-祐介の場合・2-

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-祐介の場合・2-

 俺は常に努力をして誰にでも優しいαを演じている。何処から俺の事が啓一郎の耳に届くかわからないから、学校では常に品行方正だ。  俺は一人暮らしをしている。  あのβの母親と同じ屋根の下になどいられなかった。あの女のせいで俺は凡庸なαにしかなり得なかったのだから。  父親は俺に対して負い目があるのか、時々家にΩを連れてくる。父親は俺にその玩具を与えるとすぐに逃げる様に出ていくのが常だった。  俺はその玩具で日々のストレスを発散した。  日によって女だったり男だったりするその玩具に、俺はただ欲望をぶつける。学校でストレスが溜まっている時にはセックスに暴力が加わった。  玩具は俺に抵抗はせず、俺が突っ込めばよがるし殴れば苦しむ。父親によって与えられる玩具に俺はそれなりに満足していた。  こうやってストレスを発散すれば、俺はまた明日から啓一郎の前で品行方正のαでいられる。  そこだけは父親に感謝してもいいのかもしれない。 「主任、沢良木の事ですが……」 「ああ、聞いている」  沢良木の事?  俺が教務室に提出書類を届けに入ったところ、隅の方で学年主任と啓一郎の担任がこそこそと話をしていた。沢良木の名前が出てきた事で、俺はそれに耳をそばだてた。 「来月には学校を辞めるとか……」 「はい。それで手続きの方なんですが……」  それ以降は小声になってしまい聞こえなくなってしまった。  学校を辞める……?啓一郎が?  聞いてない聞いてない聞いてない。  何故啓一郎が学校を辞める!?  いじめ……ではないだろう。学校では常に俺か越ヶ谷が側にいたし。では……家の都合か?  もしや、越ヶ谷だけは知っているのかもしれない。そう思うと無性に苛立った。俺の知らない沢良木の事情を知っているかと思うとあれを叩き潰したくなった。  いや、まだ性急過ぎる。まだ未確認の事なんだ。沢良木は学校を辞めるかもしれないけれどまだ辞める訳ではない。俺の印象を悪くする訳にはいかない。良好な関係のまま、学校からいなくなっても関わり続ければいいのだ。  今日沢良木は一度学校には来たけどすぐに早退したと聞いた。最近は何故か早退する事が増えた。もしやそれも転校に関係があるのだろうか。  それは兎も角、沢良木がいないのなら今日は越ヶ谷の帰りが遅くても問題はない。俺は早速越ヶ谷に『話がある』とメッセージを送った。  俺は越ヶ谷を前にどうやって啓一郎の事を聞けばいいのか悩んでいた。  越ヶ谷が話を知っていたなら、何故俺に言わないと怒りで殴りそうになる。それでは駄目だ。啓一郎との繋がりまで断たれてしまう。かと言って知らなければ俺は何も情報が得られない。  思案して口をつぐむ俺に何を思ったか越ヶ谷は俺の側で何も言わずにただ待っていた。 「……あのさ、お前啓一郎の事知ってるか?」 「啓一郎の……何?」  気持ちを昂らせない様に極力抑えた声で質問すると、越ヶ谷は何の事かわからないと言う顔で俺の事を見た。  ああ、これは。  越ヶ谷も知らない事だったのか。その事実に少し心が軽くなった。 「あいつ、高校辞めるかもしれないって」 「えっ!?」  やっぱりそうか。お前はいつも側にいたくせにそんな大事な話はされていなかったのか。  やっぱりβのお前なんかに俺の啓一郎は心を許してはいなかったんだな。 「……お前も聞いてなかったのか」  驚いている越ヶ谷を見て、思わず安堵の息を吐いた。  こいつよりも情報を持っている自分に優越感を感じた。 「……どういう事だ?」 「さっき教務室に用事があって行った時にさ、啓一郎の担任が学年主任と話をしていたんだ」 「マジで?」 「お前には啓一郎なら言うと思ってたんだけどな」  笑ってしまいそうだ。  