第一章 アルバイトを始めよう
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第一章 アルバイトを始めよう

 ここは、様々な種族が共存する世界だ。  まずは「人間」あるいは「ヒト族」と呼ばれるもの。それから長い寿命を持つ森の精霊族などの、人型だけれど人間ではないもの。動物と似た姿の種族、昆虫にしか見えない姿のもの、その他いかなる分類もしづらいなんだかよくわからない形のものなど、たくさんの異種族がともに暮らしている。  遠い昔まで遡れば精霊族しかいなかった、というような伝説も伝わってはいるが、現在ではどの種族も地上の覇者というには足りない。時にはいがみあったり、喧嘩したり、戦争したりもしつつ、そこそこ上手くやっている、というのが、この世界の現状であった。  そんな世界であるから、時には種族を超えて協力し合うようなことも多々起こり得るのだが――。  ――リヴィオは、アルバイト募集の掲示板の前で立ち尽くしていた。  彼は人間である。歳は二十歳と数か月。栗色の髪と茶色い瞳で、造形は取り立てて美形というわけでもなく、また不細工というわけでもない。平凡で目立たない顔立ちだ。  その彼が、何を見ているのかというと。 『代理出産(人間男性に限る)』  なんだこりゃ、である。  リヴィオの常識では、男は子どもを生めない。いや、もしかしたら他種族には男でも出産できるものがあるのかもしれないが、少なくとも人間の男は無理だ。それが代理出産とは、一体どういう話なのか。  アルバイト内容の詳細は記載されていない。だが、報酬の欄に書かれている額が凄かった。 『金貨三十枚』  金貨三十枚といえば、二十年くらいは充分暮らせる額であった。孤児として生まれ、定職に就けず、日雇いアルバイトで食い繋いでいる身としては、喉から手が出るほど欲しい金である。  とはいえ、美味しい話には裏があるものだ。これだけの金額を出すからには、ヤバいバイトに違いない。よくても危険、悪ければ生命を落としかねないような。  しかし、金貨三十枚だ。ヤバいバイトはヤバいバイトだろうが、どんな仕事かくらい確かめても損はあるまい。  リヴィオは係官のカウンターに歩いていった。  ここは仕事の斡旋所で、現代社会でいう職業安定所のようなものだ。ただし、仕事として多いのは日雇いから短期間のアルバイトである。長期間に渡るものになるとぐんと数が減り、技能試験があったり、実務経験を問われたり、そもそもしっかりした筋からの紹介しか受け付けなかったりして、途端に狭き門となるのだ。  なんの後ろ盾もない者には、社会は冷たい。  リヴィオはここ三日ばかりろくに食べていなかった。空腹であまり頭が回らない。ヤバそうな仕事とわかってはいても、目の前にちらつく金貨三十枚に涎が垂れそうだった。 「あの、すみません。あそこに掲示してあった、二十八番の仕事なんですが」  リヴィオが切り出すと、係官がにっこり笑った。 「二十八番というと、代理出産ですね。ゲルセックの」 「ゲルセック?」 「そういう名前の種族がいるんですよ。ご存じありませんか?」  ご存じない。聞いたこともなかった。 「深い谷に棲んでいる種族なんですよ。ほとんど街には現れませんね。宝石を造り出すことができるなどと言われています」  ああ、だから金貨三十枚などという破格の報酬を出せるのか。リヴィオも合点がいった。 「その、代理出産って、人間男性って書いてましたけど」  おそるおそる、リヴィオは確認してみる。  係官はあっさり頷いた。 「そうです。人間男性の直腸で卵を温めて孵すんですよ」 「……は?」  なんだかいま、さらりとすごいことを言われたような。  人間男性の直腸で卵を温めて孵す? なんだそれは。頭の中が疑問符でいっぱいになるリヴィオであった。  だが、卵ということは、要するに直腸に卵を産みつけられるということなのではあるまいか。それは怖い。とてもとても怖い。 「あの、それ、大丈夫なんですか? その、赤ん坊に腹食い破られるなんてことは……」 「そういう話は聞いたことがありませんねえ」  係官はのんびりしている。  それは聞いたことがないだけなのか、それとも正真正銘ないのか、果たしてどちらだ。  不安に駆られるリヴィオに、係官は穏やかに微笑んだ。 「大丈夫ですよ。ゲルセックの代理出産は時々入ってくるお仕事なんですが、ひどい目に遭ったなどという話は聞いたことがありません。代理出産という言葉がいけないのでしょうかね。実際には、お腹の中で卵を温めるだけで、出産には痛みも苦しみもないと聞いています。第一危ないお仕事ならうちで掲示するはずないじゃないですか。ゲルセックは友好的で穏やかな種族だそうですよ。