(13)即身仏(そくしんぶつ)

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(13)即身仏(そくしんぶつ)

十年前のことだ。 先生は、世の平和を祈るために仏様になることを決めた。 即身仏だ。 即身仏の修行は、仏教の中でも最も恐ろしく過酷なものだ。 まずは千日、五穀断ちをして米や麦等を食べずに脂肪や筋肉を落とす。 次の千日、木食(もくじき)をして木の皮や木の根を食べて命を繋ぐ。 死後の体に、蛆や細菌が湧かないように漆を飲み続ける。 これらの修行をしながら、世の平和を祈り続けるのだ。 その過酷な修行は、先生を骨と皮だけの生き物にした。 弟子たちや檀家の人々は、次第に離れていった。 日に日に痩せ衰える先生の姿を見ていられなかったからか。 先生の強靭な精神力に狂気を感じたからか。 即身仏に協力することが、現代の日本で自殺幇助の罪になるからか。 結局。 最後まで先生の側にいたのは僕だけになった。 嬉しかった。 どんな形であれ、先生の側にいられたから。 例え先生が世の平和しか考えていなくても。 僕は何年も、厳しい修行で動くことすらままならなくなった先生の世話をした。 衣類の着脱。 食事。 入浴。 下の世話まで。 先生が世の平和を祈るのを支えることに、僕はこの上ない喜びを感じた。 僕には先生だけだったし、先生には僕だけだった。 幸せだった。 本当に幸せだった。 幸せには終わりがあった。 全ての準備を終えた先生は、最後の修行を始めた。 その修行とは、土中入定(どちゅうにゅうじょう)。 地面に掘った小さな穴に石室を作り、土を被せて、修行者は何も食べずに死ぬまで経を読み世の平和を祈る修行だ。 空気穴としての竹筒から鈴の音や経を読む声が聞こえなくなったら、それは修行者の死を意味する。 修行者が死んだら更に千日待ち、掘り返すとそこに修行者の木乃伊(ミイラ)が現れる。 即身仏の完成だ。 「ああ」 「ああ」 石室で座禅を組む先生を見下ろして、僕は迷っていた。 その時になって、僕は事の重大さに恐怖していたのだ。 先生が死ぬ恐怖。 先生の死に加担する恐怖。 僕は自ら愛する先生を生き埋めにする恐怖に、動けなくなってしまった。 先生は、そんな僕の考えを見通していたのだろう。 先生は、経を読むのをやめた。 驚いた僕を見上げて、先生は言った。 「蓮(れん)くん」 呼んだ。 先生が。 僕を。 何年も経を唱え続けていた先生が。 僕の俗名を。 「先生」 「百合男(ゆりお)先生!」 僕は歓喜した。 同時に泣きたくなった。 先生の声が震えて、掠れていたから。 もう終わりだとわかってしまったから。 先生は笑っていた。 もう笑うだけの筋力もないのに。 僕のために。 僕だけのために! 僕は嬉しかった。 本当に本当に嬉しかった。 泣けばいいのか笑えばいいのかわからなかった。 そんな僕を先生はただ見ていた。 見てくれた。 そして、先生は言った。 「いいよ」 その後の記憶は、ひどく曖昧だった。 ただ間違いなく、僕は泣いていた。 石室を閉めた。 土を被せた。 空気穴としての竹筒から、経を唱える声と鈴の音を確認した。 僕は泣いた。 嬉しかった。 苦しかった。 辛かった。 悲しかった。 先生の言葉と意味を考えるほど、涙が止まらなかった。 その日を境に、僕の地獄が始まった。 僕はただひたすら、時が経つのを待っていた。 穴から聞こえる経を唱える声と鈴の音が聞こえなくなる恐怖に、怯え続けていた。 待って。 待って。 待ち続けて。 気がつけば。 何千日も経っていた。 先生は、即身仏の修行を終えていた。
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