所詮お前なんか、啓一郎にはたいした友達ではないと宣言されているかの様で。  こんなにべったり一緒にいても啓一郎はまだ越ヶ谷にも誰にも気を許してはいないのだ。なんて素晴らしいΩなんだ。早く俺に心を許せ。俺はいつでも待っているんだから。 「……ごめん。それ初耳だわ」 「お前も聞いてないならデマなのか?……いや、学年主任が話してたんだから……」  悲しそうに俯く越ヶ谷。それを見ていると笑顔が溢れてしまいそうだ。それに気付かれない様に俯いて視線を逸らした。  悔しがれ、打ち拉がれろ。お前が啓一郎から距離を取られればその分俺が啓一郎に近付けるのだから。 「悪かったな慎二」 「ん?」 「はっきりしてもいない話なのに余計な事言ったな」  俺はさも申し訳無さそうに越ヶ谷に謝罪する。越ヶ谷は俺の事を素晴らしいαだと思っているのだ。それをまだ覆さなくてもいい。 「……話してくれて嬉しいよ」  困った様に言葉を吐き出す越ヶ谷を見るのは気分がいい。お前が大事にしている友達はお前を大事には思っていないのだから。  そんな越ヶ谷にすら俺はいつだっていい友達を演じているんだ。啓一郎さえモノに出来ればこんな茶番はすぐ止められるのに。 「お前が気になるのはわかるよ。片想いの相手だもんな」 「なっ!?」  これも想定内。越ヶ谷は俺が啓一郎が好きだと思っている。  そして俺はそれを隠してると言う体で、啓一郎や越ヶ谷に接してきたのだ。  世間のβやΩが好きそうなドラマの様な甘ったるい感情で俺が優しいと思わせている。  だからここで俺が顔を真っ赤にして焦る素振りを見せると、Ωやβどもは俺の事を可愛い奴と勘違いして俺を身近に感じてくれるのだ。 「αの癖にさ、お前そういうとこ可愛いよな」 「かわっ……!?どーせ俺は世間のαとは違うよ」 「拗ねんなよ。褒めてんだから」 「……嘘くせぇ」  ほら、まんまと越ヶ谷は俺の考えた通りの反応をする。  俺は心の中でにんまりと笑った。  帰り道越ヶ谷と別れた後俺は一度家に荷物を置いて、改めて家を出た。  越ヶ谷は啓一郎に直接聞いてみると言っていた。  越ヶ谷が話を聞いて家に帰る時に俺がタイミングよく、心配だったからと啓一郎の家の前に立っていればきっと越ヶ谷は素直に話をしてくれるだろう。  それを聞いたら今日こそは啓一郎の部屋に上がらせてもらおう。  何度か啓一郎に部屋に上がりたいと言ってはみたけれど、まだ一度もその願いは叶っていない。すんなり家に入れる越ヶ谷には腹が立つが、啓一郎の母親もΩだし、αの俺が家に入ったらきっとαの父親が気付いて嫌な顔をするのだろう。  それでも心配だからとあいつの母親を言いくるめて、今日こそは部屋に上がって啓一郎にもっと近付いてやる。  俺はずっと啓一郎の家の前でそわそわしながら待っていた。  早く出てこい越ヶ谷!  どれ位待っていただろう。  陽も傾きかけた頃、急にむわっと甘い、艶かしい香りが俺の腰に直撃した。  なんて凄絶な香り!  ついに啓一郎にヒートが来た!俺が長年待っていたこの時が来た!  ぞわりと俺の身体中が反応してしまい、もういてもたってもいられずに啓一郎の家のインターフォンを押した。 『……どちら様?』 「あっ、あのっ俺は、啓一郎君の友人のっ……!」 『……ああ、木場君?』 「はいっ!あのっ!啓一郎君はっ!」  俺の焦りも気にせずに啓一郎の母親は暫く黙っていた。  早く開けろっ!啓一郎は俺の事を待っているはずなんだからっ! 『……ごめんなさいね。暫く啓一郎は学校をお休みするわ。学校に行く時には啓一郎に連絡させますね』  そのままインターフォンは切れてしまった。  取り付く島もなかったやり取りに呆然としていると、不意に家の中から溢れていた啓一郎のヒートの香りが途切れた。  Ωのいる家ではシェルターというものがあるのが普通だ。  家でヒートになったΩが外からやってくるαに襲われない様にと設置され守られる仕様になっている。  