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第六章 呪いの言葉の正体
仕事終わりの雑踏の中、繁華街へ向かって進む。
地図アプリによると、徒歩10分程度。会社からも私のマンションからも近い。当然、そういう所を探したんだろうね。
(羽入はいい人・・・)だよね?いつも相手の都合ばかり気にして。
私はどうだろうか?やはり身勝手だったんだろうか?あの時も・・・
数年前、某大手化粧品メーカーの広告。ポスター撮影の現場に「どうしても」と言って付き添わせてもらった。
沖咲 麗華を招く現場に・・・
少しばかり期待をしていたのは否めない・・・営業担当として『木揺 真白』の名は伝わってる筈だし、前に写真送ったし。
しかし、現場に入って溜息をついた。
大勢のスタッフ、化粧品会社の関係者、うちの会社からも(前の)社長までもが挨拶に来ている。
(この状況ではとても無理)感動の対面なんてなりっこない・・・
辺りがざわざわっとした。彼女が現場入りしたんだ。
初老のマネージャーらしき男性やメイクのスタッフを引き連れて、居並ぶ一般人の列の前を、愛想よく歩いてくる。
うちの社長がうやうやしく挨拶をすると、微笑みで答えていた。
私はその数メートル先で、一人で立っていた。目を伏せて、唇を噛んで。
彼女はきっと私の前を素通りするに違いない。一介の営業担当なんかに用はない筈だ。
近づく気配を感じる。ゆっくり歩いてくる・・・
(せめて!せめて顔を見て欲しい!たった一言でいいから声を掛けて欲しい!)
そう思って顔を上げた。
次の瞬間 、私はびっくりした・・・彼女の両手が向かってきて、私の顔を掴んだのだ。
親指が眉の端に、人差し指がこめかみに、中指と薬指が頬、耳の手前に、小指が顎の下に。
高いヒールを履いている彼女の方が背が高い。私の顔を持ち上げ、真正面から見下ろしている・・・
その顔は、相変わらず微笑みをたたえていた。
「あなた美人ねぇ女優になったら?」
あきらかに冗談めかした言葉、傍にいるマネージャーに一度視線を向ける。
「どう?うちの事務所にスカウトしてあげたら?」
初老のマネージャーは「そうですねぇ」と困り顔だ。彼女がまた、視線を私に戻した。
「でもねぇ女優って大変よ。私も劇団員から始めて、通行人や死体の役もやったわ・・・寒い中、外で何時間も動いちゃいけないの。本当に苦労してきたわぁ」
少しずつ、彼女の指が立ってきた。美しいマネキュアを施した爪が、私の顔の皮膚に突き刺さり始めた。
「成功したらしたで、女優としての責任がのしかかるの。事務所や現場の大勢のスタッフの生活が、私の仕事にかかってるの」
突き刺さった爪に、更に力が籠められる。私は瞬きも出来ずに、彼女の顔を見つめる。
その顔から微笑みが消え、鬼気とした形相に変わってゆく。
「だから私は、ちょっとやそっとのことで・・・この座を手放す訳にはいかないのよ」
・・・爪は痛くない。痛いのは・・・
どこかから「お願いしま〜す」という声が聞こえた。目の前の顔に、途端にいつもの表情が戻る。
「・・・と言うわけだから、やっぱり女優はやめた方がいいわね」
手を離した彼女が身を翻す。
「じゃあね。キレイなお嬢さん」
去りゆく彼女を、私は見送ることさえ出来ない。ただ俯いて・・・ガタガタ震えて。
(甘かった、甘かった、甘かった・・・私が甘かった。女優として成功する人が、そんなにやわな訳は無かったんだ)
彼女の言葉が、胸に突き刺さったままだった。
私の存在は・・・彼女にとって『ちょっとやそっとのこと』なんだ・・・
それから彼女に直に会ったのは、この間のパーティの席・・・そこでも釘を刺してきた。また隠し子のニュースが囁かれている彼女にとって、『憂い』は排除すべきなのだろう。
立ち止まって、大きく溜息をついた。地図アプリが、目的の場所に着いたことを示していた。
看板に『完全個室居酒屋 ねずみの御者』だって、羽入の選んだ店・・・変な名前。
なんだか落ち着かない、ざわざわして・・・不安ばかりが募ってくる。
迷ってる。なんて報告したらいいのか。羽入と真白に・・・やっぱり余計な心配はかけたくないな。
『ねずみの御者』はお刺身やカルパッチョが豊富だ!いい店だね。『ひめうお』には劣るけど。
わたしは生ビール、羽入はサワーで、真白はグラスワイン。三者三様のグラスで乾杯した。
これはもう、すぐに言っちゃった方がいいよね。
「実は報告があるのです」
グラスを置こうとしてる羽入と、既に箸を手にしている真白の動きを止めてしまった。
「遊佐さんが曲と詞を描いてくれて、今度レコーディングすることになったよ」
「すごいね!青海!」
「これは正真正銘デビューだね。おめでとう青海」
「ありがとう!遊佐さんの家で、直接ピアノで聞かせてくれて・・・本当に素敵な曲って思ったんだ。それがわたしの為の曲だなんて、夢みたいだよ」
「うんうん!」2人とも自分のことのように喜んでくれてる。
その内料理も次々届いて、いい気分でお酒もすすんだ。これで正解だったなぁ。
「でもこれからは、青海とはこんな風に会えなくなるかもね」
真白が言うと、羽入も少し淋しそうな顔をした。わたしとしては暗くなりたくない!