卵を抱いた人間は一か月の間大事に扱われるといいます」 「は、はあ。一か月?」 「はい。ゲルセックの居住地へ行って、一か月彼らと生活をともにするんです。きれいなところらしいですよ」 「ええと、一か月?」 「はい。一か月」  どうもリヴィオにはまだよくわからない。腹ペコだからか。  係官が苦笑する。 「ご説明しますね。まず、ゲルセックというのは単為生殖する種族です。雄も雌もなく、自分ひとりで卵を産むのだそうです。ですが、この卵は外気に触れさせたままだとすぐに乾いて死んでしまうだとかで、他の生物に預けて温めてもらうんですよ」 「いや、なんで他の生物に預けるんですか? 自分で温めればいいのに」  もっともな疑問だと思う。が、係官は両手を広げた。 「それが、彼らは自分では温められないんですよ。卵を温めるための器官がないらしいです」 「鳥みたいに腹の下で温めればいいんじゃないですかね。それか、それこそ直腸で温めるとか」 「総排泄口はあるようですが、人間とは造りが違って、卵が内部に定着してくれないんですって」 「……内部に定着?」 「内部に定着」  聞けば聞くほど怖いのは気のせいか。 「彼らの卵が、最も適応できる環境が人間男性の直腸なのだそうです。ゲルセックは長年そうして繁殖してきたんですね」 「あの、それ、人間の男じゃなきゃダメなんですか? 女じゃダメ?」 「ダメらしいですねえ。生々しいお話になりますが、子宮に入れると卵が変形して死んでしまい、直腸に入れるとやはりこれも定着しないで排出されてしまうのだとか。男性だと大丈夫なのは、男性特有の器官のせいではないかと言われていたりもするようですが」  男性特有の器官とは、アレのことだろうか? リヴィオは眉間に皺を寄せる。 「人間じゃなくても、アレはあるのでは?」 「アレとおっしゃるのが生殖器のことであれば、確かにその通りですね。しかしほかの種族だと環境が合わないようで……」 「……定着せず、排出される?」 「そうそう、そうです」  理屈はなんとなくわかった。が、実に横暴な話である。自分たちが繁殖するのに他の種族の直腸を使うだなんて。大体直腸は排泄に使う器官であって、出産だの産卵だののための器官ではない。  係官が話を続ける。 「一か月と先程から言っていますが、ゲルセックの卵が孵るまでの期間が約一か月なんですよ。卵を直腸に入れてから一か月の間、それはそれは大切にしてくれるらしいですね。食べ物も飲み物も人間の好むものが用意されて、何ひとつ困ることなくゆったり過ごせるんですって」 「はあ……」  それが真実ならば、夢のような話だ。ますます怪しい。 「あの、じゃあ、その……どうやって直腸に卵を入れるんですか?」  すると係官は、にやりとどことなくいやらしい笑みを浮かべたのである。 「それはまあ、私の口からは言えませんよね」  この係官は利用者を怖がらせてどうしようというのか。  しかし、大体想像はつく。想像はつくし、ソレも込みでの金貨三十枚なのかと納得もするが。  ――俺、ヤるの? っていうか、ヤられちゃうの?  自慢ではないが、リヴィオはいままで身体を売ったことだけはないのだ。親の顔も知らず、孤児院で育ち、ギリギリのところを綱渡りで生きてきたから、時には汚いことや悪いこともした。それでも身体だけは売らずに済んできた――いや、しかし、それもただ運がよかっただけなのだろう。  二十歳も超えたいまになって、とうとうソッチに手をつけるハメになったのか。  つらい。  が、いくらあがいても、掲示板にはリヴィオ向きの仕事は他になかった。石切り工や運搬業――ダメ。体格のいい者を求むとある(すみませんねえ、ガリガリのチビで)。家政夫や子守り――無理。経験者のみだそうだ(そりゃあ、俺に子守りができるとも思えねえけどさ)。そんなのばかりで、タイミングが悪かった。  空腹で目が眩む。今日のメシ代すらなく、すぐに稼げるアテもない。何でもいいからとにかく仕事をしなければ、明日の夜には飢え死にかもしれない。それは御免だ。  金貨三十枚と、アレ(卵)を、頭の中で天秤にかける。  金貨三十枚。  おまけに、係官の話によると一か月は楽に生きていけるという。報酬が入れば、その後もしばらく安泰だ。  ええい、ままよ。 「その仕事、やります」  ついにリヴィオは言った。  係官が嬉しそうに破顔する。 「それはよかった。いいお仕事だと思いますよ。では、すぐにでも来てくれということでしたので、いまからご案内しますね」  すぐか。これまた怪しさ満点である。  リヴィオはちょっぴり後悔し始めたが、金貨三十枚金貨三十枚と呪文のように唱え続けた。  生きていくためには、仕方のないことだってある。
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