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其の二:妖の巻
八城宜 燐という男は、妖怪であり、人間のように体の弱い節がある。
かと言ってか弱い存在なのかといえばそういうわけでもなく、「わいら」という人食い妖怪なのである。
「燐さん見てください、桜がきれいですよ」
千峲のやわらかい声につられるように、俺は顔をあげた。
少し広い中庭を散歩している最中、俺の様子を見計らって千峲は「少し休憩しましょう」と桜の木の下にあるベンチに腰掛けているのだ。
きれいだ。4月の暖かい風に吹かれて、満開の桜吹雪が儚げに散っている。
何も言わずに桜を見上げる俺が、千峲にどう映ったのかは理解出来ないが少し心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「調子、悪いですか?」
俺は最初、その言葉の意図がわからずきょとんとした顔で千峲の顔を見つめ返したが、なんだかおかしくなって笑い声をもらして首を振る。
「はは…いいや。寧ろ今日は調子がいいくらいだ」
「?そうですか、それは、よかった」
千峲は安心したようにふにゃりと笑顔を見せて、改めて桜を見上げてから繰り返すように「本当にきれいだ」といった。
千峲は、俺と同じ妖怪だ。出会った頃から腰の低い男だった。
最初こそ、妖怪のくせになんて意気地のない男なのだと思っていた頃もあったけれど、千峲は以外と正義感の強い男で小柄な見た目の割に大きな器や、はっきりとした物言いをするという男らしいところもあることに気が付いたのは、こうして翁荘で共に時間を過ごすようになってからだ。
俺の体が弱いことを知っている千峲はこうして、部屋に引きこもりがちな俺を外に連れ出して散歩をしたり、体調の優れないときには付きっきりで面倒をみてくれたりするので、とても感謝をしている。
ちらり、千峲の方を横目で見やると、さっきの笑顔とは裏腹に青い瞳は悲しそうな、寂しそうな、切なそうな、そんな色に染まっていた。
――千峲は時々、こんな表情をする時がある。
その時は決まって同じことを考えているに違いないのだ。
「…千峲、」
「せんりぃ~~~~!」
俺の小さな声を馬鹿にするように、大きなあほ丸出しの大声でこちらに走ってくる人影が見えた。…いづるだ。
まっすぐぶれることなく千峲の元へ走ってきて、息せき切ることなくまぶしいほどの笑顔で俺と千峲に手を挙げた。
「や。元気かいアヤカシ諸君」
「いづるさん。今日は風柳さんのお手伝いのはずじゃ?」
「おうよ!ぱぱ~っと終わらせてきたぜ!」
いづると話をする千峲には先ほどの暗い影はなく、いつもの明るい雰囲気に戻っていた。こうしてころりと表情を変えるのは千峲の良いところであり、相手に表情を読ませないという、悪いところでもあるのだ。
俺は折角の千峲の話を聞く機会を逃してしまった、と何も知らずへらへらと笑ういづるを恨めし気に睨んだけれど、それも虚しく思い、ため息を吐いた。
「聞くな千峲。いづるのことだ、どうせめんどくさくなって抜け出してきたんだろう」
「えッ!な、そ、違うよ!違うからな!」
「図星か…」
俺の言葉に慌てふためくいづるに背を向けて、室内に戻ろうと歩を進めた。
千峲が俺といづるを交互に見ながらおどおどと困った末、
「す、少し休んだらちゃんと風柳さんの所へ戻ってあげてくださいね!」
とだけ言い残して、俺の背を追いかけてくる千峲に、その後ろでわざとらしい泣き声をあげるいづるの声にまた、笑いがこみあげてくる。
おかしな話だ。俺のような「わいら」があの下等な人間の真似事をして、くだらない日常に笑っているのだ。
「…今日はよく笑いますね、燐さん?」
「ん?はは、そうか。いやなに、あんまりにおかしいんでな」
「いづるさんですか?まったく、風柳さんの手伝いをほっぽりだすなんていけませんよね!」
今更ながらに怒りが沸き立ったのか、千峲は唇を尖らせながら頬を小さく膨らませて見せた。
そこじゃないのだけれど。そう思ったけれど、口には出さずに千峲の言葉に「そうだな」と同意の言葉をもらした。
千峲も強くなったものだ。
最初こそ、あの「白い神様」を怖がってばかりでいたのに。
「おーい。アヤカシサマ~。昼ご飯の時間だってよぉ」
窓に寄りかかりながら、やる気のなさそうなキサラの声が聞こえたと思えば先ほどまで後ろでめそめそとしていたいづるがものすごいスピードで俺たち2人の間を走りぬいていく。
「今日の飯はらーめんだぞお前らあ!俺一番乗りーー!」
「いやもう霜月食ってんだけど」
「じゃあ二番乗りじゃーー!!」
「はいはい」
窓を飛び越え、さっさとキサラと廊下を走り食堂へ向かういづるをぽかんと見送り、千峲と顔を見合わせてどちらともなく吹きだした。
「俺たちも行くか」
「はい。らーめんなくなっちゃいますもんね」
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