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俺はホームセンターの片隅で、思わず足を止めた。
洗面所の電気が切れたので、電球を買いに来た。ただそれだけのはずだった。
しかし何の因果か、俺は正面入口の側にある園芸コーナーに、金木犀の鉢植えが置かれているのを見つけてしまったのだ。
「金木犀なんて、珍しいでしょ? お買い得ですよ」
すかさず店員がやってきて、俺に話しかけてくる。
俺は慌てて、顔の前で手を横に振った。
「いや、これ木だし、かなり大きくなりますよね? 俺の家、賃貸マンションなんで」
そう言うと、店員は黒縁のメガネをクイッと上げて、ニヤリと笑った。
「鉢植えのまま育てることもできますよ」
「……」
「盆栽風とかもいけます。ベランダは日当たり良好ですか?」
「まあ、日当たりはいいけど……鉢植えとか盆栽なんて、俺、知識が無いし……」
「これを機会に、色々と覚えればいいじゃないですか」
『この客は、押せば買うかも知れない』という商売人のセンサーが働いたのか、店員のセールスはやけに熱心だった。
実際、鉢植えの前で思わず足を止めてしまった時、もし俺がこの鉢植えを買ったら――そんな思いと共に、脳裏には母の喜ぶ顔が浮かんでいたのだった。
棺桶いっぱいの金木犀の花の中に埋まって、
「わあー、いい香り!」
なんて言いながら、ニコニコと笑っている、額に白い三角巾を着けた母の顔が……。
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