三日目

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三日目

「あ、どうも神です」 「帰ってください」  近くの花瓶に伸びそうになった手をぐっと堪え、インターホン越しの相手に思いつく限りで一番強い拒絶の言葉を浴びせる。言いたいことは端的に、直球ど真ん中で伝えるのが一番だ。  神とか名乗るこの男が訪ねてくるのは、この晩でかれこれ三回目。もっと言えば三日連続になる。もう人となりを知っているだけに未知からくる恐怖心は湧いてこないけれど、恐怖が薄まればその分だけ怒りが割合を増すのもまた事実だ。  こんなことなら、一昨日に家に上げなければよかった。そんなことを考えながら、渋々――本当に渋々、部屋の鍵を開けて相手を通す。件の神様は、さも当然といった風に玄関を上がり、両手にスーパーの袋を抱えて居間にどっかと腰を下ろした。  家主の顔色を伺わないどころか、なんなら私よりも家主らしく振舞っているあたり、態度のでかさだけは紛れもなく神様レベルだ。もっとも、神様はもっと謙虚な存在じゃあないのか、と私の中の理性が主張しているわけだけれど。 「はいこれ、今日の分の食材ね。いやあ、まったく大変だったんだよ?今日は二十日市で安売りだから、もうおばさんの多いこと多いこと。卵とか一瞬で無くなるし、肉も国産の高いのしか残ってないし。あ、でもおかげでポイントは貯まったから、次は500円ぶん材料費が浮くんじゃない?ほいこれ割引券」 「……仮にも自称神様が、なんでポイントカードなんてみみっちいもの使ってるんですか」 「みみっちいとは心外だなあ。神様だって色々とカツカツなんだから、こんなものでも活用しなきゃやってられないんだよ。特にこの国じゃ尚更ね。はあ、なんでよりにもよって八百万も同僚がいる国で仕事しなきゃなんないのかなあ……」  苦虫を噛み潰したような顔をする私の反応をそっちのけにして、自称神様は魂の篭った嘆きを漏らす。やけに重みのあるその嘆きが、神様という肩書きとのアンバランスさをより一層加速させるような気がした。   「テレビのリモコンどこだっけ?これ?違うな、エアコンか」 「……テレビのリモコンならその棚の上です。昨日も言いましたけど、仮にも他人の家なんですから、もっと慎みを持って行動ください。一昨日も言いましたけど」  受け取ったスーパーの袋の中には、卵やら野菜やら肉やらがごっちゃになって入っていた。昨日すき焼きが食べたい、と私が零したことを覚えていたのか、はたまた自分が食べたかっただけか。  少なくとも100パーセントの善意で行動していないことだけは、この短い付き合いの中でも十二分すぎるほどにわかる。なんかやたら糸こんにゃくと豆腐多いし。すき焼きというより好きなもの焼きでしょ、もう。 「それで、今日はどうだった?一日出歩いてみた感想は」 「なんで私の行動知ってるんですか気持ち悪い」 「そりゃもちろん神様だからさ。で、どうだった?何か見つかった?」  執拗に聞いてくる自称神様を横目で睨みながらも、今日一日の行動に想いを馳せる。こうして聞くからにはどうせ結果もわかっているのだろうに、それでもあえて聞いてくるあたりが性格が悪い。 「誰も居ませんでしたよ。隣町まで足を伸ばしましたけど、最後は気味が悪くなって帰ってきました。連休なのにここまで人がいないなんて普通じゃないです。神様はどこのスーパーに行ったんですか?この辺りの人が全員その辺りに集まってるとか、そういうオチじゃないですよね」 「そんな大移動あったら、さすがに鈍感な君でも気がつくでしょ。いやでも、君のことだし気づかない可能性も――」 「肉減らしますよ?」 「なんでもないです」  エプロンを結ぶ手を止めて睨みを効かせると、自称神様は先程までの態度が嘘のように縮こまって正座に移行する。最初からそうしていればまだ感じもいいのに、なぜ自ら地雷を踏み抜きに行くのか甚だ謎だ。それはそれとして腹は立ったので、肉はちょっと減らそうと思う。  あくせくと動く私をそっちのけにして、自称神様はテレビのチャンネルを次々に切り替えていく。ここ数日、夕方のワイドショーではどのチャンネルでも同じようなニュースしかやっていないこともあって、なんとなくテレビを見る気もしないでいた。 「女子大生が謎の失踪だっけ?まったく、テレビの人たちもよく飽きないよね。