青海ちゃんのイメージが良かったのね」 わたしは返答が出来ない・・・冷や汗ばかりがどっと出る。 (この人は笑ってるんだよね?)半信半疑だ。彼女の顔は、口元が大きく歪み、目は半月形のまま見開いて、眉は八の字で・・・普通の笑顔とはかけ離れてる。 「ふふふ・・・あの曲も、素人の私が聞いても分かるわ〜いい曲だって。 遊佐がねぇ・・・才能の絞りカスだと思っていたけれど・・・まだあんな曲が描けるなんて、正直驚いたわ」 ・・・この人は、遊佐さんを褒めているの?けなしているの? 「・・・このまま老いさらばえるなら、それもいいと思っていたけど、やっぱりそれじゃあ、つまらないものね。本当に・・・良かったわぁ〜」 ・・・きっと、きっと、この人は普段あんまり笑わないから。うまく笑顔が作れない人なんだ。 遊佐さんに冷たくあたり慣れてるから、うまく褒めれなくて、変な表現になっちゃってるだけなんだ。 そうに違いない・・・それが証拠に『良かった』って言ってるもの! でも、なんなんだろう?なんなんだろう?? ・・・胸に押し寄せてくる、この不安な気持ちは・・・なんなんだろう・・・
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