フィールドワーク(ウルバス)

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フィールドワーク(ウルバス)

 ウルバス・チャートン、二七歳。  帝国騎士団、騎兵府第三師団師団長であると同時に、帝国海軍総督でもある海の男だ。  柔和で穏やか。面倒見も良く隊員達に人気で、付き合いもいい彼は結構なモテ男でもあるのだが、どういうわけか恋人を持たない。「男は恋愛対象外なのか?」と聞くと「そんな事はないよ」と返す不思議な人だ。  だが不思議なのは中身ばかりの話しではなく、プライベートもまた謎だったりする。  娼婦殺人事件、通称『毒婦事件』も下火になってきた二月初め。  平日の今日は朝から快晴で日差しが暖かく、風もない。冬の寒さも緩む穏やかな日だ。  ゆっくりと朝の時間を過ごしているウルバスは私服姿で、バタバタ出て行く隊員達にヒラヒラ手を振って見送っている。 「ウルバス、休みか?」 「あぁ、ファウスト様。えぇ、強制休暇ですよ。いい加減有給を消化しろって怒られちゃいまして」 「お前もか。俺もシウスに煩く言われているんだが」  側を通りかかるファウストが苦笑する。それにもウルバスは笑って頷いた。 「船を見にいこうと思ったんですけれどね。それをすると結局仕事するから駄目だってキアランにも怒られちゃって。楽しい趣味なんだから、許してくれてもいいでしょうにね」 「休日なのに仕事するとあれこれ煩いからな。まぁ、のんびりするといい」 「はい」  上官が出て行くというのに自分は休みというのは、なんだか申し訳ない気分になる。ウルバスは苦笑して、カップに残ったお茶を静かに飲み干した。  何にしてもこのままボーッと一日を潰すのは、なんだか休日に申し訳無い。それも贅沢ではあるが、もったいないお化けが出ても嫌だからウルバスは立ち上がり、もう一つの趣味に出る事にした。 「ウルバス様、お出かけですか?」 「うん、ちょっとね」  もの凄く軽装のままコートを軽く羽織っただけで、ウルバスは街に出た。気持ちのいい冬の晴天に思いきり体を伸ばし辺りを見回し、とてものんびりと口を開く。 「さて、今日は西地区を見て回ろうかな。新しい店とか出来てると面白いんだけれどね」  そう呟き、とてものんびりとフィールドワークへと出かけていった。  街を守る事がメインの仕事でもある第三師団。その長であるウルバスの趣味は船の操作、釣り、そしてフィールドワークだ。  半分仕事を兼ねたような町歩きだが、ウルバス的には楽しんでいる。今日は小さな雑貨屋を見つけた。女性物の髪飾りや鏡なんかが置いてある。店構えも新しそうだから、最近出来たのだろう。早速頭の中の地図に書き加えておかなければ。  カールの婚礼の時に人気になったぬいぐるみ店は多少落ち着いたが、それでもカップルや女子が多くてなんだか幸せそうだ。  しかもついこの間、無事に跡継ぎとなる王子が生まれ、ウェルカムテディーを注文していたからまた人気が出るだろう。  既に生まれた事は公表されたが、お披露目はもう少し王子が成長してからとなっている。  実はまだ城の侍医やカール、側近のヴィンセントやジョシュアしかその顔を見た事がないのだ。 「そういえば、もう少し行った所にファウスト様の弟……そうそう、ルカくんのお店があるんだったっけ」  ラセーニョ通りの中でも老舗の多い区画へと気ままに足を向けたウルバスの足取りは軽い。  そのまま大きな通りを歩いていると、ふと人通りのない細い路地の入り口に誰かの背中が見えた。  深い緑色のケープ付きのコートを着た、髪の長い女性の背中。小柄というか、華奢な印象がある。片手を店の壁に置き、路地に体を半分入れているから顔などは見えない。僅かに前屈みにしながら少し震えているようにも見える。  具合でも悪い?  よく見れば壁にもたれ掛かっているようにも見えるし、もう片方の手は胸に置いている。  気になってそっと側に寄ったウルバスは声をかけた。 「大丈夫ですか? どこか具合が……え?」  少し苦しそうにした女性が声に反応して顔を上げる。その顔を見て、ウルバスは驚きに声を無くしてしまった。  流れるような黒く長い髪、白磁のように白い顔は整って美しく、大きく丸い黒水晶のような瞳。この少女と特徴や顔立ちがよく似た人を、ウルバスは嫌と言うほど知っているのだ。  