失踪なんて、日本単位で見れば日常的だろうに。借金抱えたおっさんとか、多分ダース単位で失踪してるよ?」 「いきなり現実的な闇に触れてこないでください。一人暮らしの女子大生が失踪したなら、ニュースになるのも当然じゃないですか。花のJDですよ」 「花ねえ。にしては、君はまた随分と萎れてるみたいだけど。いや、僕は枯れかけの花も風情があって好きだけどね?」 「……ほっといてください」  別に枯れていようが、咲き方はその花の自由でしょう。喉元まで出かかった言葉を、すんでのところで吞み下す。  ムキになって言い返せば、何かを認めてしまうような気がして。それでも痛いところを突かれたことに変わりはなく、カセットコンロを心持ち乱暴に机の上に置く。   「おー、いいねいいね。コンロをつついてすき焼きとか、国産和牛を買ってきた甲斐もあるってものだよ」 「暇なら机に新聞紙でも引いててください。油ハネもバカにならないんですから」 「新聞紙ねえ。こっちもおんなじニュースしか載ってないけどね。他の話題がないわけでもあるまいに、まあよくも飽きないもんだ」  実家にいた頃から慣れているおかげで、料理の手際は同年代でもトップクラスだと言う自負はある。数分も経てば、目の前にはぐつぐつと煮える鍋が食欲をそそる匂いとともに鎮座していた。 「え、これもう食べていいの?いいよね?ぶっちゃけ待ちきれないんだけど」 「生肉でいいならお好きにどうぞ。お腹下しても責任は取りませんけど、神様なら大丈夫ですよね?昔のお供え物とか、どうせ生焼け肉ばっかりでしょうし」 「昔の基準が縄文時代だよね君。そんな昔からいるような高位の神様なら、そもそもこんなことしてないと思うよ?僕みたいな下っ端神様に出会えたことを幸運に思ってほしいね、まったく」 「人の家で夕飯にありつこうとする神様なんて欲しくないです。崇めてほしいならもっと神様っぽいことをしてください」  無駄口を叩いているうちに、気付けば国産和牛は美味しそうな色に変わっていた。待ちきれないといったふうに箸を動かす自称神様を押しとどめ、鍋をつついて肉と野菜を取り分けていく。  最初は7:3くらいで肉を自分の方に取り分けてやろうと思っていたけど、仮にも食材を持ってきたのは自称神様の方なのでやめることにした。そこまで意地汚い人間ではないつもりだし、大食いと思われるのも何か癪だ。 「あれ、思ったよりお肉いっぱいくれるんだね。もっと食べたがるものかと思ってたよ、君。なんならこれ全部、君一人で完食するものだとばかり」  前言撤回。こいつは糸こんにゃくと豆腐だけ食べていればいい。ヘルシーの濁流に溺れてしまえ。 「いやいや、流石に冗談だよ?さすがに、そんな、ねえ。おーい、お肉やーい」  自称神様は何やらわめいているようだけど、多分間違いなく空耳だろう。鍋奉行を怒らせるとどうなるか、その身と空腹をもって思い知るといいのです。 「それより、なんで毎日食材を買ってきてくれるんですか。わざわざ持ってくる義理もないでしょう」 「そう?どちらかといえば、君のほうが不思議だけどね。誰もいない街なんだから、食料なんてその辺のスーパーから盗ってくればいいんじゃない?誰も咎めたりしないと思うけどね」 「仮にも神様が言う台詞ですか、それ」  およそ神聖な存在が口にするとは思えない台詞に顔を顰めたものの、ある意味ではその言葉も正しいと思えてしまう。少なくとも一理あることは、今日1日街を歩き回った時点ではっきりしていた。 今さっきも触れたように、何故かこの街には今現在人がさっぱりいない。最初のうちは皆して家に篭もっているのか、なんて考えを巡らせたりもしたけれど、さすがに楽観視を続けるにも限界がある。部屋に帰ってくる頃には、「そういうもの」に巻き込まれたと受け入れる以外になくなっていた。 「誰もいないのにスーパーは開いてて、電気もついて空調も効いてる。そんなの普通に考えて怖すぎるじゃないですか。並んでる肉とか野菜だって見た目は普通ですけど、どうなってるかも分からないんですよ」  咄嗟に口から捻り出した言葉も、後半部分はどちらかといえばでまかせだ。売り場に陳列された食材たちを見たとき、いや、下手をすればこの怪現象に巻き込まれた三日前の時点で、これを食べてもなんら問題がないということは直感的に把握できていた。  それを知っていて盗難という行為に及ばないのは、他でもないこの自称神様が毎日食材をもってきてくれるからだ。