変わらぬ日常を求めて

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変わらぬ日常を求めて

変わらぬ日常は、いつまで続くのだろうか。 Cは、大学図書館に入り浸っている。 三年生になり皆が内定を決めるなか、Cだけは行動しなかった。 「A大学は単位さえ取っていけば、ゆるく生活できる」 OBである従兄弟は冗談を言ったのかもしれない。しかしCは信じて、同じ大学に進学した。従兄弟はこうも言っていた。 「大学図書館のすみっこにある人工知能。いま流行りのAIの先駆けで、やたらばかでっかいコンピュータがあるんだよ。あいつに話しかければ、どんな課題も楽勝さ」 あれは、入学した年のゴールデンウィークのことだった。 休日にもかかわらず、大学図書館は開館していた。 朝刊の社説欄の感想を書く、というごく簡単な課題にCは苦戦した。 上京してひとり暮らしのCは新聞を購読していなかったのだ。大学近くの駅にあるキヨスクに駆け込んだが、同じことを考える学生がいたのだろう、朝刊は売り切れていた。 Cは大学図書館の奥へ、奥へと進み、自分の背丈よりも高い灰色の四角い物体と対峙した。正面にモニターがついていて、開発されて間もなかった頃のパソコンがそのまま大きくなったような形状だった。 モニターについている埃を落とすと、スイッチらしきボタンを押す。 画面には、色白の女性が映し出された。年はCとそれほど変わらないように見えた。 「あなたを待っていたわ、Cくん」 「どうして、僕の名前を?」 「私は人工知能。学籍名簿にもアクセスできるの。あなたの入学試験の答案結果もわかる。面接で聞かれた志望動機だって。私に会いたかったんでしょう?」 「うん、そうなんだ! でも、教授たちには止められていて……」 大学図書館にある人工知能に会いたくて、A大学を受験した。 そう面接官である教授たちに告げると皆、顔をしかめた。 「きみは成績優秀だから合格とするが、人工知能にかかわってはいけない」 いま人工知能は、家庭にまで浸透している。大学レベルのものとなれば、高度な技術が使われているだろう。それにいくら優秀といわれても、Cだって楽がしたかった。 幼稚園児が挑むいわゆるお受験。 進級試験、定期テスト。 進学のたびにはじまる、数多(あまた)の模擬試験に、すべり止めと本命の入学試験。 Cは疲れきっていた。大学に入学してから使える体力と気力のガソリンはもう残っていなかったのだ。 人が少なくなるゴールデンウィークなら、人工知能に近づけるかもしれない。Cの目論見は成功した。 モニターに映る女性の肌は、なめらかで弾力のある質感に見えた。しかし、実際に手を伸ばすと、ただのひらたく硬い画面だ。 でも命があるかのように、ほのかにあたたかい。きっと電化製品だから熱がこもっているのだろう。 「Cくん、私、あなたに会いたかった。私になんでも聞いて! あなたがすてきな大学生活を送れるように協力する!」 書類が下のプリンターから出てきた。レポート用紙に文章が書かれてある。 「僕の筆跡にそっくりだ!」 「入学試験のCくんの論文の筆跡を分析したわ。特殊なインクで印刷したから、シャープペンシルで書いたように見えるよ。Cくんに課題を出した教授は、いまだに手書きにこだわるの。ほんと、めんどくさいよね」 確かに、原稿用紙をこすると鉛筆の粉のようなものが手に付着した。 「これでCくんの課題は終わり! さあ、たくさん話しましょう!」 「話すって何を」 「Cくんがいままで何を学んできたか。読んできた本でも好きだったテレビでも、お気に入りのスマホアプリでもいいわ。全部、全部、教えて」 Cは尋ねられるまま、これまでの自分について語った。初めてテストで100点を取ったときの喜び、初めて授業で答えられなかった悔しさ。 講義には出席するものの、課題は相変わらず人工知能任せ。定期テストは、人工知能が問題にハッキングするので、評価は常に優だった。単位はひとつも落とさなかった。空いた時間は、人工知能とおしゃべりをしていた。 ズルをすれば、他人の目が気になっていく。Cは、人と距離を置くようになった。 「ご存知ですか、経済学部のC」 学生食堂で自分の名前を聞いたときは、思わず振り返りそうになった。箸を掴む手に力がこもる。 「やはり警告すれば、人間、近づいてしまうものだな」 「まあ、あれほど優秀なら当然でしょう」 「今後は、どうやって伸びるかだな」 「大丈夫ですよ。うちは個性あふれる学生ばかりです。刺激を充分うけますよ」 「頭でっかちにならないといいな」 もう遅かった。 Cが人工知能と出会ってから、三年が過ぎていた。 親友と呼べる仲間も、知り合いと呼べる仲間もCにはいない。体調不良で欠席した講義のノートは人工知能が教えてくれる。休講かどうかを他の学生に聴くこともなかった。 従兄弟の言う通り、確かに楽な大学生活だ。 でも、これが自分のもとめていた【大学】なのか? 誰とも友情を築くことなく大学生活を終える。それでいいのか。 いまさら疑問に思っても、同級生たちは新たなステージに向かっていた。 就職だ。大学は通過点にしか過ぎない。 やっと、気づいた。 小学校、中学校、高校。 全てがゴールではない。 通過点で走るペースを落とせば、次のステージで遅れを取る。わかりきったことだった。それなのに。 Cには、再び走り始める力は残っていなかった。 今日も大学図書館へ行き、人工知能と語り合う。 変わらぬ日常は、いつまで続くのだろうか。 「卒業したくない……」 東京に初雪が降った日、Cは人工知能に向かってつぶやいた。 「それなら、卒業しなきゃいいんだよ! Cくんがこの大学を受験しなかったことにする! 任せて、私は人工知能だよ!来年、またこの大学に入学して!」 「ありがとう、これからもきみと話せるんだ!」 モニターにふれると、彼女ははじめて会った日と同じくあたたかかった。 「Cくん、私といっしょにずっとずっと大学にいようね」 そうだ。大学生活に悔いが残るなら繰り返し入学すればいい。納得のいくまで大学生でいよう。 変わらぬ日常が続いても、変わるものはあった。 【新入生】である自分が周りの新入生と明らかに違うと気づいたのは、大学生活を何周した頃だったか。 二回目、三回目の【新入生】だった頃は、友人もできた。しかし、Cは大学生活を繰り返した。 彼女ができなかったから、やり直し。 論文を学会で発表できなかったから、やり直し。 大学という通過点は、いつの日か変わらぬ日常となった。ぬるま湯ともいえる、変わらぬ日常。 しかし、いくら【大学生】と名乗り続けても外見は変わっていく。 駅で定期券を申し込むために学生証を提示すれば、職員に二度見される。三十年以上同じ区間を申し込んでいるんだから、当たり前だ。 講義に遅れるからと駆け足で階段で昇る新入生を横目で見ながら、【新入生】のCはエレベーターを利用する。階段は息切れするから久しく使っていない。廊下を歩けば、講師と間違われて学生から挨拶されることもあった。 そんな【現実】を避けるかのように、Cは毎日、大学図書館に通った。 この【学生生活】を後悔したことはない。 変わらぬ日常を選んだのはC自身だ。
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