ファウスト様の女性バージョンだ! 「あの、大丈夫ですから……」  彼女はまだ胸に手を置いて、浅い息を何度か吐き出している。顔色が悪いとまでは言えないけれど、あまり調子がいいとも思えない。 「……もしかして、アリアさん?」 「え?」 「ファウスト様の妹さんですか?」 「あ……」  ファウストの名前を出した途端に、彼女はバツが悪そうに目を逸らす。明らかにそうなのに、全力で否定したそうな様子だ。これだけ態度と顔に出ているのに、まだ誤魔化せると思っている感じがする。  なんだか、面白い。顔はファウストに似ている美人なのに、浮かべる表情はまったく違う。具体的には鋭さや世慣れた感じがしなくて、素直そうで可愛らしい。 「あの……人違いです」 「俺、ファウスト様の部下でウルバスと言います。お話だけですが、伺っていますよ。ランバートの話しでは、とても似ているとか。本当だったんですね、すごく驚きました」 「…………はい」  流石に逃げられないと思ったのか、アリアは大きく息を吐き出して脱力する。そんな仕草もなんだか少女のようで愛らしいものだった。  だが、どうしてここへ? 確か体が弱くて空気のいい場所で静養していると聞いている。 「……もしかして、具合が悪いんですか?」  問うと、アリアはビクッと体を震わせた後で首を横にブンブン振る。だが、その動きにすら振り回されるのか少しふらつく。ちょっとフラッとした彼女の肩を抱きとめた。 「無理しないでください。誰か側にいますか? 宿泊先は……」 「あの、大丈夫です。あとほんの少しなので」 「そんな事を言って、本格的に具合が悪くなってからじゃ大変な事になりますよ。すぐ側に砦がありますから、まずはそこに」 「待って! あの、兄様には……兄には言わないでください!」 「そんな事、できるはずが……」  このまま放置しておくわけにはいかない。けれど動く気配はない。どうしたものか……考えたウルバスは「失礼します」と一言断ると、アリアを横に抱き上げた。 「きゃ!」 「暴れないでくださいね、危ないので。とりあえず、砦で少し休みましょう? 軍医の先生、そっと呼んでみます。ファウスト様は宿舎だから、こっそり先生だけ呼べばバレないかもしれませんし」 「あの……」 「まずは診察して、それからにしましょう? 大丈夫、ちゃんと行きたい場所に連れて行ってあげますから」  ニッコリと微笑んだウルバスを見たアリアは顔を赤くしながら、やがて小さく頷きウルバスの首に抱きつく。しっかりとアリアを抱き上げたまま、ウルバスは西砦へと進路を変えた。  今月街警は第二師団。西砦で丁度チェスターを捕まえてエリオットを呼んでくれるようお願いをしたウルバスは客室の一つにアリアを連れていって、まずはとお茶を淹れた。 「有り難うございます」 「いえいえ。それにしても、一人だったんですか? ここへは誰かと来たのでしょうから、同行の方、今頃心配しているんじゃ」 「一応お部屋に書き置きはしてあります」 「行き先も書いてありますか?」 「……」  あ、書いてないんだな。  気まずそうな様子で視線を逸らしたアリアを見て、ウルバスは小さく笑った。 「それでは診察の後、宿泊先に立ち寄ってご挨拶とお断りを入れてから目的地に向かいましょうか。その方がきっと、安心するから」 「あの……本当に私を行きたい場所に連れていってくださるのですか?」  黒い瞳がジッとウルバスを見る。不安そうに少し揺れる瞳をちゃんと見て、ウルバスはニッコリ微笑んで頷いた。 「勿論ですよ」 「あの、今日はお休みだったのでは? 私服姿ですし」 「休みだからこそ、好きにさせてもらいます。ファウスト様だって、部下の休日に口を挟む事は出来ませんので」  話しぶりからするとファウストは相当な過保護だ。まぁ、ランバートを思うあの人を見れば分かる。ランバートが長く離れると途端にソワソワして落ち着かない瞬間がある。あれは多分、心配でたまらないのだ。  それでもアリアが無理を押してあんな場所にいたのは、大事な目的があったからなんだろう。他人からしたら小さな事かもしれないが、体の弱い彼女には大事な事。それは、大切にしてあげなければならないと思うのだ。  アリアは驚いたように目を丸くした後で、嬉しそうに笑ってくれた。  