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-啓一郎の場合・2-
あれから何度か似た様な目に遇った。
俺がヒートと勘違いしたαは俺を便利な性欲処理の道具として利用しようとして。
俺はその度何処かに連れ込まれ、録な抵抗も出来ずにΩの秘部をまさぐられ。ヒートじゃないと確認すると奴等は面倒だ、つまらないとそのまま去っていった。
もう駄目だ、と思った。
ヒートが来る前からこれなのだ。ヒートが来てしまったらどうなってしまうのだろう。
ただでさえ常に俺と慎二の側にはあの蛇の様なαの男がいるのだ。もし三人でいる時にヒートになってしまったら。
常に苦しそうなΩの匂いを付けているあの気持ちの悪いαは、喜んで俺を蹂躙するのだろう。そうなったら俺もあのαの気持ち悪いΩの匂いの一部になってしまう。
今ならわかる。あのαにこびりついているΩの匂いは、Ωとの行為の現れだ。Ωがそれを拒絶しているのに気にせずに蹂躙した支配の匂いだ。
あんなものに項を咬まれてしまったら。
あれだけじゃない、他のαだってそうだ。αに項を咬まれる、という事は俺の気持ちがバース性に引き摺られて消えてしまうという事だ。
小さい頃からずっと側にいて、これからもずっと一緒に歩んでいきたいと思っていた慎二への気持ちがあんな奴等に踏みにじられてしまう。
俺の心は俺のものなのに。たったそれだけのささやかな想いすら、αには簡単に潰されてしまう。
襲われて、何度も逃げようと思った。何度も抵抗した。
だけど、駄目だった。
最後までされたかどうかという問題じゃない。
俺には逆らう術がない。
俺をいとも簡単に組み敷いて、俺の中を暴こうとするその圧倒的な力には抗う事すらかなわない。
もう、耐えられない。
「父さん、母さん……俺研究所に行く」
二人は何も言わずに抱き締めてくれた。
俺がここからいなくなる迄は、もう少し、少しでも長く慎二の側にいたい。
あの暖かい普通の日常を最後まで紡ぎたい。
学校にも辞めるという話を通し編入準備も済ませた。後はただ刻一刻と俺のタイムリミットが近付いて来るばかり。
慎二には何も言っていない。
あんな目に遇った事は絶対に言える訳がない。言えば慎二は自分の事の様に怒ってあのα達に文句を言いに行くだろう。それで易々と返り討ちに遭うのは明らかだった。
学校を辞める事さえ言えない俺にはそんな事話せる訳がない。慎二が俺の事で苦しむのは嫌だし見たくなかった。
俺は黙って慎二の前から消えようと決めた。
今日もまたαに襲われた。
もう、抵抗すら出来ない。俺の心は挫けてしまった。
乱れた制服を整えて、俺は黙って帰宅した。
母さんはそれをわかっているので俺が早退しても何も言わない。
いつも問い詰めず一人にしてくれてた。
きっと母さんも同じ様に苦しんでいた事があるのだろう。
でも母さんには父さんがいて、お互いに求めあって番になった。
俺にはそんな人はいない。好きな人は俺の事を同じ様には思ってくれない。万が一、俺の想いが通じたところで相手はαではないから番にはなれない。
どう転んだところで、俺はαとどうにかならないとこの体質を変えられない。
今の状態が続くだけ。
だから慎二、俺は逃げるよ。
こんな奴がずっと慎二の側にいるととばっちりを受けて慎二まで苦しむ事になるかもしれないしね。
俺がいなくなれば、きっとあの男はもう慎二には構う事はないだろう。慎二にはそれは辛い事かもしれないけど、早く新しい、慎二だけの幸せを見つけてね。
本当は慎二が誰かと幸せになるなんて、そんな事は考えたくもないけれど、俺には慎二を幸せにする事は出来ないしそんな力もないから。慎二だけは幸せに。そう願う事にするよ。
もう疲れてしまって涙すら出ない。
明日からもう学校に行くのをやめようかな。慎二に会いたければ直接家に行けばいいんだし。
そうだ、借りっぱなしのCDも返さなきゃな。
慎二の部屋にある俺の私物は捨ててもらおう。きっと慎二の部屋の匂いが染み付いてて、会いたくてたまらなくなってしまうから。
