弥生

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五月三十一日  今日は土曜日なので学校はありません。天気予報というのはある程度は正確なもので、昨日の予報はあたって、やっぱり雨が降りました。出かけることもできず、やることもないので、彼女のことを好きになったきっかけについて書きたいと思います(これはかなり恥ずかしいことで、自身の恋心を文字に表すことへの抵抗はもちろん、誰に読まれるわけでもない日記にわざわざそんな説明書きを加えること自体とてもバカらしいことです)。  彼女とは四月のクラス替えで初めて出会いました。その立ち振る舞いをみて、美しい人だ、と思ったのです。彼女が美人であることはこの前も書いたけれど、その全てが美しかったのです。始業式の日に、クラスが変わって環境の変化にもなじめないだろうに、彼女は笑顔で初対面のクラスメイトに話しかけていたのを覚えています。それも押し付けがましい笑顔や、こびを売った笑顔ではなくて、本当に心から笑っているように見えました。笑うのが苦手な自分には、それがとても凄いことのように思えました。笑うとかすかにできる彼女のえくぼがとても好きです(こんなことを書くのはとても恥ずかしいです)。ヤマトナデシコ、という言葉がありますが、彼女はそれとはちょっと違うタイプで、明るくて、いつもいろんな人と楽しそうに話していました。あと声がちょっとだけ大きいです。彼女のカラカラとした笑い声は、よく教室に響いて、それを聞くのが好きです。日本人の美意識とやらとはかけ離れているかもしれないけれど、そういうものが嫌いな自分には、彼女は力強くて美しく感じるのです。  そういうわけで彼女には最初からひかれていたのですが、決定的だったのはその後にあった出来事でした。クラスが変わってすぐに、クラス委員の決定がありました。これはクラスが一つのコミュニティである以上当然の行事であり、一方で自分には全く関係のない行事であると皆が思っていました。 「お前やれよー」 「はぁ、ぜってーやだよ、やれっつったほうがやれよ」 「ならじゃんけんしような。お前パー出せよ」  クラスの後ろの方では、こんな茶番が続いていて、正直うんざりしていました。その上、クラス委員、特に面倒な委員長なんかには誰もなりたがらないので、この行事は長引きました。早く終わらないものかと皆が思っていたし、かといって、そのためのいけにえになるのも皆ごめんでした。 「めんどくせえな」  突然一人の生徒が声をあげました。奴はクラスで初日から小さなグループを作り、偉そうにギャーギャー騒いでいる、なんだか偉そうな感じがして嫌な奴でした(自分も人のことを言えた口ではないけれど、少なくとも一匹狼でいて他者との馴れ合いを好まない分、少しはマシだと思っています)。 先ほど聞こえた茶番劇もこのグループの内輪ノリで、その結果こいつはじゃんけんに負けて副委員長になったようでした。そいつはにやにやしながら言いました。 「適当に決めちゃってもいいんじゃないの?なんか真面目でやってくれそうなやついるんじゃね?」  この後どうなるかはおおよそ予想がつきました。こいつは拒否ができない奴に無理やり、面倒を押し付けようとしているのです。いわゆる「真面目ちゃん」なんて言われるスクールカーストの低い子たちに、無理やりやらせようとしているのです。誰をターゲットにしようとしているんだろう、と思うと無性に腹が立ったので、そいつをキッとにらみつけました。奴と目が合いました。奴はこちらを見ると、またにやにや笑いました。 「こいつとかいいんじゃね?」  そこで彼に指さされていたのは、自分でした。まさかターゲットが自分だと思っていませんでした。予想外の出来事に一瞬たじろいでしまったのがよくなかったようです。奴はそれを見逃しませんでした。 「なー!みんないいと思わない?まじめそうだしさー!」  しまった、と思いました。クラスメイトを味方につけられてしまった。こうなってはもう勝ち目はないと思いました。クラスメイトは、自分たちが選ばれなかったことにほっとした様子で、いいじゃんいいじゃん、なんて口々に肯定していました。もうだめです。こちらには、どうせ断る勇気も抵抗力もないのです。悪口がいくつも頭をよぎったのですが、それらを口に出すことは当然できませんでした。こいつはきっと雑用を全て押し付ける気なのでしょう。そのくせして、副委員長なんて地位にあぐらをかいて、スクールカーストの上でふんぞり返る予定なのでしょう。どうせこちらはその下で、ミミズのようにはいつくばるのだと思うと、とても悔しいです。この世は正直者がバカを見る世の中です。その強制力に打ち負け、しぶしぶ手を挙げようとしたそのときでした。 「あのー、委員長、私やってもいい?」  その声は、まぎれもなく彼女のものでした。クラスから、どよよ、という声が聞こえました。思わず彼女の方を見ると、彼女はすくっと立ち上がって、手を挙げていました。その手はすらっと細くて、とてもきれいでした。つややかなその指は輝いて見えました。  クラスの面々も長引く行事に飽き飽きとしていたところだったので、委員長は彼女に決まりました。彼女はかばってくれたのでしょうか。彼女は元来委員長なんてやる性分ではないのですから。「真面目ちゃん」の仕事を好き好んでやるような人ではありません。後ろから彼女とその友達の会話が聞こえます。相変わらず彼女は声が少し大きいです。 「なんで立候補したの?」 「えー、だってさ、委員長とかやると内申上がるらしいよ!」 「そんな打算的な理由なの!」  そうではないことは分かっています。彼女はこの、哀れな一人の生徒をかばったのです。それは、自分が彼女にとって特別な存在であるとうぬぼれているわけでは断じてありません。彼女は、誰にだって同じことをしたでしょう。その万物に注がれる優しさこそが彼女を美しく見せる理由なのです。だから彼女が好きなのです。書いていて恥ずかしくなってきてしまったので、今日はもう寝ようと思います。もう気がついたら午前二時です。明日は日曜日なのでゆっくり寝ます。
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