「そんなことないよ、全然遊べるって。もっとあっつくなったら、海に行こうよ!」
この意見には、残念ながら賛同を頂けなかった。
「あー私、泳げない」
「私も水着は・・・ちょっとダイエットしないと・・・」羽入がごにょごにょ言ってる。
ぶううう、残念。
「遊佐 爵也が直接描いてくれるなんてね。家にも招かれるくらいだし、期待していいんじゃない?」
泳げない真白が、海から話を戻した。
「遊佐って格好良かったよね。いまでも?」
羽入の発言に、わたしは・・・ちょっとライブハウスでの記憶が過って、顔が赤くなった。もっともビール飲んでるから、見透かされずに済んだけどね。
「今でもカッコいいよ。地元のおっちゃん達とは比べものにならないね」
「それはそれで問題アリかもね。奥さんと長いこと別居してるでしょ?」
(さすが真白は情報通だ・・・今では離婚危機に至ってるんだけどね)
「いくら格好良くても、それじゃあね。やっぱり誠実な人がいいな」
確かに羽入の言う通りなんだけど・・・これ以上、遊佐さんを悪く言われるのも嫌だ。別の話を振るのがいいよね。
「羽入は好きな人いるの?」
羽入は実はお酒が強いらしく、全然顔に出ていなかったのに、今真っ赤になった。なんて分かり易い人だ。
「わっわたしはっべつにそんな・・・」
「へえ〜『靴屋さん』は?」
「なっなんで?真白なんで??」
「いや、ちょっと言ってみただけだったんだけど・・・」
更に真っ赤になってバタバタ両手を振る羽入は、絶対嘘がつけない人だね。
「誠実でカッコいいの?その人?」
真白に聞いた。
「そうねぇ誠実というか、真っ直ぐな人かな?顔も並み以上だね」
2人の間でどんどん話が進むことに大慌ての羽入は、必死で弁解しようとしたみたい。
「皇紀さんに私なんか、全然釣り合わないって言うか、ただ困らせちゃっただけだし、優しい人だから、優しくしてくれただけなんだし・・・お姉ちゃんにも無理だって言われたし」
「いやいや、そんなネガティブにならなくてもさ」
真白が軽く笑いながら言った。でも羽入は収まらなかった。
「ううん、無理無理、絶対!真白みたいに美人だったら別だけど・・・」
・・・真白の顔が曇った。そしてまた、変な間が空いた。
私は自分のことを良く知ってる。わきまえて、謙虚に、いつでもそう思ってる。
そして人のいい所をちゃんと認めてる。真白のことも青海のことも、すごいなって・・・そう思ってる。
「なんで?そんなこと言うの?」
「えっ?」真白の声の調子が急に変わって、私は口ごもった。
「私は別に、宮前 皇紀のことなんて何とも言ってない。関係ないのに迷惑よ」
「そんな・・・ただ例え話をしただけで・・・」
真白は怒ってる?なんでなんだろう?一言も悪く言った覚えは無いのに。
「羽入はさ、そうやって人のことを引き合いに出して、自分のことをうやむやにしてるんだよ。『お姉さんに無理って言われた』?誰かの意見で、自分の気持ちが左右されるわけ?自分がないの?」
「そんな言い方ないじゃない!!」
私は反射的に立ち上がった。瞳に涙が浮かぶのを感じる・・・悔しい涙が。
「前にも言ったよね?私に『自分を持った方がいい』って。簡単に言うけど、それが難しい人間だっているんだよ」
「簡単になんて言ってない。『自分』を持つために努力が必要だって知ってるよ」
「だよね。真白はきっとキレイになる為に努力して、それで自信が持てて、私なんかと違って」
「私がどう自信持ってるってのよ?」
