変わらないもの

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 思わず振り向いてしまった。初めて呼び止められたからか、振り向くつもりなんてなかったのに。  そこには艶やかな漆黒の長い髪をシニョンにして束ね、紺色のエプロンに身を包んだ女性が目の前まで自分を追いかけてきていた。  陶器みたいに白くて艶やかな肌によく映える、真っ黒の丸い瞳と目が合う。  一瞬だけ時が止まったような気がした。永遠のような時間。女性はその大きな瞳を少しだけ細めるとゆっくりと頭を下げた。 「いつも買いに来てくれてありがとう」  顔を上げた彼女は少しだけ頬を染める。俺の顔はきっと彼女とは比べものにならないくらい赤いに違いない。  だめだ、もう耐えられない 「……ッス」  小さく会釈をして飛び出すように扉を開けた。がむしゃらに足を踏み出し、大股でただただ歩く。  あの人が笑った。  俺に向かって、確かに。  もういっそ走り出してしまいたかったのに、プリンが崩れてしまいそうで競歩しかできなかった。  運良く近くの公園にたどり着くとベンチになだれ込む。木製のベンチが派手に鳴いた。180cmと体ばかり大きくて、なのに中身はちっぽけな男だ、俺なんて。はぁ、と吐いたため息はゆらりと風に乗って消えた。  気を取り直し、パチパチと箱の留め部分を外す。そこから“す”ひとつない艶やかなプリンが現れた。備え付けのスプーンをプリンに突き刺す。  昔ながらの硬めなプリン。  香り豊かなバニラビーンズの粒がカラメルにまで贅沢に使われている。口の中で一瞬にして溶けた。甘いバニラの香り。卵と牛乳のホッとする味。  10年前から味も値段も変わらない。このプリンは少しも色褪せない。  時が流れ、クソジジイがこの世から居なくなっても、彼女の手によって変わらずあの店にあり続けた。 「クソジジイ、今日もプリンは絶好調だ。奈々子は変わらず元気そうだよ。そんでもって……」  変わらず綺麗だった。  その言葉を飲み込むように2口目のプリンを口に入れた。
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