第二章 痛くなかった
全2/9エピソード・完結
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第二章 痛くなかった

 翌朝は、早くに目が覚めた。  朝食は塩漬け魚と野菜のスープ、固い保存用のパンだった。ユピテルは自分で種を捏ねてパンを焼く、というところまではしないらしい。リヴィオはむしろほっとした。これでふわふわやわらかいパンまで出てきたら、完璧過ぎてかえって不気味だからだ。 「なあ、今日はどうすんの?」  リヴィオはパンをスープに浸しながら訊いた。 「好きなように過ごしてくれて構わない。ただし、注意事項がいくつかある。まず、村の外には出ないで欲しい。それから、危険なことはしないでくれ。そして、夜には必ずこの家に帰ってくること。最後に、これが最も大切なことだが、川や滝壺の水には触れてはならない」 「触れてはならない? なんで?」 「昨日話したろう。他の種族が我々の水に触れると、その水は汚れてしまう」 「えっ? あ、それ、俺も?」 「そう。お前もだ」  リヴィオはむっつりと頬を膨らませた。そっちが卵を温められないというから手伝いにきてやってるのに、汚れるだなんてひどい言い草だ。あの水、冷たくて気持ちよさそうなのに。  ユピテルがふるふると頭を振った。 「リヴィオ、誤解しないでくれ。お前が汚れているだとか、悪意があるだとか言っているのではないのだ。ここの水は我々が清めた我々のものだ。他の種族に触れられては、我々のものではなくなってしまう」 「なんだよそれ。意味わかんねえよ」 「なんと説明したらいいのか……。とにかく、水は我々にとって神聖なものなのだ。汚れるというのは、我々にとってという意味で言っている。それ以上に他意がないのはわかってくれ」 「わかんねえよ」  リヴィオはぷいと顎を反らした。 「リヴィオ。私を困らせないでくれ」  ユピテルの指が、頬を撫でた。イカなのかなんなのか、いや指なことはわかっているが、なんとも不思議な感触だ。頬のやわらかいところを、丸い指がなぞっていく。  ちょっと、くすぐったい。  これでは怒り続けるのは難しい。リヴィオはどうにかしかめ面を維持しつつ、言った。 「いいけどさあ」 「わかってくれたか? よかった」  郷に入っては郷に従えという言葉もある。なんにせよ、自分のせいでゲルセックの村が崩壊なんてことになったら目も当てられないから、リヴィオは川には近づかないことに決めた。 「じゃあ、せっかくだからのんびりするかな」  リヴィオは言った。 「もし私がともにいた方がよければ、そう言ってくれ。お前のためならいくらでも時間を空ける」 「え……」  リヴィオは目を剥いた。  口説かれている――わけではあるまい。まさかそんな。しかしお前のためならいくらでもなんて、そんな台詞初めて聞いた。そんなの、金持ちの色男しか吐かない台詞だと思っていた。  ああ、色男かどうかはともかく、ユピテルは金持ちだった。  ではない、ユピテルが金を持っているにせよ持っていないにせよ、こいつの頭に人間を口説くなんて文字はきっとないはずだ。ないだろう。だって彼の種族は単為生殖で、自分ひとりで卵を産むのだから。  というかこいつは男? 女? どっちだろう? 「リヴィオ? どうした?」  目の前に覗き込まれ、リヴィオは飛び上がった。  男でも女でもない、緑色のぷるぷるトカゲだ。 「何でもねえよ!」 「一緒にいた方がいいか?」 「あ……いや、あの……散歩とかするから、別にいい」  リヴィオはユピテルから目をそらした。何もないのに、なぜだか気恥ずかしい。  散歩といっても、そこは小さな村である。一時間もすると回りきってしまって、リヴィオは結局ユピテルの家に戻ってきた。彼は畑仕事をしていた。リヴィオは後ろでそれを眺めることにした。  畑の傍でふたり昼食をとり、午後はユピテルが彼らのゲームを教えてくれた。枠線の書かれた布の上で、石で石を弾くゲームである。枠線の外に弾き出した石は手持ちにもらえる。場に石がなくなるまで弾いて、より多く手持ちを持っている方が勝ち。 「これは宝石になる石? ならない石?」  リヴィオは場の石をつまみ上げた。 「ならない石だ。道で拾って丸く磨いたものだ」 「ふーん。ただの石かあ」 「しかしこうしてゲームに使える。石は優秀な玩具だよ」  ユピテルの弾いた石が、別の石を布の外に跳ね飛ばした。三度やったが、三度ともユピテルの勝ち。ただ石を弾くだけなのに、何かコツがあるらしい。リヴィオが弾いてみても、ユピテルほど上手くは飛ばない。 「石が玩具って、これ以外にもなんかあるのか?」  リヴィオは再び石をつまんだ。 「ああ。例えば、石をてのひらから落として、その落ち方で未来を占う」 「何それ。くだらねえ」 「なかなか面白いものだよ。やってみせよう。何か知りたいことは?」  知りたいことと言われても、そうすぐには思いつかない。リヴィオは黙る。  ユピテルはふつふつと笑った。 「お遊びだよ、リヴィオ。なんでもいいから、何か言ってみて」 「うーん。じゃあ、俺が金持ちになれるかどうかにする」  どうせ無理に決まってるけど、と、リヴィオは心の中で付け足した。金持ちになる奴というのは、大概がそもそも金持ちの家に生まれているのだ。あるいは、金が稼げるような何か、才能だったり容姿だったり、そういうものを持っているか。親の顔も知らず、どこで生まれたかもわからない、なんの特殊技能もないリヴィオでは、考えるだけ無駄だ。  が、ユピテルは頷くのだ。 「わかった。では、占ってみよう」  ユピテルは石を数個片手で握り、何度か振ると、ぱっと手を開いた。先程までゲームで使っていた同じ布に、石が散らばる。  ユピテルは小さく唸った。 「残念ながら金持ちにはなれぬようだ」  そんなことはわかっている。が、わかっていることでも改めて言われると腹が立つ。  むくれるリヴィオに、ユピテルは続ける。 「だが、とても大切なものを手に入れるとある。金よりももっと貴重なもの、お前の一生を変えるようなものだ。それがあれば、お前は金など欲しいとは思わぬだろう」 「はあ? 何それ?」 「さあ、何かな。おそらく物ではない。お前たち人間が、愛と呼ぶものではないかな?」 「はあぁ?」  愛でメシが食えるか。馬鹿馬鹿しい。 「そんなもんいらねえから金持ちがいいな」  リヴィオがぼやくと、ユピテルは肩を竦める。 「我々には金も愛もあまり意味を成さぬものだが、人間は大変そうだな」 「大変だよ、ほんと。お前ら気楽でいいよな」  リヴィオはひとつ石を取った。小さくて、丸くて、かわいらしい石だった。ちょっとだけ、ユピテルの指先に似ていた。  夕食が済み、陽が落ちてから、ユピテルが切り出す。 「お前の体調が問題ないようなら、今夜卵を預けたいのだが」 「えっ」  つい驚いてしまったが、驚くことではなかった。そもそもここに来た目的がソレだったのだ。  リヴィオは平静を装う。 「あ、そ、そうか。う、うん、わかったよ」  金貨三十枚だ。金貨三十枚。リヴィオは自分にそう言い聞かせ、どうにか笑顔を作った。 「よかった。では、湯の用意をしよう」
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