「自信があるから、自分の意思を通せるんでしょう?この間のカラオケでだって、ポテトの味を一人で決めて・・・」
「気に入らなかったんなら、別なの頼めば良かったじゃない」
「頼めないよ!青海のおごりって聞いてて、追加なんて頼めないよ!」
「あ、そうか・・・そういうことか」
真白は一旦は俯いたが、すぐに椅子の背にもたれ掛かって、開き直るような態度を取った。
「はいはい、分かりました。私はわがままで、あんたはいい子。いい子いい子ね」
私はその言い草に腹が立った。
「何がいい子なのよ?」
「いつも気を使ってるんでしょ?この店だって、私の家の近くで探してさ。自分は『電車で帰るのは構わないわ』ってんでしょ?」
「馬鹿にして・・・自信が持てない人を下に見て・・・」
「思ってないし、言ってないし」
「私だって変わりたいって思ってるよ!でも家のこともあるし、社会に出て出来ることもないし・・・」
「みんな何もないよ。羽入だけが特別じゃないって」
「そうだよ!私は真白みたいに特別じゃない。真白みたいに美人じゃない・・・真白は美人だから、美人だから・・・」
つんつんって、私の手をつつく指があった。顔を向けると、そこに青海がいた。青海はすごく悲しそうな顔をしていた。
「羽入ぃ・・・真白はね、『美人』って言われるのが嫌なんだよ」
私ははっとした。はっとして、改めて真白の顔を見た。
真白は眉間にしわを寄せて、ぐっと歯をくいしばるようにしていた。それは怒っているというより、涙を堪えるような表情・・・
「事実だからね。仕方ないって思ってるよ。変に否定すると、相手を余計にイラつかせるってことも学んでるし・・・
でも、分かって欲しい。別に鼻にかけるつもりはないの。だってこれは私の力じゃない・・・親が親だから、当然ってだけ」
「・・・親って?」
私のこの言葉はとても不用意だった。真白は2、3度頭を横に振って、席を立った。
「ごめん、空気悪くしたね。帰るよ」
真白が個室を出て行ってしまった。テーブルの上に置いていった5千円札が、空調に吹かれて淋しく揺れていた。
(この辺に、真白の会社が入ってるビルがあるんだよね。大きな川があるんだな)
『ねずみの御者』から最寄りの駅へ向かう道すがら、青海と2人で橋を渡っていた。橋の途中にでっぱりがあって、景色を眺める為の場所になっている。カップルが夜景を写メに納めるポイントだ。
少しばかり立ち止まり、並んで景色を見ていた。おもむろに青海が、欄干に掴まって身を乗り出した。
高い所が苦手な私は「なにしてんの?」と声を掛けるに留まった。青海は橋の下を見てるみたい。
「水の流れを見たいなぁ〜って思ってさ」
「水?ああ、川も海に繋がってるもんね」
「うん、何気に心が安らぐんだよね」
「そっか」私は青海の素直さや心の広さが海から流れこんでるなら、それを羨ましいと思った。
「ねぇ青海、青海は何で真白が『美人』って言われるのが嫌だって分かったの?」
青海が欄干から体を起こし、私に向き直った。そして少し照れくさそうにしながら、答えを言ってくれた。
「わたしもね、良く言われるんだ。明るく元気だって・・・お母さんが病気で死んじゃった時も」
・・・それはとても意外な話だった。
「ずっとベットの上で苦しそうだったから、天国に行けて幸せだねって、笑って見せたんだぁ」
・・・お父さんも病気だった。私はどうした?私はわんわん泣いた。世界一不幸だって叫んで・・・
『笑える』青海は偉い・・・いや、本当にそうかな?どっちが正解なのかな?