色んな事をとりとめもなく考えていると階下でバタバタと音がした。
ああ、今日も慎二に何も言わないで早退してしまったから心配して来てくれたのか。
そろそろ怒られるかもしれないな。
「啓、お前学校辞めるってほんとか?」
ベッドの上で体育座りで小さくなっている俺の前に立ち、慎二が俺を見下ろす。
……知られてしまった。
顔を上げて慎二を見ると、その表情はとても悔しそうな、悲しそうなもので。
普段の笑顔の慎二を最後に目に焼き付けておきたかったのに。今消えたら悲しむ慎二が俺の最後の思い出になっちゃうのかな。
もう、そんな事しか考えられなかった。
「あ、バレたんだ」
「何で…俺に言わない?何があった?」
「……別に」
「嘘つけ。何隠してんだ?」
もういいよ慎二。俺の事はもう心配しないで。何も言わないで逃げる俺の事なんてもう構わないで。
見返りを求めない慎二の優しさに涙が出そうになる。
涙を堪えるのに必死で、俺は膝に顔を埋めた。聞かないで、言わせないで。俺には慎二に泣いて縋る資格はないんだから。
だけど慎二は俺のその態度を許してはくれなかった。
顔を持ち上げられ、嫌でも視線が慎二から離せない。
ああ、もう駄目だ。
俺の涙は溢れて零れて流れ出て。
ずっと我慢してたのに。辛い気持ちを聞いて欲しくて、でも言えなくて。だのにこんなに心配されてしまって、俺はもう慎二に何も隠す事が出来ない。
「俺は……αが怖い」
「怖い?」
「俺の匂いに充てられて近寄ってくるαが怖いんだ」
俺は慎二に、出来るだけ感情を出さない様に淡々とαに何度か襲われたと事実だけを告げた。
「皆まだ俺がヒートが来ていないのに途中で気付いたみたいでさ、どれも最後まではされなかったけどね」
まるで、新聞の記事を読む様に、何でもなかったかの様に。辛かったあの時の記憶は、心の奥底に閉じ込めて。
それでも慎二は俺の為に怒りを露にしてくれる。不謹慎だけど、俺の為に素直に怒ってくれる事が、俺の気持ちをわかってくれた事が嬉しかった。
「ありがと。慎二が怒ってくれて……嬉しいよ」
話を聞いてもらって少しだけ心が軽くなった気がする。溜まっていた心の澱が少しだけ薄まった様で、素直に感謝を口に出来た。
ここまで来て俺はやっと、ずっと心の中で思っていた事を慎二に話せそうだ。
「いつかは俺もヒートが来て、どっかのαに項を咬まれて番になるって考えたら、怖くなった……」
「で、でも……Ωはそうやってαと番になって一生幸せに暮らせるんじゃないのか?」
そうだよな。お前の身近なαとΩって俺の両親なんだから。あの二人は本当に慈しみ合う幸せな組み合わせだから。あれが当たり前の世の中だったらこの世界は幸せでいっぱいだ。
でもそうじゃないから。
その組み合わせは世間では幸せな事ばかりじゃないから。俺にとって愛おしいと思うのはαなんかじゃないから。
「それがやなんだよ。αと番になったからって、そこに俺の気持ちがないなら…俺は全然幸せじゃない……」
「啓……」
「そんなのはただの支配だ」
違うんだ。普通の番はうちの両親の様な幸せなものばかりじゃないんだ。俺はそんな事求めてはいないんだ。
「それでも……番になったらおじさんとおばさんみたいにお互いがお互いの事を愛するんじゃないのか?そしたらそれは幸せなんじゃないのか?」
……わかってるつもりだった。
慎二には欲望のみでΩを蹂躙するαの傲慢さはわからないし、それによって支配されてしまうΩの苦しみだって理解出来ない。
わかっていたはずなのに、そんな通り一編の言葉を言う慎二に腹が立った。
「それじゃ何?俺が外でたまたまヒートが来て、たまたま近くにαがいて本能が止められないからって気持ちそっちのけで襲われてヤりまくって、そのまま項を咬まれて番になったとしても慎二は俺が幸せだって言える訳?」
「それ、は……」
ごめん慎二。これはただの八つ当たりだ。わかって欲しいと思ってしまった俺の傲慢な気持ちだ。
わからないながらもわかろうとしてくれているのに……俺は嫌な奴だ。