これは家からも出られないし、入る事も出来なくなるシロモノで、このシェルターが稼働するととても太刀打ちが出来ない。  俺は諦めてここから離れるしかなかった。  あのトンでもない香りを不用意に嗅いでしまったお陰で、俺の中の熱が消えない。本当ならこの熱は啓一郎に全てぶつけるモノなのに!苛々して腹が立って熱が溜まっておかしくなってしまいそうだ!  俺はすぐさま父親に適当なのを一人寄越せと連絡した。  夜中に父親の部下という男がそれを運んできた。華奢で、世間では可愛らしいと評価されそうな弱々しいΩの少年だった。  しかし、今はその可愛らしさも苛立ちにしかならなかった。俺にとって最上級だった啓一郎とまぐわう事が出来ない現実を突き付けられている様で。  俺はあの香りを思い出しながらそのΩに欲望をぶつけ、怒りをぶつけ、腹立ちをぶつけた。  何度も何度も、何度も欲望をぶつけた。性欲と暴力をひたすらそのΩに与え続けた。  俺の中の熱が落ち着くのには数日かかってしまった。  数日して落ち着いた頃、それが動かなくなってしまった。これはもう使えない。  邪魔になったので父親の部下に回収してもらった。  その後睡眠を取り学校へ行くと、学校では『沢良木が学校を辞めた』という話題で持ち切りだった。  矢張り先生の話は嘘ではなかったのだ。  しかし、早すぎないか?先生の話ではもう少し後だったはずだ。  どういう事かと越ヶ谷に確認を取りたかったが、学校を休んでいてわからず仕舞いだった。  学校では沢良木の話ばかりで越ヶ谷が休んでいる事など誰も気に止めてはいなかった。 『学校に来たら連絡を』  越ヶ谷にメッセージを送り、悶々としながら返事が来るのを待った。  啓一郎にヒートが来た時、越ヶ谷は啓一郎の部屋にいた。そのままシェルターが稼働したことで、越ヶ谷はずっとヒートの啓一郎の側にいた事になる。  越ヶ谷は良くも悪くも隔離されたあの部屋に留まったままだ。  あの絡めとられる様な甘くて危険な香りが、もしもβの越ヶ谷までを堕としてしまったら。越ヶ谷が啓一郎のヒートの色香に惑わされてしまったら。  たかだかβの越ヶ谷に、そこまでの繊細さやΩの香りに反応する機能がある訳がないとわかってはいるのに、もしやという思いが心の片隅でチリチリと小さく燻っている。  上位のβにαの遺伝子が含まれる事があると知ってしまった今、βである越ヶ谷が啓一郎の側にいても安心だという保障がなくなってしまった。もしかしたらと言う焦りだけが俺を支配する。  早く、早く来い越ヶ谷。  早く啓一郎の学校を辞めた理由を教えてくれ。  お前と啓一郎の間には何も無いんだと教えてくれ。  俺のこの焦燥を早く何とかしてくれ!! 『今日学校に行く』  越ヶ谷からやっと連絡があった。  啓一郎にヒートが来てから十日余り経っていた。 『空き教室で待ってる』  本当なら越ヶ谷がヒートになった啓一郎の側にいただけでも腸が煮えくり返る程だったが、今はまだ啓一郎を俺だけのΩにするために必要な駒なんだ。焦ってはいけない。  学校を辞める程の何かがきっと啓一郎にあったんだ。付け込むなら今しかない。越ヶ谷には俺にそのチャンスをくれる駒になってもらわなければならない。  越ヶ谷を待っている時間がとてももどかしかった。  ガラッ。  扉を開けて越ヶ谷が入ってきた。  特別な香りを纏って。  そこで俺の何かがキレた。  何でお前がその香りを纏っている!?  例えるなら番を得たαの様な、特別な香り。  βであるはずのお前がその香りを纏う事はあり得ない!  その香りの中に、俺の、俺だけのΩであるはずのあの香りが、心地好い程に綺麗に混ざっているなんて!!その香りは、まるで啓一郎の安らいだ気持ちが混ざっている様な、幸せな香りで。  それを何の取り柄もないただのクソβのお前ごときが纏うなど!  許せない許せない許せない許せない許せない!!  お前ごときが俺にそんなものを見せつけるな!