「『親』って真白は言ってたよね。それって本当のお父さんかお母さんか、だよね」
青海もやっぱり、真白が『親』って口走ったことを悔やんでいると気が付いたみたい。
「うん、叔父さん叔母さんに育てられたって言ってたもんね」
「詮索しちゃダメだよね・・・あ〜あ、でもこのままってんじゃ嫌だなぁ」
「このままって?」
「このままお別れはやだなぁ。せっかく仲良くなれたのに」
青海は夜の、真っ黒な波の先にある海を遥かに見ながら言ってるようだった。
私は欄干の上の青海の手を握って、きっぱりと言った。
「大丈夫、明日必ず真白に謝る。きっと仲直りする!」
そうか、私はやはり我儘なのか・・・自己中、それも母親の遺伝か。
羽入は泣いていた。青海にも気を遣わせた。ダメだ、気になって気になって仕方がない・・・
「どうした?浮かない顔だな」
「ちょっと知り合いとケンカになっちゃって・・・」
「それが?そんなに気になるのかい?」
「いや、彼女泣くのよね・・・人前で泣くかなぁ?恥ずかしくて出来ないよね。普通」
・・・ん?待てよ。私いま誰と喋ってる?
思い出した!急な用事で休日出勤になって、社長室にいるんだった!
「済みません!失礼な言葉遣いをしてしまって」
「いやいや、いいさ・・・それより、やったな真白君!」
若社長は親指を立てて、少年っぽい笑顔を見せた。怪訝な表情を返すと、
「それは本当の友人を得たということだ。世の中には一生巡り会わない人もいる。素晴らしいじゃないか」
実に大形に両手を広げて、力説された。
(そうかなぁ?)
「とにかく今日はもういいぞ。直ぐに行って友人と語り合うといい・・・僕も」
「じゃあ遠慮なく・・・」素直に頭を下げて退出しようとしたが、社長の言葉尻が少し引っかかった。
「僕も・・・何ですか?」
「久しぶりに汗でも流しに行こうかと」
「社長のお仕事して下さいよ!」言い放って扉を閉めた。
とは言うもののありがたい。最寄りの駅につかつか入って時間を見ると、羽入の町への電車は30分後だった。
今朝はボーッとしていて、新聞もニュースも見ていなかったことを、売店の店先を見て思い出した。
(新聞買うか・・・)売店にはスポーツ新聞がラックに突き刺さってる。次の瞬間、その一面の文字が目に飛び込んできた。
私は大急ぎでスマホを探した。どうも適当なポケットにしまう癖が抜けない。胸の内ポケットにあったスマホを開いて、ネットニュースの芸能欄を目で追った。
『女優 沖咲 麗華、緊急搬送!昨晩未明、薬の多量摂取の為意識不明の重体』
(どこ!?『徳林郷病院』・・・そんなに遠くない、川沿いにある病院だ。走った方が早い!!)
駅のホームから、出てくる人の波が押し寄せた。電車が着いたらしい。その中に知った顔を見た。
・・・羽入?なんで?会いにきてくれた??・・・でも今は・・・ごめん!!
私は、人波と逆の方向へ走り出した。
確かに真白だった。でも大急ぎで走って行った。
(どうしたんだろう?)彼女が立っていた場所に行ってみた。売店の前・・・スポーツ新聞の見出しが目に入る。
・・・沖咲 麗華さんのニュースだ。確か入院先は『徳林郷』・・・お父さんも入院してた病院だから、記憶に残っていた。
真白が走って行った方向も病院の方だ。
(なんで?)
そう言えば、最近も沖咲 麗華さんのニュースをネットで見た。隠し子がいるって・・・なんて書いてあったっけ?
『20代後半で都内在住の会社員 母親似で美形』・・・えっ?ええっ!?
