Episode 1
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Episode 1

「全てリセットです」 あの時、死神はそう言った。けれど、リセットされたのは全てではなかった。 出来るだけ細くお湯を注ぐ。しっとりと水分を含んだコーヒー豆が芳しい香りを放つのを暫し待つ。この時間を無駄ととるか、有意義ととるかは、人其々だろう。 「あー。いい匂い。僕にも一杯」 「了解」 カウンターに座った隼人が、カレンダーに視線を向けると小さく息を吐いた。考えていることは、俺と大差ないのだろうと思う。 「溜息をついたって仕方がないだろう」 「それは分かってるけど。なんか悔しくて」 「俺様はまだまだ諦めてはいない。必ず方法があるはずだ」 「僕だってそう思う。諦めろって言われたって無理だよ」 でも、今日はさすがに無理だよね。隼人はそう呟くと、自分のイニシャルが刻印されたマグカップに口をつけた。 「あぁ、無理だろうな」 それは、いくらお気楽主義の俺でも否定することは出来ない。気まぐれな神様が予期せぬ幸運を降らせてくれるならば話は別だけれど。 あの日。星波は死神に抱えられて此方の世界に帰って来た。音もなく、気配もなく。ゆらゆらと漂う様に現れたその姿を見た時。全ての作戦は失敗に終わったのだということを悟った。 「約束通り、全てリセットです」 死神の腕に抱かれた星波の表情は、俺たちの心中とは相反する様に、酷く穏やかなものだった。 「今回の件に関する記憶は全て削除されました。彼女のスケジュールも全て神の定めた通り。変更はありません」 「ねぇ、神様は逆境に立ち向かう人間を容易く見捨てたりしないって言ってなかった? あれって嘘だったわけ? 」 ずいと詰め寄った隼人を片手で制した死神がゆるりと口角を上げる。何度見てもいけ好かないその表情に気分が悪くなってくる。 「そんなことを言った覚えはありませんが」 「……ふざけんなよ」 「ふざけているのはどちらでしょうね。言ったはずですよ? 神は絶対だと。人間が持てる魔力など、その程度のものです」 死神は高らかに笑い声を上げると、漆黒の闇を翻しその姿を消した。残されたのは凍えるほど冷え切った空気と、吐き気がする様な酷い虚無感だった。 気づけば、あの日から1年以上の時が流れた。 「そろそろ帰ってくるかな」 カレンダーを見ては溜息をついていた隼人が、思い出したように腕時計に視線を向ける。時刻は14時を過ぎたところだ。 「午後の授業は欠席すると言っていたから、混んでいなければ終わっていてもいい時間だな」 魔法千代古令糖のドアには、臨時休業と書いた紙を貼り付けてある。常連さんには申し訳ないけれど、店を開ける気にはなれなかった。今日は7月7日。星波の17歳の誕生日だ。 1年前の今日。待ち望んだ運命の日を迎えた2人は、お互いの気持ちを確かめ合い、共に人生を歩む約束を交わすはずだった。けれど、それは夢物語にもならなかった。そう、全ては消えて無くなってしまったのだから。 星波はあの誕生日の夜、星の王子様には出逢わなかった。幕末に時空間移動したことなど無いし、宗次郎やトシ、隼人にも出逢ってはいない。俺は、近所に住むただのお兄さん兼バイト先の店長で、魔法使いでもなんでもない。先生が白猫になって時空間を逃げ回っていたことも知らない。璃子が本当は俺の妹だということも知らない。俺たちの記憶に強く刻まれている出来事の全ては、星波の頭の中から綺麗に消えてしまった。リセット。つまりはそういうことなのだ。 星波は何も知らない。だから、俺たちは何も言わない。ただただ星波の傍で奇跡が起きるのを待っている。それだけだ。 「ただいま。わぁ、凄い」 あれ程立て付けの悪かったドアを、意図も簡単に改善させた張本人。リョウが店内の装飾を見上げて感嘆の声を上げる。 「何が凄いんですか? え? 嘘、凄ーい‼︎ 」 リョウの後ろから顔を出した星波が、驚きに目を瞬かせる。そうだろう。その顔が見たかったんだ。星波が好きなピンク色の装飾やバルーンで埋め尽くされた店内は、控えめに言っても最高に可愛い仕上がりだ。いつもは早起きなど絶対にしない隼人も、今日ばかりは俺よりも早く起きて、せっせとバルーンを膨らませていた。その姿は、少し前まで真剣を振り回していた男だとは思えない代物だった。今回のことで知ったことがある。隼人は実に手先が器用だ。 「凄いでしょ? 星波の為に頑張ったんだよ。褒めて、褒めて」 「隼人さん、ありがとうございます」 いい子、いい子。と言いながら隼人の頭を撫でている星波。星波に頭を撫でられて嬉しそうに破顔している隼人。日常茶飯事になりつつあるこの光景も、なんだか特別なものの様な気がしてくるのは、今日がそういう日だからだろうか。 「検査結果はどうだった」 兄妹の様にじゃれ合っている2人を眺めながら、他人事のように微笑んでいるリョウに声を掛ける。 「今回の検査も異常なしだったよ。とりあえずは安心したけど、腫瘍が出来た時期は定かじゃないからね。なるべく早期発見出来るように、これからも小まめに検査するしかないね」 「そうか。そうだな」 「僕もコーヒー貰っていい? 」 「あぁ」 食器棚のマグカップに手を伸ばしたリョウの背中を見つめながら、人はいつか死ぬよ。そう言っていた星波を思い出す。そうだ。人の命には限りがある。それが、いつ終わりを告げるかは神様の匙加減次第だ。他人からどう見られようと、どう思われようと。己の人生だ。盛大に花を咲かせて、堂々と散りたいものだ。例え、その花が自分にしか見えないものだとしても。だから、なんだというんだ。
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