ウルバスの王都案内(ウルバス)

1/1
前へ
/12ページ
次へ

ウルバスの王都案内(ウルバス)

 翌日、約束の時間五分前くらいに宿に行くと、すぐにアリアは降りて来た。  黒く長い髪にローズ色のカチューシャで髪が落ちないよう止め、深い緑色のケープ付きコートを着ている。  彼女はウルバスの前に来ると丁寧かつ優雅に一礼した。 「おはようございます、ウルバスさん」 「おはよう、アリアちゃん。体調は大丈夫? 疲れてない?」 「はい! 先生にも許可を貰いました」 「じゃあ、大丈夫だね」  顔色はとてもいいし、表情も明るい。これなら少しくらい歩いていても平気だろう。  少し遅れて降りて来たヨシュアから注意事項を聞いて、ウルバスはアリアと一緒に王都観光へと出て行った。  今日も快晴。温かな日差しが惜しみなく街を照らしている。寒さも緩んでいて、とても過ごしやすい感じだ。  隣を歩くアリアはやはり、色んなものに興味津々だ。目に留まるもの全部を楽しそうに見ている。けれどその視線が向かうのはだいたい、女の子が好きな小物の店や服飾関係だ。 「気になる所があったら言ってね」 「はい」  と、明るく言うけれどやはり少し遠慮がち。それというのもきっと、ウルバスが男だからというのを気にしているのだろう。  雑貨の店に男性客はとても少ない。いるとしたら彼女に付き合ってという様子が見て取れる。  アリアとウルバスはそんな関係ではないし、色々気を回しているのだろう。  ふと、昨日見つけた新しい雑貨屋が目に留まった。可愛らしいアクセサリーや置物がある。 「アリアちゃん、入らない?」 「あの、でも……」 「遠慮はなしね。好きでしょ?」 「……はい。実は見てみたくて」 「うん、よしよし。それじゃ、行こうか」  手を引いてドアを開けると、心地よいドアベルの音が店内に響く。そして、小さいながらも可愛らしい空間が広がっている。 「わぁ……可愛い」  目をキラキラさせて平台のアクセサリーを見ているアリアを眺めているだけで、なんだか笑顔になれる。今は髪につけるピンを物色中だ。近づいて、後ろから手元を見る。四つ葉のクローバーを模したものと、月の形をしたもの。手に取って真剣な眼差しを送っている。 「俺は、四つ葉の方が可愛いと思うけれど」 「え?」 「こっちの、小さな花のピンと並べてつけたら可愛いかな」  側にあった別のピンを手に取り、アリアの髪にかざして鏡を引き寄せる。黒髪に可愛いピンク色の花と緑のクローバーが並んでいる。大人っぽくはないけれど、彼女の愛らしさが引き立つように思う。 「うぅぅ、悩みます。もう、余計に悩むじゃないですか」 「あはは、ごめんね。でも、二つはダメなの?」 「……それは最後の手段です」  でもきっと、二つ買う事にするんだろうな。それでも悩むところが、女の子という気がする。男の買い物はとても味気ないものだから。  悩むアリアから少し離れて店内を見ていると、不意に可愛らしいブローチに目がとまった。  大きさは数センチ。丸い布を貼った台の上に花を持ったクマの刺繍がしてある。きっとこの花を誰かにプレゼントしているに違いない。 「……」  縁取りが白いファーのコート。けれどそこに装飾はない。思えばアリアはあまり装飾品をつけていない。好まない……という訳でもなさそうだ。  ブローチを手に取り、そっとレジに運んで店員にも静にとお願いをした。驚かせるならこっそり準備しないといけない。幸いアリアはピン選びにまだ夢中だ。 「よし、決めた!」  そう言ったアリアの手にはやっぱりクローバーと花のピン二つがある。それを見て、ウルバスは「やっぱり」と笑っていた。  店を出ると、アリアは感無量な顔をする。手には先程買ったピンを入れた小さな袋がある。 「そんなに悩んだの?」 「だって、可愛くて決められなくて」 「俺の言った通りになったね」 「うっ、それは……」  目線を少し逸らした彼女に笑い、少しかがんで先程買ったブローチをコートの胸元に飾った。