病院のロビーに飛び込むと、息せき切ってきた私に皆振り返った。
入院患者や来患、看護婦の他にマスコミ関係者とおぼしき人影もちらほら。
とにかくロビーを突っ切って、受付のカウンターへ進んだ。気持ちばかりが急いている。
「どうしました?」という看護婦の呑気な口調に苛立つが、声のトーンを抑えて言った。
「ここに木揺 壬妖子がいるんでしょ?面会に来たのよ」
「はぁ・・・」相変わらず看護婦は呑気だ。しかも返答は「いません」だった。
「沖咲 麗華よ!入院してるんでしょ!?」
抑えきれず大声を出してしまった。すると、後ろにいた年配の看護婦が振り返った。胸のプレートに婦長とある。
「ご家族以外は面会出来ませんよ。あなたはどなたですか?」
・・・どなた?なに言ってんのよ!?私は・・・私は!
「木揺 真白よ!!あの人の・・・」
・・・・・・だめだ・・・言う訳にはいかない・・・秘密を・・・許されない・・・きっと、きっと・・・
ロビーにはマスコミらしき人間もいた。聞きつけられたら、大変な事態になる。
怒る?そんなもんじゃない・・・でも、キンキュウハンソウ・・・ジュウタイ・・・ニドトアエナイ・・・
頭の中でグルグルグルグル言葉だけが回り続ける。考えが、全然まとまらない。
足音がする。私の背後から誰か近づいてくる・・・病院のスタッフ?それともマスコミの?
・・・なんて言い逃れる?考えないと、早く決めないと!
でも、ダメだ・・・ぜんぜん、まったく・・・まるっきり・・・
遂に後ろから、腕を掴まれた!
「ひっ!!」
電気を浴びたように飛び上がる・・・心持ちがした。おどおどした瞳を、後ろの人物に向ける・・・
振り返ると、そこにいたのは、私と同じ様に、息を切らした・・・羽入だった。
羽入は力強い瞳で私を見据える。それから彼女は、その手を私の腕から手に持ち変えて引っ張った。
「行こう、真白」
羽入はつかつかと大股でロビーを歩き出す。私達に近づこうとする人影がいたが、構わずにさっさと進む。
私は彼女の手に引かれ、子供のように、紐で引っ張られるおもちゃのように。
・・・ただ俯いて、羽入の後に連れられていた。
私達は川沿いの公園を、しばらく歩いた。病院は遠くに離れ、穏やかな景色に包まれる。
公園の中心にある、何だか意味不明なオブジェの辺りで立ち止まった。
休日とはいえちょうどお昼時、他に人の姿は無かった。羽入は手を解き、私は照れくさくて5、6歩離れた。
しかし未だ不安を拭えない私に、羽入は笑顔を見せた。
「沖咲さんなら大丈夫。TVのニュースで『発見が早く無事』って言ってた」
「えっ?でも薬って・・・」私はこの事件を『自殺か?』とするネットニュースを信じていた。
「睡眠薬の飲みすぎだって。あんまり眠れないから、重ねて飲んじゃったって」
私はその場でしゃがみ込んだ。
「もう〜人騒がせったら!!」
不安から安堵の気持ちへと変わった私の心に、羽入の穏やかな声が届けられる。
「良かったね。無事で」
「うん、そうだね」
「・・・木揺 壬妖子さんが、沖咲さんの本名なんだね」
「そ、そう・・・そうだね」
それは言ってはいけないこと・・・の筈なんだけど、何故か素直に答えてしまった。
「清純派女優だもんね。明かしちゃいけない秘密だって、そう思って我慢してたの?」
「そう・・・そう・・・だね」
これ以上この話を続けるのはまずい!分かってる筈なのに、羽入の言葉を遮れない。
「叔父さん叔母さんに預けられて・・・母親に捨てられたって、そう思ったの?」
「そう・・・だね」
顔を上げられない・・・羽入の顔を見ることが出来ない・・・羽入の声が、羽入の声が・・・
「『美人』って言われる度に、お母さんのこと思い出して・・・辛かったの?」
「やめて!やめてよ!!」
私は立ち上がった、羽入までの距離を全速力で走って・・・その両手を取った。
顔を上げなきゃ・・・羽入を見なきゃいけない!だって羽入の声が、涙で震えてるから!!
羽入の瞳から、大粒の涙がポロポロと零れ落ちる。それを見た私の瞳からも、涙が流れてる・・・そう悟って、羽入の手を握ったまま膝をついた。
膝をついて、涙声で叫んだ。
「やめて・・・私のために・・・私のために、泣かないでよぉー!!」
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