ここ三日間、毎日夕飯の時間に部屋を訪れては、どこからともなく買ってきた食材を私に調理させて帰っていく。こうして書くと何か私が労働させられているように聞こえるかもしれないけど、食材の代金は全部自称神様が負担しているし、なんなら買い物袋の中には朝昼のぶんの食料も入っていたりする。私は正しくこの人に生かされているのだ。 「お、なんか今いいこと考えてるね。そうそう、もっともっと褒めてほらほら。神様なんて崇めてなんぼだよ?信仰のない神様なんて死んでるのと同じだからね」 「ええ、もちろん信仰はしていますよ。このまま崇めていれば、少なくとも食には困らないでしょうし。信仰心で食材のグレードが変わるとなおいいですね」 「神様をそんなポイントカードみたいに扱わないでくれる?」 「ポイントカード使ってる神様が何を言いますか」  取るに足らない言葉をぶつけ合いながら、逐次鍋に食材を投入していく。国産和牛が入るたびに感動の声を漏らす自称神様は、こうして見る限りではただの小学生男子だ。見た目的にはいい大人のはずなのだけど、どうにも小学生から中身が進歩していないらしい。あるいは神様らしく年齢なんてものが存在しないのかな、なんて考えがふと頭をよぎったりもする。 「それで君――お、この豆腐めっちゃ美味しいね。高いの買ってきてよかったかも」 「自分で始めた話の腰を折らないでください。それと口に物を入れたまま喋らないでもらえますか」 「ん、失礼。それで君、明日はどうするつもり?また今日みたいに市内探索?それとも家にこもって一日中ゲーム?」 「そんな自堕落な人間に見えますか?」  そもそもにおいて、一日中熱狂できるようなゲームなんてうちにはない。スマホは電波が入っていないからその類のゲームもできないし、家にある本はすでに何周もしているものばかりだ。結果として、明日の行動は消去法で決まってくる。 「まあ、誰もいない街を探索するのも風情があっていいんじゃない?こんな機会、本来なら生きてる間に一度だってないんだろうしね。この世界が君に危害を加えないことは僕が保証するし、せっかくなんだから楽しまなきゃ損だよ?」 「……急に神様っぽいこと言いますね」 「そりゃ神様だからね。うま」  それっぽいことを言いながらも箸が止まらない自称神様と、嫌そうな口調で反駁しながらも箸を止めない私。鍋を挟んで相対する奇妙な取り合わせの上で、時計の針がくるくると流れていく。我に返った時には、既に鍋の中身は空っぽと言って差し支えないところまで消え去っていた。 「あ”ー、食べた食べた。ご馳走様、毎日美味しいものを食べさせてもらって悪いね」 「お粗末さまでした。そう思うなら、たまには自分で作ったらどうですか」 「いやいや、君の前で料理を作るなんて畏れ多いよ。餅は餅屋、僕は僕のやれること以外はやりたくない人間だからね――あ、今の人間って言葉には『かみさま』ってルビを振っておいて」  食べ終わった自称神様がご馳走様と言い、私がお粗末様でしたと返す。日課というにはあまりにも定着して日が浅いけど、これが暗黙の了解としてここ三日間の取り決めのようなものになっていた。 「それで、本当に後片付けはしなくて大丈夫?僕だって矜持めいたものはあるし、ご馳走になった身なんだからそれくらいはするよ」 「お供物の後片付けをする神様が何処にいるんですか。私だって作り手としての矜持があるんですから、神様は堂々と玄関から帰ればいいんです」 「ふうむ……そう言われると何も言い返せないな。それじゃ、お言葉に甘えようか」  大きく伸びをして立ち上がった自称神様は、いかにも満たされたと言った表情で腹をさすりながら玄関へと歩き出す。唐突に来て唐突に帰る、これもこの人(神?)と食事をする上での大きなポイントだ。未練も何もなく、けれど決して薄情というわけではない、そんな振る舞いがどうにも板についている。 「……明日も来るんですか?」 「うん?ああ、もちろん。分かってるなら話も早いね。時間もまだあることだし、君はゆっくりここで悩むといい。それじゃ、またね」  ひらひらと手を振って別れを告げた自称神様は、それらしい言葉を残して扉の向こうへと去っていく。  軋みを上げる扉が閉まった時には、もう誰かがいた気配は部屋の何処にも残っていなかった。
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