形は愛らしいが飾り気のないコートに、可愛らしいクマがついた。 「え? あの、これ……」 「ん? あぁ、可愛かったからつい。俺もこういうの見てるのは好きなんだけど、男には可愛すぎるから。君に、贈ってみたくなったんだ」  可愛いものは素直に可愛い。例えば日向ぼっこする猫とか、媚びる犬とか。野の花は綺麗だし、雑貨屋はそれだけで一つの世界がある。ただそれを手に取る事は躊躇われる。贈る相手もいないし、つける事は流石に出来ないわけだし。  けれどアリアは戸惑った顔をしている。だから少し反省。どうにも距離感が近すぎるのかもしれない。 「ごめんね、距離感が掴めないのかな。迷惑だったら、言ってね」 「迷惑なんて事ないですよ! あの、嬉しいですし、可愛いです。誰かからこんな風に贈り物を貰うなんて、兄様達以外からは初めてで……どんな顔をしていいか、分からなくて」 「そうなの? 本当に迷惑じゃない?」 「はい、迷惑なんんかじゃないです」  胸元についたブローチを見て照れたように笑ったのを見て、ほっとして、ウルバスは手を差し伸べる。昨日のように躊躇わない手が触れて、そのまま繋いでまた歩き出す。 「あの、ウルバスさん」 「なに?」 「実は昨夜、ちょっと考えたのですが。メロディ義姉様に何か贈り物をあげたいのです。心ばかりですが」 「結婚式の日取りとかも決めるんだっけ?」 「はい。明日、両家で会うのでその席で渡したいんです。なのであまり大きくないもので」 「それなら、いい店があるよ」  結婚祝いとなればもう、王都でここを外す人はいない。  ウルバスはのんびりと、今や王家御用達となったぬいぐるみ店へと足を向けた。  この店は有名になってからも変わらない。店舗を大きくする事もなく、全て職人の手作り。だから数に限りがあって、大きなものは全部注文になる。  店に入ったアリアは「わぁ……」と感嘆の声をあげ、キョロキョロと店内を見回し始める。 「ここは陛下と妃殿下の恋を成就させた切っ掛けのお店でね、幸せな結婚の贈り物にって買いに来る人が多いんだよ」 「とても仲が良いのですよね?」 「うん。街を散策していた妃殿下がこの店の兎のぬいぐるみを気に入ってね。それをこっそり知った陛下がプロポーズの際にそのぬいぐるみを贈ったんだよ」 「素敵ですね」  少し頬を染めるアリアを見ると、やっぱりこういう話が好きなんだと実感する。当然だ、女の子なんだから。恋の話しは好きに決まっている。  身近に沢山恋人達がいるのに、どれも話してやれないのが忍びない。なんせ全員、ロマンチックとは言えない代物だ。それもいいんだが……夢見る少女には欲望が濃すぎて年齢制限かかりそうだ。  手に持てるくらいの大きさのぬいぐるみが置いてある棚を見ているアリアは優しい目をしている。贈る相手を考えているんだろう。時折ふと柔らかく瞳を細めるのは、見ていて温かな気持ちになるものだ。 「アリアちゃんは、いらないの?」 「え?」 「ぬいぐるみ。好きそうだけれど」  真剣に一つを選ぼうとしている目は、好きなものを見る目だと思う。こういう柔らかくて温かなものを拒むようにも見えない。 「今日の記念に、贈るよ」 「いえ、私は……」  手に持ったぬいぐるみを、少し寂しそうに見つめる横顔はなんだか切なさがある。地雷を踏んでしまったみたいで申し訳なく、ウルバスは近づいてそっとぬいぐるみを持つ手に触れた。 「ごめんね、悲しませちゃったみたいで」 「いえ! あの、違うんです。その……あっ、この子がいいなと思うので私、包んでもらいますね!」  パッと手を離して逃げるように行くアリアの背中は、色んなものを振り切っている気がする。それが少し、悲しく映るのだ。  少し早めのランチはサンドイッチとスープの美味しい店にした。流石に昨日の事があって、アリアは「私が出します!」を譲らなかった。  ウルバスはスパイスをすり込んだ辛めのハムと野菜たっぷりのホットサンドに鶏肉のスープ。