そんな時間を過ごしていると、バタバタと近づいてくる足音が聞こえてきた。それだけでチェスターがしくじったのが分かる。彼には「エリオットだけにこっそり伝えて、こっそり連れてきてね」とお願いしたのだけれど。  ドアを開けた人は珍しく焦った顔をしていた。制服のまま少し髪を乱した姿はなかなか見られないもので、なんだか笑ってしまう。余裕のないこの人は滅多に見られないものだ。  だがアリアの方は焦ってしまったのだろう。僅かに腰を浮かせてオロオロしている。怯えているまではいかないけれど、まずい事を知られた子供くらいには焦っているのだろう。  これは、助けがいるかもしれない。スッとアリアの隣りに移動したウルバスが、ニッコリとファウストに微笑みかけた。 「来ちゃいましたか?」 「来ちゃ……お前な!」 「あはは、怖い顔は駄目ですって。ほら、可愛い妹さんが怯えていますよ? 嫌われちゃいますって」  言えばビクリとまずそうな顔をしてアリアへと視線を向けるファウスト。そんな姿もとても新鮮だ。怯えられたくないなんて、普段のこの人にしたらあり得ないものだ。  少し遅れてエリオットが診察鞄を持って近づいてくる。チェスターは任務失敗を気にしているのか落ち込んでいてしょんぼりして見えた。 「さて、診察します。お前達は外に出なさい」 「いや、俺は……」 「ファウスト、保護者でも年頃の女性の診察に男は入れません」  エリオットにこうまでピシャリと言われてはファウストも引き下がらざるを得ない。すごすごと部屋を出たその背で、パタンと扉は閉じてしまった。 「すいませんウルバス様。エリオット様に話したら、一応保護者にも連絡しなければと言われてしまって」 「あぁ、気にしない気にしない。エリオット様に逆らえる人なんて、この騎士団にはいないよ。第一、この人放り出すような人だよ? 無理無理」  しょんぼりしているチェスターはまるで反省している犬みたいだ。耳があったらへにょんとしているに違いない。そういうの可愛いなと思いながら頭をわしわし犬みたいに撫でてやって、お礼を伝えた。 「ウルバス、休日なのに悪かったな。迷惑をかけてしまった」 「あぁ、いいえ。迷惑なんて事はありませんよ。ブラブラしてただけなので」  それに幸運だった。もしもあの時気まぐれにルカの店の前を通ってみようと思わなかったら、彼女は今頃もっと苦しい思いをしていたかもしれない。具合が悪くなると彼女の場合、命に関わってしまう。 「アリアさん、保養地で静養しているんですよね? どうして王都に?」 「それは分からないが……」 「分からないんですか!」 「いや、多分そうじゃないかという事はあるんだ! ルカの結婚の日取りが決まったから、その前に両家の顔合わせをしようと言うことになったんだ。おそらくそこに出席するためだろう」  弟妹を過保護にしているというのに、大事な部分が「分からない」というのには驚く。  が、その理由も何となくは知っている。  ファウストと彼の父であるシュトライザー公爵の不仲は、とても有名な話しだ。  その辺が色々と絡んでくるのだろうと思う。 「弟さん、結婚本決まりなんですね。おめでとうございます」 「あぁ、有り難う」 「俺達、行き遅れですね」 「お前それ、自分で言っていて寂しくならないか?」 「俺、あまりそういうの焦らないタイプですから。のんびりしてますよ。それよりファウスト様は素敵なお嫁さんがいるんですから、さっさと抱き込んでくださいね。あんな良妻、なかなかないですからね」  ランバートは本当に良妻だと思う。夫ファウストのいい所と駄目な所をよく把握して、上手く舵取りができる。焚きつける事も落ち着かせる事も可能だ。更に有能で強く、剣をペンに持ち替えても優秀極まりない。更に美人で料理が出来て手先が器用で家柄がいい。優良物件すぎてちょっと怪しく思える相手だ。  そんな相手を前にさっさと食いつかないファウストは、煮え切らないのか何なのか。  まぁ、これも実父との不仲が関係していそうだが。 「それもあって、今回は俺も顔合わせに参加する。マクファーレンの爺さんとも久しぶりだからな。それに、親父と話しをつけてくる」  そういうファウストの目はまるで戦地に赴くような鋭さだ。 「喧嘩、しないでくださいね」  なんだか心配な様子に溜息をついたウルバスの横で、ドアが静かに開いた。 