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第15話 確信
「…なんだ」
鶴長は不機嫌そうに言った。
「…会いにきてはいけませんか?」
梨姫は負けずにそう返した。
鶴長はこのとき自分の部屋で書物を読んでいた。そして鶴長と梨姫が寝所以外のところで会うのはこれが初めてであった。
「最近、あなた様は寝所にも顔を出さないから心配で会いにきたのです。」
「…そうか。私に特に問題はない。ここにいたって退屈だろうから早く帰られよ」
鶴長は相変わらずの淡々とした口調でそう言った。
「でもこの間の夜、あなたはどこか変でした…やはり何かあったのですか?」
梨姫は勇気を振り絞って鶴長の秘密に迫ろうとした。そう、このとき梨姫は鶴長に歩み寄るために会いにきたのだった。
「…お前には関係ない」
「私達は夫婦です。私…あなたと一度ゆっくり話がしたい…」
(自由がないならその分、私はこの家の立派な奥方になりたい…そしてこの方を支えてあげたい…)
そう思いながら梨姫は鶴長の目をしっかり見た。鶴長はさっきよりもますます顔をしかめており、梨姫を黙って見ていた。
「…たとえ夫婦でも話したくないことがあっていいはずだ。だからお前に話すことなど何もない。」
「…ところで何を読んでいるのですか?」
これ以上問答を繰り返していても埒があかないと思った梨姫はとりあえず話題を変えた。
「…史書だ」
「…史書がお好きなんですか?」
「…」
鶴長はこの通り無口で物静かな性格なので当然のように会話はすぐに途切れてしまった。
「書物が読めるなんてすばらしいですね。私は学問がとても苦手で…」
梨姫は負けじとどうにか会話を続けようとした。
「あなた様も歴史に名を残した名君のようになれると良いですね。いえ、若様なら絶対になれます。若様はとても賢い方だから」
そのとき鶴長は何が引っかかったのか顔をしかめるのをやめて、こう切り出した。
「…不公平だと思わないか?」
「え…?」
突然、鶴長が予期しない言葉を紡いできたので梨姫は一瞬戸惑った。
「みんな同じように懸命に生きているのに歴史に名が残るのは大きな功績を残したものだけ。それどころか大半は身分がある程度高い者ばかりだ。平凡な、あるいはそれより下の身分の者たちはみんな歴史の中に埋もれ、忘れ去られていく。」
このときの鶴長の目はまるで空と会話をしているくらいどこか遠くを見ていた。
「…でも、別に有名な偉人は名を残そうと思って大きなことをする訳ではないのでは?初代の家康公だって太平な世を築くためにあのように素晴らしいことを行っただけで…」
「…確かにな。でも私は不思議と天下を統一しようだとか民に慕われるような名君になろうとも思わない。誰かを救うにしたって例えば家族を大事にする…そのような小さなことを行うだけで十分だ」
「でも、いずれはあなた様もこの家の跡を継いで立派なお殿様になります。そしたらあなた様もきっと大きな行いを」
「私には誰も救えない」
鶴長は急に語気を強くしてそう言った。
「…」
梨姫は正直言ってこのような話をする鶴長の真意がわからなかった。
「…もしかして跡を継ぐ気はないのですか?」
歴史上の英雄たちのように大きなことは行いたくないと彼は言った。彼は本当はもっと違う生き方を望んでいるのではないか…
「…無駄話はここまでだ。早く帰れ」
梨姫が鶴長の真意についてあれこれ考えていると鶴長はとうとう会話を切り上げようとしてきた。
「私に出て行ってほしいのですか?」
梨姫は引き下がらずに声を張り上げてそう言った。
「…あぁ」
鶴長は特に遠慮なくはっきりとそう言った。
「では最後に一つだけ…あなたはこの間の夜、蘭丸殿のことをとても案じていました。それは一体どうしてですか?」
梨姫は思い切って一番気になっていたことを聞いてみた。不思議とためらいはなくまっすぐ鶴長を見た。
バン!
鶴長は読んでいた書物を床に叩きつけた。
「誰か!姫がお帰りだ。さっさと連れて行ってくれ」
鶴長は憎しみに満ち溢れた目で梨姫を見た。そのときの鶴長は今にも噛み付いてきそうな怒りの形相をしていて普段の物静かな鶴長とは思えなかった。
「姫様!」
女中が出てきて梨姫を連れ出そうと腕をつかんで立たせようとした。
「いや、もう帰る」
梨姫は女中の手を振り払うとそのままその場を去っていった。不思議と悲しい気持ちにはならなかった。
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