最後のメッセージ

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 アルバムをめくると、メッセージ用の白いページが現れる。菜摘の他には誰も書いていないようで、確かにどこでも書き放題だ。私は迷った挙句、使い慣れた黒のボールペンを筆箱から取り出した。  浅く呼吸を繰り返す。ページの白が目に痛くて、心臓の音がうるさくて、思考をますます鈍らせた。私から佐伯へのメッセージ。最後の。伝えたいことは山ほどあるはずなのに、言葉にならずに私の中で燻っている。  途端に目頭が熱くなってきて、私はぎゅっと目をつむった。いつもなら簡単に色んな言葉をぶつけられるのに。そう考えてから、私は小さく首を振った。 違うな。普段から一番大切なことは何一つ、彼に伝えられていないのだから。 「お前ら、廊下に整列しろー」  突然担任の声が教室に響き、私は体を強ばらせた。慌てて顔を上げると、生徒たちがワラワラと廊下に出て行くところだった。いつのまにか十分間はとうに過ぎていた。 「あ……」  私は机の上に視線を落とした。まだメッセージが書けてないのに。まだ私の気持ちを何も、彼に伝えられていないのに。 「……おい、安藤」  ふと佐伯に呼ばれて、私は右隣に顔を向けた。まだ椅子に座ったままの彼は、私の方に体を向けて頬杖をついている。私の表情を見ると意地悪そうに笑い、「なんだその顔、だっさ」と呟いた。一気に顔が熱くなる。 「うる、さいな」 「お前のアルバム貸せよ」 「え?」  私は目を瞬かせ、それから自分の机に掛けてある紙袋に視線を移した。たくさんの資料に埋もれるみたいにして、中に私のアルバムが収まっている。再び佐伯の方を向くと、彼は「ん」と右手をこちらに伸ばした。 「お前は俺のアルバムに書く。俺はお前のアルバムに書く。だから貸せ」 「え、でも、もう行かなきゃ」  だからなあ、と佐伯が頭を掻く。わしゃわしゃと髪の毛が音を立てて揺れるのを、私は茫然として見つめた。 「行事の後、時間あるだろ。一時になったら校門で待ってるから、それ持ってこい」 「あ、なるほど」 「お前いつもより馬鹿になってんな」  呆れたように眉を顰める佐伯に向かって、私は力なく笑顔を返す。 「そうかも。卒業式だっていうのに、思いっきり泣きも笑いもできないんだもんね」  佐伯は私の目をじっと真正面から見つめ、やっぱり少しだけ眉を顰めた。それは相変わらず私に呆れているのかもしれないし、よく理解ができなかったのかもしれない。彼の差し出す手にアルバムを乗せると、腕にかかる重みが離れていった。  佐伯は紙袋に私のアルバムをしまうと、億劫そうに立ち上がる。椅子の脚が床に擦れる音が響いた。私も佐伯のアルバムが入った紙袋を手に立ち上がると、重さは変わらないはずなのになんだか妙に気になってしまう。彼のものを私が持っていて、私のものを彼が持っている。それだけのことがやけに嬉しかった。  佐伯の後ろに続いて教室を出ようとして、ふと後ろを振り返る。もう誰もいない教室の中には、たくさんの机と椅子がガラクタみたいに転がっていた。「私たちの席」からただの学校の備品に戻ってしまったそれらは、なんだか物寂し気に私たちを見送っている。  私と佐伯の隣り合った席を見る。私の椅子は綺麗に机の中に押し込まれていて、佐伯の椅子は無造作に引かれたまま。それを確認して、私は小さく安堵の息を漏らした。私たちが使った痕跡だけは、まだほんの少しそこに存在していた。
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