約束の夏

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「ゆう…ゆう…」 誰かに呼ばれた気がして目が覚めた。 いつの間にか隣には拓ちゃんが寝ていて、蚊帳の中には少しの月の明かりが差し込んでいた。 枕元にに蝉の本があった。 読みながら寝てしまったのだ。 「ゆう…」 また声がした。 蚊帳の中を見渡したけれど、みんな眠っている。 「ゆう、此処だよ」 「誰?何処?」 僕は、蚊帳を出て廊下をキョロキョロしたけれど、誰も居ない。 大ちゃんでもない。 「こっちこっち」 声は廊下の隅から、バタバタする音と一緒に聞こえて来た。 そっと近づくと、暗がりに高ちゃんの虫籠が転がっていた。 僕は、月の明かりの下まで虫籠を持って、縁側に腰掛けると小さな声で尋ねた。 「僕を呼んだ?」 「うん、お願いがあるんだ。此処から出してくれないかな。そしたら空まで連れて行ってあげる」 「空?」 「そう。僕はこんな所でじっとしているわけにはいかないんだ」 「うん」 「蝉はすぐ死んじゃうんだから、放しておやり」 って、おばあちゃんが高ちゃんに言ってた。 僕がプラスチックの蓋を開けると、蝉はノソノソ這い出して来て、掌に乗った。 「ありがとう。ゆう。さぁ行こう」 「え?」 とか、 「あっ」 とか、僕が声を上げる間に、掌に乗っていたはずの蝉は、大ちゃんくらいに大きくなって、僕の身体は空に浮かんでいた。 蝉の手が僕の手をしっかり握っている。 「うわっうわぁ、高い。目が回る」 「ゆう、お月様見て。星も」 「速いっ、ハリー、ハリー、待って。待ってよ」 急上昇したかと思ったら、今度は急ブレーキを掛けるみたいに止まるから、僕は振り回されて手を離してしまった。 落ちるっとギュッと目をつぶったけれど、身体はふわっと浮いて抱っこされていた。 「ごめんごめん。今なんて言った?」 「今って?ん、待ってって」 「その前」 「えぇと…速い?」 「そのあと」 「も、わかんないよ。速くて…あ、ハリー?」 「そうそれそれ。ハリーって僕のこと?」 「ん…うん。ハリー」 「ハリー。僕、ハリーって言うんだ」 ハリーは嬉しそうに笑った。
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