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謎の音、僕らの秘密。
どうしようか。
午後八時、アパート一階。
風呂に入りに来たら、大浴場から変な音がした。
僕はすぐ廊下に引き返して、立ち尽くす。
どうしたものかと迷っていると、同じく風呂に入りに来たのか、蛇塚くんが手荷物を持ってこちらへやってきた。
「どーしたー」
つまらなさそうに聞いてくる彼に、僕は大浴場を指差す。
「なにかわかんないけど、変な音がするんだよ」
蛇塚くんは大浴場の入り口を覗き込んで、聞き耳を立てる。
しばらくしてこちらを向くと、なんでもない顔で言った。
「これ心霊現象だな。牧田サン呼んでくるか」
「おぉい! 牧田さんそういうの苦手だって知ってんの?」
たぶん、いや絶対、牧田さんオカルト系、相当苦手だよ?
「知らねー」
「あのさ知ってなきゃここで牧田さんの名前出ないよね?」
蛇塚くん、こういう状況好きそうだよなー。
ホントに呼んできそうでこわい。
「心霊現象じゃないでしょ。結構大きな虫がいるのかなと思ったんだけど」
「中、見たの?」
「見てない」
「……虫、嫌いなの?」
返事を返さないでいると、蛇塚くんがニヤリとする。
戦慄した。
このネタでしばらくイジられる、きっと。
虫ね……、そうだよこわいよ!?
ダンゴムシとかアリとか、危害加えてこないヤツならいいよ。
でも羽ついてるヤツが最悪にダメ。
羽のある虫のさ、予想の斜め上を行く動き、顔面に激突とかしてきそうな読めない凶暴さがもうヤダ。
一番嫌いなのはオニヤンマ。
ただでさえトンボヤバいのに、なんなのあの異世界感と凶悪な面構え。
嘘ついて虫好きだとか言ったら蛇塚くん喜んで捕まえてきそうだから、まぁ、うん、あきらめた。
開き直って蛇塚くんにお願いしよう。
「中、見てきてよ」
「あー、わかった」
蛇塚くんは素直に中に入って、脱衣所を見渡す。
廊下にもわずかに聞こえる謎の音。
しばらくして脱衣所から出てきた蛇塚くんは、僕に拳を差し出した。
「つかまえた」
「ひっ!?」
派手な音を立てて跳びのき距離を取って、後悔した。
開いた彼の手の中に、なにもいない。
「ふっ、ふざけんな!」
さっそくイジるのかよ!?
僕の反応に満足げな蛇塚くんは、中を見ながら腕を組む。
「どっか漏電してんのかな」
「……あぁ。そうかもね」
途切れずに聞こえるから虫じゃない。
電気だったら紗樂さんに言ったほうがいいのかなと、心臓のバクバクがおさまらないまま管理人室に目をやると、蛇塚くんはその隣・牧田さんの部屋を見た。
「電気関係だったら、牧田サンかなー」
「そうだね、こういうとき身近に電気屋さんがいると助かるなー、って牧田さんの制服、電気屋さんの作業着じゃないから! もう牧田さんから離れて!」
僕も苦手なものがあるからわかる、こわがってるトコ見られるのは、恥ずかしい。
けどまぁ、蛇塚くんの気持ちもわかるよ。
意外な一面を見たいって気持ち。
意外な面って親近感わくというか、かわいいというか、なにかを! くすぐられるんだよね!
その時、廊下の向こうに気配を感じた。
「まき……」
今帰宅なのか向こうに見えた牧田さん、彼を呼ぼうとする蛇塚くんを、僕は思わず脱衣所に押し込んだ。
蛇塚くんは、例によってニヤリとする。
「ギリ、セーフ?」
「完璧アウトだよ!」
牧田さんがニコニコしながらこちらに来る。
あー、もう知らない……。
「おかえりなさい」
あせりつつも、挨拶。
「ただいま。どうしたの? こんなところで遊んで」
いや遊んでないんだけど、蛇塚くんは廊下に出て牧田さんを手招きした。
「ヘンな音するんだよね。牧田サン、アパートとか詳しいでしょ。見てもらえないかな?」
えぇ、牧田さんが電気屋さんじゃなくて不動産屋さんなのも知ってるし。
でも漏電って決まったわけじゃないし、牧田さんがどういう反応するのか気になって、彼が脱衣所に入ると僕は入り口から中をのぞく。
なにも気にせず点検してる。
……蛇塚くん、牧田さんはイジらないの?
「おぉ、これか」
牧田さんがなにかを拾い上げ、蛇塚くんがそれをのぞき込んだ。
そして間もなく、音がやむ。
振り向いた牧田さんの手の中にあるのは、電気シェーバー。
シェーバーが電源入ったまま落ちてた音、だったの?
牧田さんが、首をかしげる。
「矢本くん、なんでそんなとこで家政婦みたいに見てるの?」
一緒に中に入って音の原因を探せばいいものを、デカい虫の可能性を捨て切れず、そして牧田さんがどんなリアクションをするのか気になって傍観してしまった。
牧田さんの件は悪くて言えないから、自分のことを、言うしかない。
「虫がいるのかと思って。僕、虫ダメなんです」
牧田さんは、苦笑する。
「ははは、誰だって苦手なものの一つや二つあるもんな。大丈夫、みんなには黙っておくから。なぁ蛇塚くん」
いや、一番バレたくない人に真っ先にバレちゃってるんですけどね!
「これ誰が忘れてったんだろうな。佐藤さんに届けておくから」
シェーバーを片手に、牧田さんは雄々しく大浴場を去っていった。
見たかったトコ、全然見れなかったし。
ちょっと残念。
風呂に入りに来た僕は、安心して脱衣所に入った。
牧田さんを見送っていた蛇塚くんも、澄ました顔で入ってくる。
「よかったなー、虫とかバケモンじゃなくて」
これたぶん、シェーバー落ちてるの知ってて僕の反応楽しんでたよね、くやしいんだけど。
どこか憎めない蛇塚くんと一緒に大浴場で癒されながら、いつか蛇塚くんの弱点を見つけてやろうと、僕は心に誓った。
了
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