「慎二……それじゃ祐介がそうなったとしたらどう?」
「何で……祐介?」
「だって慎二祐介の事好きじゃん」
あの男の名前なんて口にしたくもないけれど、これで少しは理解出来るかもしれない。
「慎二はさ、αとかβとか関係なく祐介の事が好きなんでしょ?」
「……うん」
「俺だって…そんなの関係なくずっと慎二の事が好きだった…」
わかって欲しい。辛いんだ。慎二が俺の運命じゃない事が……辛くて、とても悲しい。
もう泣き顔は見せたくなくて、また顔を膝に隠した。
「俺は……慎二の事が好きなこの気持ちを、その辺のαの奴に捩じ伏せられたくなんかない」
「啓……」
「それでもこのままじゃ俺はいつか、どっかのαに俺の気持ちなんて関係なく、勝手に項を咬まれてしまうんだ」
「そんな事は……」
「襲われた時にわかった。俺にはαに抵抗出来る力なんてないし、まだヒートだって来てないのに俺の匂いはαを近寄らせるらしいし……それじゃヒートが来たらもうダメじゃん。俺、もう終わりじゃん……」
駄目だ慎二。俺の顔を見ないで。無理やり俺の顔を上げて覗きこまないで。涙腺だって崩壊しててもうぐちゃぐちゃなんだ。もう俺は慎二の前からいなくなるんだよ。慎二が見る最後の俺がこんな駄目な俺なんて嫌だよ。
そう思うのにやっぱり俺は視線を逸らせなくて。
そのまま慎二を見つめていると、急に身体の奥の方からざわざわと何かが這い上がってくる様な違和感を感じた。何だろう。でもそんな事より慎二にちゃんとさよならを言わなければいけない。俺の中で終わらせなければいけない。
俺はもうαと関わりたくない。ここから離れて慎二とも二度と会わないと、幸せになってと、ちゃんと、伝えなければ。
「だから、その前に俺は……あ、っ!?」
そのざわざわとした違和感は急にぶわっと身体中に広がり、俺の中心にじわりと熱を溜める。その刺激が強すぎて自分の身体が制御出来ない。
熱は少しずつ、でも確実に膨れ上がり、俺の中心からΩ特有の蜜がとろりと溢れてきたのがわかる。
熱い。苦しい。たまらない。
「あ、あっ……何か、く……っ」
もう力も入らない。崩れ落ちる様に身体がベッドへと沈みこむ。この溜まった熱を解放したい。熱い熱を取り込みたい!
ヒートだ!とうとう来てしまった。
「おいっ、啓!どうした!?大丈夫かっ!?」
「んあぁっ!」
気付けばわかる。慎二が触っているところがぞわぞわして熱いのは俺が慎二を感じているからだ。その熱はダイレクトに俺の中心に集まってくる。ざわざわぞわぞわと俺の身体を支配していく。
「啓……もしかして」
「う、ん…来たみた、い……」
熱いよ慎二。助けて。慎二が欲しい。慎二の熱が欲しい。俺を慎二でいっぱいにして欲しい。
いけない。これは慎二には関係ない。俺がこれからずっと一人でなんとか越えていかなきゃいけない、逃れられない壁なんだから。耐えなきゃいけない。
俺の中で色んな思いがせめぎ合う。
今なら、まだ理性が残っている今ならば。
「ご、ごめ、慎…二……。俺、の事…気にしな……で。も、かえ……って」
「啓……」
「い…から、だい……じょぶ…だ、か……ら」
慎二はそう言っても帰らない。帰って欲しい。浅ましく乱れておかしくなる俺なんか見られたくない。
慎二には関係ない事なんだから、早く、帰って。
でも慎二は動かなかった。
後悔した。
俺が軽い気持ちで一生のお願いなんてしてしまったから慎二は部屋から出られない。慎二だって俺のこの状態が辛い事がわかっているから帰るに帰れないんだ。ごめん、慎二。あんな戯言忘れてくれよ。俺を見捨てて帰ってくれよ。
「あ、そか…慎二、やさし、ねぇ……も、おねが、なん、て……冗談だ…ら、はや…く、かえ、って?」
「啓」
「い、から……出て…て」
お願いだから早く、早く帰って。このままじゃ俺は本当に慎二に縋り付いてしまう。
だって苦しい。熱い。たまらない。今だってこんなに、αなんかじゃなく慎二の事だけを求めてしまうのに。
早く帰ってくれないと、俺は本当におかしくなってしまうから。
なのに何で?