「診察終わりましたよ」 「あっ、はい」  エリオットが顔を出し、部屋の外にいたウルバスとファウストは揃って部屋に戻っていった。  アリアはすっかり身支度も整えて落ち着いている。 「エリオット、アリアの容態は?」 「容態なんて大げさな。疲れが少し出たくらいで、問題ありません。馬車での慣れない旅に、慣れない王都で疲れたのでしょう。ここでウルバスと休んでいる間にすっかり落ち着いたようです」  それを聞いたファウストはホッとした顔をする。そしてウルバスとエリオットに「有り難う」と声をかけた。 「アリア、今どこに泊まっている?」 「大通り沿いの、『reine』という大きな宿です。後でマクファーレンのお祖父様も合流する予定ですし」  reine はとても大きな宿で、貴族が常宿にしている事が多い。その為内装も美しく豪華で、サービスもいいので有名だ。 「屋敷の者と来ているのか?」 「はい、ヨシュア先生も同行してくれています」 「そうか。今日の所は送っていく」 「あの……」  これで自由な時間は終わり。それを感じたアリアが声を上げるが、心配をかけてしまった手前言葉を飲み込んだように見えた。とても悲しそうな表情で俯いてしまっている。 「……エリオット様、アリアさんの体調って、とくに心配な所見はないんですよね?」  不意に声をかけられた事に顔を上げたエリオットは、コクンと頷く。 「疲れが出ただけですから、ここでお茶を飲んでいる間に容態はすっかり落ち着いていました。発作の薬も定期薬もちゃんと持ち歩いていますし」 「では、誰かが側について様子をみて、休みながら動く分には問題ないんですよね?」 「えぇ、ありませんよ」  疑問そうに首を傾げるエリオットにニッコリと微笑んだウルバスは、今度はファウストとアリアに向き直った。 「では、俺が側について責任もって送り届けますので、少し王都を歩いてみませんか? 行きたい場所、あったのでしょ?」 「行きたい場所?」  ファウストは訝しい顔をしたが、アリアはパッと目を輝かせる。さっきまでの萎れた表情が嘘のようだ。 「多分ですが、ルカくんの店に行きたかったんじゃないかな?」 「あの、どうして!」 「ルカの店?」  アリアは驚き、ファウストは首を傾げる。そしてウルバスは予想通りである事にほっとした。 「アリアさんが立ち止まっていた場所の先に、ルカくんの店があったから」 「ルカに会いたいなら明後日には会えるが」 「アリアさんには会う以上の目的があるんだと思いますよ。ちゃんと俺がついていますし、いざとなれば運べますから」 「だが……」 「いいじゃないですか、王都見物。アリアさん、あまり来た事がないんですし。今日は暖かくて天気もいいんですよ? こんな日に引きこもって過ごしたら、マーロウみたいになってしまいますよ?」 「いや、それはちょっと……」  マーロウに随分失礼な話だ。  腕を組んで少し悩んでいるファウストを見て、ウルバスはアリアの側に行く。そしてこっそりと小さな声で耳打ちをした。 「あと一押しだよ」  アリアはコクンと頷いてファウストの側へと行き、腕に触れて見上げる。可愛い上目遣いに、ファウストはドキリと動きを止めた。 「兄様お願い。絶対に無理はしないし、ウルバス様の言う事をちゃんと聞くわ。お願い」 「う……ウルバス、お前入れ知恵!」 「何の事でしょうか?」 「兄様」  睨まれたって今は怖くない。所詮可愛い妹のお願いに兄は勝てないのだと、キアランを見て知っているのだ。  暫く抵抗していたが、やがてファウストはガックリと肩を落とす。そして一言「わかった」と疲れ果てたように言うのだ。  なかなかに面白いものが見られていると思う。少なくとも普段のこの人からは想像もつかない負け姿だ。 「ウルバス、済まないが頼む。宿には俺が言って伝えておく」 「え? ですが……」 「去年は状況が状況だけに顔を出せなかったからな。屋敷の者に挨拶を兼ねて行ってくる。アリア、絶対にウルバスの言う事を聞くんだぞ」 「はい! 兄様、大好き!」 「……うん」  だらしない軍神の照れ顔というのは、何とも平和な気分になるな。  何はともあれ、無事にアリアを目的地につれて行ってあげることが出来そうなので、めでたしめでたしである。
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