置き去り

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置き去り

 当たり前と思っていたものとの繋がりって、案外薄っぺらいものだ。  周囲にズラリと並ぶ黒い頭を眺めながら、私は倦怠にも近い感情を持て余していた。   代表に選ばれた一人が溌剌と言葉を響かせている。凛々しい顔つき。学年でも優秀だった彼は、区域で一番頭の良い高校に推薦で合格したらしい。希望に満ちた表情は私と決定的な距離を感じさせ、希薄な寂寥感を胸に滲ませる。きっともう一生会わないだろう。元から接点なんて微塵もなかったけれど。   毎日のように顔を突き合わせていた先生たちとも、ほとんどのクラスメイトとも、明日からはもう会わない。へとへとになりながら登った階段も、クリーム色をした落書きだらけの壁も、あたかも自分のもののように錯覚していた定位置の机と椅子も。私たちを一まとめに象徴していたセーラー服を脱ぎ捨てた瞬間に、繋がりはあっけなく切れてしまう。   たくさんの別れが一度に押し寄せて来て、悲しみを覚える間もなく茫然とするしかできない。全てが大好きだったわけじゃない。だけど知らない場所に突然放り出されるような心許なさが胸を支配して、卒業式は体裁を繕った空っぽの儀式に過ぎなかった。 「僕たちは今日、羽ばたきます」   羽ばたきます。口の中で繰り返した。隣に立っている女子が鼻を啜り上げる音。ああ、泣いてるんだな。私も試しに瞬きを繰り返してみたけれど、眼球は乾燥していくばかりで何も零さない。美しく泣いてみろよ。可愛げのない。そんな悪態を自分に繰り返した。   未来に羽ばたくなんて大仰なこと、私たちができるわけないじゃない。心の中で毒を吐いた。私たちはいつだって、先の見えない真っ暗な道を、不恰好に歩いたり這ったりして進んでいるのだ。   それでも、私たちは前を向くことを強いられる。色々なものを振り捨てて、楽しかったことも苦しかったことも、全てを『思い出』という綺麗なベールに包んで。   並ぶ生徒たちの中に、見慣れた後ろ姿を見つけた。ツンと立った短い髪の毛。その間から覗く綺麗なつむじ。少し肩のところが大きい学ラン。彼は退屈なのか、足元に視線を落として体を小さく揺らしていた。前を向いていないと先生に怒られるのに。私はハラハラしながら、しかし自然と笑みを浮かべて彼のことを見つめた。   小さく息を吐き出す。何度も目に焼き付けた彼の姿もまた、『思い出』に変わってしまうのだろうか。胸に小さな痛みが走った。本当はずっと重苦しい何かが喉につかえていて、それはきっと彼のせいなのだと分かっている。だけど一歩進むような勇気は到底持っていなくて。私は結局自ら、彼のことを『思い出』にする選択をしているに過ぎない。   自分のせいなのだ。自嘲気味に笑って、私は唇を噛みしめながら胸の痛みをやり過ごした。   ――私たちは今日卒業する。たくさんのものを、この古びた校舎へ置き去りにして。
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