消えちまえ!  その後はよく覚えていない。  怒りで越ヶ谷をひたすら殴り蹴り、動かなくした事は覚えている。  ただそれだけだ。  俺が三年以上かけて綿密に計画していた事が、呆気ない程簡単に潰えてしまった事だけは紛れもない事実だった。  学校に行けば啓一郎の香りが消えない越ヶ谷がいて、その香りに気付くと連れ出して殴りまくった。  俺がこんなに殴っても、ふらふらになりながら学校に来る越ヶ谷はバカなのかもしれない。バカはバカなりに大人しくしていればいいものを。俺のモノに手を出した方が悪いのだ。これは制裁だ。俺の計画を踏みにじったβへの教育なんだ。  暫くして、越ヶ谷は増長した他のクズα達からも殴られる様になっていた。ザマァミロ。  毎日俺から殴られ、他のαからも色んな制裁を受けてボロボロになっていく越ヶ谷を見るのは爽快だった。  βならβとして分を弁えておけば良かったのだ。  悪いのはお前だ。そんな目に会うのはお前が入ってはいけない領域を侵したからに他ならない。  昨日はいつもの様に越ヶ谷を殴っていたら、骨に当たった様で、俺は手を痛めてしまった。腹が立ち、手を痛めた原因の脇腹の辺りを重点的に蹴りあげた。  今日は俺は手に湿布を貼り、大事を取って学校を休んだ。  あいつのせいで痛めた手の甲を見ていると、あいつへの怒りがまたむくむくと沸き上がる。  今日は越ヶ谷を殴りに行けなかったからストレスも溜まってしまったんだろう。仕方がない。  父親にまたΩの調達を頼んだ。  以前壊れて動かなくなった事があったので丈夫なモノをお願いした。  暫くすると来客を告げるインターフォンが鳴った。  思ったよりも早く来た事に、たまには父親もいい仕事をするなと北叟笑む。  俺はそのまま一階の扉を開けるボタンを押した。  これで俺のストレスも解消出来るだろう。早くこの部屋のドアホンを鳴らせ。 「殺人、及び殺人未遂の容疑で逮捕する」  俺の部屋にはΩではなく、何故かαの精悍な男達がぞろぞろと入ってきた。  入った途端に俺は二人がかりで身体を拘束され、手首にはテレビでしか見た事がない金属が掛けられた。  意味がわからない。 「俺が一体何をしたと?」 「先日、この部屋で一人の少年を殺害し、学校では同級生に日々暴力をふるっていましたね」 「何の事でしょう?俺は何も悪い事なんてやっていませんが」  男達の一人が俺の手を拘束している金属を掴み上へと上げた。 「木場さん。貴方のお父さん少年や少女達を拐い、貴方へと下げ渡していたと供述していますよ」 「貴方のお父さんの部下の方も共犯で拘束されました」 「俺は何もしていませんよ?」 「……貴方は、少年を殺害した事に何も感じないんですか?」  俺にはこの大人達が話している事の意味がさっぱりわからない。質問には首を傾げるしかない。  俺のそんな態度を見て、中でも偉そうな人がため息をつきながら俺を見た。 「……貴方の部屋からお父さんの部下の方が引き取った少年を覚えていますか?」  父親の部下が来た日……ああ、部下が来たのはあの一度しかなかったか。 「ああ、あれは壊れちゃったから持って帰ってもらったんです」 「壊れた……?」 「はい。俺ではあんな大きな玩具を片付けるのは難しかったので、父に頼んで父の部下に持って帰ってもらったんです」  仕方がないですよね?と笑顔で答えたのだが、そこにいた全員が何とも言えない表情になった。 「確保!」  何やら周りの男達が騒ぎだし、俺はあれよあれよという間に部屋を連れ出された。  俺はそのまま彼らに何処かに連れて行かれる事になったらしい。  彼らは俺よりも格段上位のα達だ。  反抗するのは得策ではないだろう。  これから父親に頼んでいたΩが来るんだけどな。  来る頃には帰れるだろうか。  
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