慎二の手が俺の腕を滑る。
何か言っているけれど慎二の手から広がる激しい快感が俺の思考を奪ってく。
「啓の事は本当に大事で、代わりなんていない、大事な、本当に大切な幼なじみなんだ……」
「あ、あっ……やめ、やめて……さわ、ちゃ…ダメ……っ、ぅんっ!」
ダメ、やめて。気持ちがいい、もっと触って。
ダメになる。このままじゃ、慎二を求めてしまう。
いけないのに。そんな事思っちゃダメなのに。
ちゃんと考えたいのに、拒否したいのに。慎二の手が触ってくれるだけでも気持ちよくて、甘やかな刺激を感じてしまって。苦しいのに嬉しくて。もっとそれが欲しくなってしまって。
「啓は俺にとって特別だ。啓が苦しいのは俺も苦しい……啓がいなくなるなんて俺が辛い……俺でいいなら啓の辛さを軽くしてあげたい……」
「……しん、じ?」
「啓の一生のお願いを叶えたい……」
「しん……」
「ダメか?」
ダメだよ慎二。そんな事言われたら、俺、ぐずぐずに溶けてしまう。慎二に『ダメか?』なんて言われて俺がダメなんて言える訳ないじゃん。俺に覆い被さってそんな事言うなんて卑怯だよ。だって俺こそがお前を求めてるんだから。
知ってるくせにズルいよ。
「し…じは、ずる……い、ね……」
「俺はいつもズルいよ。啓にいつも甘えてる」
「ん……」
「啓も俺に甘えろよ」
「……ほん……に、い、いの?」
「いいよ。啓なら」
「うれ、し……」
慎二に口付けられて、嬉しくて、泣きたくなって、もう何もわからなくなった。
慎二、慎二。
嬉しい。ありがとう。愛してる。俺にはずっとお前だけ。
本当に卑怯なのは俺なのに、慎二はそれを受け入れてくれた。
慎二が俺を求めてくれるなんてある訳ないと思ってたんだ。
ずっとずっと好きだった。愛してる。今だけは俺だけの慎二でいてくれる?
もう俺はお前の前からいなくなるけど、忘れないよ。
慎二の髪も顔も手も足も心だって、今は何もかも俺だけのものだ。
俺の心は今もこれからもずっとお前だけのものだよ。
もう会えないけど、心だけは慎二にあげる。
だから、最後にお願い。
「慎二……うな、じっ、咬んで……」
慎二を感じ過ぎて乱れてしまってたまらない中、俺は愛しい人に咬まれたかった。
慎二に咬まれたくなってしまった。
「啓、そ……んっな、事しちゃっ……」
俺と繋がって、俺で気持ちよくなって腰を動かし続けている慎二は、息も浅く、もう少しで達しそうになっている。俺ももう何度目かわからないけど、そんな慎二の熱で達してしまいそうだった。
そこに出てきた最後の欲求。これがΩの本能なんだろう。
愛してる人に咬まれたい。咬まれてあなたに支配されたい。
「い、いのっ……血がっ、あぁんっ!……でっる、くらい……かっ、んんっ」
「わ、かった」
答えながら慎二は俺の中で暴れて、俺のいいところを擦りあげて、そこを狙った様に何度も責め立てる。俺は慎二のそれに乱れて溺れておかしくなって。
もう自分の欲望しか残っていない。
慎二の全てが欲しい。俺にとって、Ωにとって愛する人に咬んでもらう事が究極の本能なんだ。慎二に咬んで欲しい。慎二にしか咬んで欲しくない。
慎二が俺のネイプガードの鍵を外し、ロックを外す。すると簡単にそれは俺の首から離れた。
外し方をまだ慎二が覚えていてくれた事が嬉しかった。たった一日、一瞬だけ教えてもらった事なのに。本当に俺の事を管理していてくれていたのか、なんて都合よく解釈したくなった。
慎二は俺の項に舌を這わせ、それから思いっきり俺の項を咬んだ。
「んあああーーっ!」
咬まれたところから頭が真っ白になる程の、感電した様な激しい快感が襲ってきた。その瞬間慎二も俺も果てた。
「……啓、啓」
気付けば慎二は俺を後ろから抱き締めたまま、項に滲んだ血を舐めていた。自分の血の匂いが微かに漂っている。
「慎二……」
「大丈夫か……?」
「へ、き」
「ごめん……痛かったよな?」
「……嬉しかった。慎二が咬んでくれて嬉しい、ありがとう……愛してる」
最後の言葉だけは言えなかった。
忘れないよ慎二。さよなら。
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