アリアはトマトとハムのサンドイッチに野菜のスープを楽しんでいる。 「美味しいです!」 「ここは時々来るんだ。街警は朝と夜は食事が出るけれど、昼はそれぞれで食べる事が多くてね。ここは味も美味しいし、出てくるのも早いし、テイクアウトも出来るから」 「迷ってしまうくらいどれも美味しそうでした」 「じゃ、今度王都に来た時は違うの食べようか」 「え?」  目を丸くするアリアの表情が、徐々にゆるゆると緩い笑みを浮かべる。ほんの少し耳が赤い。嬉しいなら、よかった。 「今度来た時は、もう少し違う場所を案内してあげる。馬もいいし、船もいいよ」 「船!」 「俺、船に乗るんだよ。風を切るように走るのは気持ちいいよ」 「憧れます。そんなの、できたらきっと素敵ですね」  顔が下がるのは、なんだか寂しい。「憧れ」「できたら」全部不可能だと思っているに違いない。 「出来るよ」 「そうでしょうか?」 「勿論。今もこうして、俺とデートしてるでしょ?」 「デート! ……です、か?」  真っ赤になって、次にはプシュンと湯気が出そう。恥ずかしそうにこちらを見るアリアをからかってみたくてウルバスは意地悪に頷く。  でも実際はどのように映るのだろう? 恋人? 似ていない兄と妹? 護衛?  まぁ、何でもいいと思っているけれど。 「私と恋人だなんて、ウルバスさんご迷惑じゃ」 「迷惑なんて思わないよ? むしろ光栄だけれど」 「光栄だなんて。私といてもつまらないですよ。アレもダメ、これもダメで。何一つままなりません」  ふと陰った表情は、ぬいぐるみ店で見たものに似ている。自分を卑下するような表情は彼女には似合わないし、そんな子には見えない。でも見えないだけで、押し殺したものがあるのかもしれない。 「好きな人は、いないの?」 「はい。きっと、今後も」 「どうして? 体が弱くても恋愛はできるよ」 「……何も、応えられません。普通の恋人同士が楽しめる事は、何も。それにその先も、ありません。心配させてばかりで、不安にさせてばかりで。きっと、不幸にしてしまいます」  俯いて、膝の上に乗せた手を強く握るアリアに「そんな事はないよ」と伝えたい。けれどどんな言葉で伝えればいい? 彼女の痛みを、ウルバスはきっと理解できない。五体満足な人間が、彼女の苦しみを分かってはあげられないだろう。  それでも伝えたい気持ちがあるなら、それは口にしなければ伝わらないのだ。 「……不幸だなんて、思わないよ」 「え?」 「不安も心配もあっても、きっと不幸にはならない。側にある時間を大事に思うだろうし、静かな時間もかけがえの無いものだよ。俺は、そう思う」  色んな恋人達を見てきた。思いを押し殺して苦しんだ人、失う恐怖に気も狂わん程に泣いた人、相手を思って身を引こうとした人、自分の気持ちに正直になれずに逃げようとした人。  沢山の悲しい事、苦しい事があった。けれど自分達で道を選び取って、傷つきながらも進んでいった人達に後悔や不幸はなかったと思う。  だから思うのだ。選んだ相手を本当に愛しているならどんな不幸な結果が待っていても、残ったものは不幸ばかりではないのだろうと。  思いながら自嘲する。そう思うなら自分も踏み込めばいいのに、怖くて動けないのはウルバスも同じなのだ。 「最初から諦めてしまうのは、勿体ないよ。アリアちゃんはとても魅力的で可愛いよ」  だから、そんな悲しい顔をしないで。  お昼を食べた後の予定は、予想外なものだった。 「絵を描くの?」  現在は画材店。そこでアリアは小さなスケッチブックと鉛筆を見ている。 「これでも私、絵を描いて生計を立てているんですよ」 「すごいね!」 「なんて、言い過ぎですけれど。本当に小さなお店においてもらっているくらいで、無名みたいなものです」  照れて笑うアリアにはもう、暗さはない。多分自分と同じで暗さを引きずらないのだろうと思う。いい事がないから。 「それでもすごいよ。