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1章魔法の国
彩花は飛び起きた。
寝返りを打った場所は帰り道の交差点でも家のベッドでも病院のベッドでもなかった。
ベッドから一番最初に見えた炎の揺れる場所が暖炉というものだと脳が理解して初めて掠れた悲鳴を上げる。
明らかに彩花が知っている場所ではなかった。
ついでにお気に入りの制服は見たこともない寝間着に変わっていた。
ベッドの傍らに用意された机に鞄が置いてある。
咄嗟にスマホを引っ張り出してみたが、電波がない。充電もそこそこ減っていた。カレンダーや時計を探す。ローマ数字の時計が二時半を差していた。カーテンを開くと蒼い月明かりが射し込んだ。深夜だと自覚して彩花の気は抜けた。それでも簡単に緊張状態はほどけなかった。自分に何が起きたのかと自問自答する。帰り道で、天候は雨で、珍しく感傷に浸っていた最中に何が起きたか。
ベッドに戻り、座り直すと腹の虫が悲鳴を上げた。
このわけのわからない状態でも空腹は襲うようだ。
けれども外へ出るには不安があった。朝まで待つべきかと精神を落ち着けようと腕立て伏せやら腹筋やら適当に動き回る。
部屋の扉が叩かれて、彩花は咄嗟に身構えた。
「どなた?」
相手が何か言うより早く、彩花は口を開いた。
徐に扉が開いて眼鏡の青年が入ってくる。身長は高く、背筋は延びている。年頃三十代だろうか黒髪を後ろで結わえていた。服装は彩花が見たこともないものだった。色は紺色で袖口がだぼついている。そのくせズボンはピシッとしていた。
「起きたかと思えば運動している。元気な娘さんだね」
「誰ですか?」
「この館の主のハルというんだ。宜しく。お嬢さん」
「ハルさん、私は彩花です。杉本彩花」
「アヤカ? 名字があるということは東の民俗か」
「あ、いえ、日本人です」
「にほん?」
ハルと名乗った青年が首をかしげる。言葉が分かっていないのだ。彩花は日本について説明する。
「日本です。海を挟んで中国とアメリカに挟まれている島国です。四季が楽しめる場所です」
「うん、俺はそんな島国も国も知らない。彩花はなぜここに来たんだ?」
きょとんとした表情のハルに対して彩花は戸惑う。
「どうしてと言われても分かりません。いきなり鯨が空に現れて、少年少女が何か叫んだんです。気がついたらベッドの上でした。ここはどこなんですか?」
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