Episode 0

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「よお。やっと来たか。俺様は待ちくたびれたぞ。まず、先生に挨拶だな。早く来い」 門戸の前で仁王立ちしていた、僕と変わらない年端の男に肩を抱かれて私塾の門をくぐると、奥座敷に座っている男が視界に入った。儚い。そんな言葉が酷く似合っていた。 「土佐から遠路はるばる、ようこそ私の私塾へ。待っていたよ。リョウ君と呼ばせてもらってもいいかな?」 まだ名を名乗る前から己の身分が明らかになっていることに、僕は酷く狼狽したのを覚えている。やっと、新しい地で新しいことを学ぶことが出来る。そう期待に膨らんでいた僕の胸はあっという間に萎えてしまった。僕がこの私塾に興味を持っていることなど、あの狭い海辺の町ではあちこちに筒抜けだったに違いない。やはり、追っ手が掛けられたのだ。僕が成し得ることなど最初から有りはしなかったのだ。 己の力を過信していた自分が、酷く恥ずかしい存在のような気がした。 不意に肩を叩かれて顔を上げた僕の目の前には、柔らかく微笑む先生がいた。 「心配はいりません。君が此処に来たということは、僕たちが刀に代わる新しい力について学んでいることを知っているからですね? 」 「はい」 「その力さえあれば、遥か彼方、土佐の地に私達の同志がいるということさえも手に取るように解ってしまうのです。私は知っていました。君が私の志を守ってくれる大切な同志だと。だから心配はいりません。此処で心ゆくまで共に学びましょう」 それからの日々は、僕にとって宝としか言いようがない。先生の言葉だけではない、志を同じくする同志たちと何度も繰り返される意見のぶつけ合い、そこから生まれる新たな可能性や疑問。その全てが今の僕を作り上げている。 「おい、リョウ。お前はこのことについてどう思う」 僕の肩に腕を回したシンが膝の上に書物を広げて意見を求めると、それを近くで見ていた他の同志たちがわっと群がってくる。あーでもない、こーでもない。思いつくままに意見をぶつけ合う僕たちを、先生はいつも奥座敷から優しく見守ってくれていたものだ。 「刀は古来、人間が作り出した素晴らしい代物でした。しかし、刀は奪いすぎたのです。傷つけすぎたのです。今も、罪もない人々の命が脅かされています。この日本だけではありません。諸外国では既に、刀よりも遥かに驚異的な武器が広まっています。それが日本に入ってくるのも時間の問題です。君たちは一刻も早く、尊い命を守る方法を身につけなければいけません」 「それが魔力、ということですか? 」 「そうです。よく熟読して下さい。時は、確実に近づいています」 先生が目の前に差し出した書物を先に手に取ったのは、僕と横並びに座っているシンだった。シンの眼差しが何時もに増して鋭かった理由を知ったのは、それから幾日かが過ぎた、まだ太陽さえも顔を出していない程に、朝早くのことだった。 良からぬことを企む危険人物として以前から幕府に目を付けられていた先生がついに捕縛されたのだ。 あと数刻で、これから先、命の炎が消え果てるまで、薄ら寒い牢獄に閉じ込められてしまうというのに、先生は僕たちを見て酷く楽しそうに微笑むとこう言ったのだ。 「無駄死にする気はありませんよ」 幕府の手回しで塾はあっという間に解体され、僕たちは行くあてもなく途方に暮れていた。そんな中でたった1人、シンだけが楽しそうに笑っていた。 このまま長州に残り先生の帰りを待ちながら学ぶ者。少しでも先生の側で学ぶために京へ行くことを望む者。同志たちが選んだ選択肢はこの2つだった。 僕とシンは迷うことなく後者を選び、先生の身辺に動きがないか気を配りながらも、己の魔力を高めることに努めた。
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