俺はそういう方面まったくだから」 「そうなんですか?」  コテンと首を傾げるアリアに頷き、ウルバスは苦笑する。正直芸術は全くの門外漢だ。 「一応貴族家の出身なんだけどね。芸術も芸事もからっきしなんだ。おかしいでしょ?」 「そんな事ありませんよ。その分ウルバスさんはお強いですもの」 「それも実感がないんだよね。なんせ側に、化け物みたいに強い人がいるから」 「え?」 「君のお兄さん」  悪戯っぽく言うと、アリアも苦笑してしまう。流石に彼女の耳にも、ファウストの武勇伝は伝わっているようだ。 「でも、ウルバスさんもお強い人だと思います」 「そう思う?」 「はい。だって、全部自分がって思う兄様が信頼して任せる程の人ですもの」  言われて、考えて、途端に恥ずかしくなって少し熱くなる。知らず寄せられている信頼を自覚させられたようで、騎士冥利に尽きる。そしてあの人の信頼に応えられる者でありたいと改めて思うのだ。  必要な物を買って向かったのは近くの公園。そこにあるベンチに腰を下ろして、アリアは遊ぶ子供達を書いている。  その様子を隣で見ているウルバスは、流れるように走る鉛筆を感心してみていた。 「綺麗だね。子供達、とても楽しそうだ」 「そういう気持ちで書いているので」 「そういうもの?」 「私はそう思っています。楽しそうなその空気を残したいから、正確なデッサンとなるとちょっと違ってきますけれど。デッサンの正確さだとランバート義兄様がすごいですわ」 「あぁ、彼は器用で多才だからね」  神は彼に多すぎる才能を与えただろう。少々才能に埋もれそうな気もする。だが同時に与えた才能と同じだけの苦難を与えられている気がするが。 「雪だるま、可愛いですね」 「ん?」  見ると子供達は雪だるまを作り、枝を刺して手を作っている。それを見るアリアの目はとても懐かしそうだ。 「昔、体調がいいときに兄様達が作ってくれたんです。私は見ているしか出来なかったけれど」 「一緒に作りたかった?」 「少しだけ。ほんの少し、羨ましかったです」  手は自然と止まっている。ウルバスはその手をそっと握って、立ち上がった。 「作らない?」 「え?」 「今なら作れるよ、きっと。二人で、ね?」  一つでも、出来なかった事を乗り越えてもらいたい。その思いに、ウルバスは手を引く。やる前から諦めてしまわないで、少しでもやれたと思ってもらいたい。  アリアは暫く考えた後で、腰を上げた。  雪玉を核にして転がし、丸く作って行く。ある程度丸くなった胴体に更に手で雪をつけて大きく硬くして。  そこにもう一つ、今度は二人で頭を作る。  アリアはずっと楽しそうに、屈託のない笑みを浮かべている。髪が濡れるのも気にしないで子供みたいに夢中になって。そういうのを見ると、誘ってよかったなと思えてくる。 「じゃあ、頭を乗せるね」  胴体よりも少し小さな頭を乗せて支えて、ぐらつく首の所にアリアが雪をつけていく。綺麗に乗った頭にアリアが顔を枝で描いて、完成したのを見て二人で笑った。 「ちょっと、どうして顔ファウスト様にしたの?」 「面白そうだったので、ついつい」 「もう、面白過ぎるよ」  雪だるまなのに目がキリッと切れ長で、ただ枝で彫り込んだだけの顔が随分イケメンだ。うん、イケだるまだ。 「これ、今日夢に出て来たらどうしよう。本人みて爆笑しそうで怖い」 「そんな事……ふふっ、私も明日笑ってしまいそうです。困ったわ、明日顔合わせで兄様も来るのに」  二人でひとしきり笑って、気付けば外は茜色だ。 「そろそろ帰らないとね。送っていくよ」 「……はい」  またちょっと、残念そう。そういう気持ちがウルバスにも移る。だからっていつまでも「また明日」を繰り返す事もできない。  送っていくその足取りは、自然と惜しむようにゆっくりになっていった。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

277人が本棚に入れています
本棚に追加