第2章 纏わり憑くもの

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「おぉ、こりゃまた随分派手に暴れたようやの」  老僧の視線の先には、あの黒く染まった襖。 「これはこのまま護魔焚(ごまだ)きしよかの」  室内を見渡し、四隅の盛り塩に目を止める。 「ほ、ようやったの。邪気をキチンと吸っとるわ。あれがしてなかったらえらいことになっとったわ」  黒衣の青年が煤を(はら)んだ塩を取り払い、新たに盛り塩をした。やり方は弥生伯母と同じだったが、迫力は格段に違う。 「あれをやったのは主かの?」  老僧が弥生に目をやりながら確認する。 「は、はい……以前教えて頂いたやり方で……」  昨日弥生が言っていたこと。その相手はこの老僧だったということか。 「そやったの。教えたのは結構前やったんに、キチンとやり方守っとったんやな。偉いで」 「何やその話は。弥生! あんたこんな糞爺相手に何聞いとんや!」 「(やかま)しいわ。儂にしか教えられんことを教えただけや。ええから婆は黙っとれ」 「何やと!」  憤慨(ふんがい)する祖母をまるで視界から消したように、老僧は真緒梨に向き合う。 「さて、嬢ちゃんとは初めましてやな」 「あ、はい……」  昨夜の凍えるほど冷えていた部屋の面影は欠片もない。  清浄な空気の部屋の中で、事態は動き始めた── 「儂ゃそこの高気寺(こうけじ)の坊主や。日々谷(ひびたに) 公慈(こうじ)言う。有り難いことにここら一帯檀家(だんか)になってくれとるわ」  後ろに控える青年に少し視線を移し、短く紹介する。 「こっちは儂の孫や。名は慈晏(じあん)。普段は千葉のお山で修験しとるけどもの、急いで帰らせたんや」  老僧の言葉に、青年は頭を下げる。 「桜庭 真緒梨です……よろしくお願い致します」  真緒梨も自然と頭を下げた。真緒梨の動作を、老僧は柔らかい眼差しでジッと見る。 「優しい嬢ちゃんやの。お母さんを大事に思っとる。こんな婆にもな。感情の揺らぎはあっても、芯から冷徹にはならん」 「……」 「婆言うな!」 「喧しいわ。黙っとれ。婆は婆じゃ。糞婆」  柔らかい表情から吐き出される言葉は意外にも辛辣(しんらつ)で、真緒梨は里沙と顔を見合わせる。  お互いの、口は悪くともこのどこか砕けたやり取り。その視線に気付いたのか。 「ほ、ほ、この婆とは昔からの付き合いでの、若いころにはこの婆から恋文(らぶれたぁ)までもらった仲よ。昔はもちっと可愛らしかったに、今ではその欠片もあらへん」 「関係あらへんやろ!」  心底焦ったような祖母が絶叫した。  祖父はと見ると、先程までの勢いは何処へやら、黙って青くなっている。この3人の間で何かあったのだろうか? 「座主(ざす)様」  話が逸れたことを(とが)めるように、慈晏が声を掛けた。老僧の咳払いが聞こえる。  老僧が、ひとりひとりと視線を重ねた。その視線ひとつで、思わず居住(いず)まいを正す。視線にも力があった。 「嬢ちゃんはこれを持っとりゃ。話しとって邪気が寄ってきたらあかんでの」  真緒梨が渡されたのは、複雑な紋様が描かれたお札。 「邪気避けの護符や」 「ありがとうございます」  真緒梨は護符を胸に抱き締めた。それを見て、老僧がひとつ頷く。 「少し、昔話をしようかの」  老僧の声が低く響いた──
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