第5話 藤

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第5話 藤

嫁入りを控えた梨姫は藩の別邸へと向かった。そう、滅多に会えない実の母親に会う為だった。 「梨姫!来てくれたのですね。」 梨姫の母、藤は梨姫の気配を感じたのか、そう言って微笑んだ。藤はまさに藤の花のように可憐で、とても美しい人であった。 「雪姫様のこと聞きました…可哀想に…まだお若いのに…」 梨姫はそのとき最後に見た姉の言葉、険しい声をふと思い出し、胸が痛くなった。 「雪姫様のためにもお前はしっかりと役目を果たすのですよ。」 「はい…」 そう返事はしたものの梨姫はやはり姉の最後の姿が頭にこびりついてきた。 「お前は梨の花をみたことはありますか?」 藤は突然そう切り出した。 「え…?梨の花って白い花ですよね?」 藤の突然の問いかけに梨姫は不思議に思った。 「そう。白くて可憐な花です。ところでしっていますか?梨は無しとも読むから昔から泥棒避けに使われた木でもあるのですよ?」 藤は言った。 「そ、そうなのですか?」 梨姫は目を丸くして言った。 「そして、私は梨の花はとてもきれいな花だとおもうのです。」 「え!なぜですか?」 突然自分の名前の由来となった花をきれいだと言われたので梨姫は驚いて聞いた。 「無しというだけにそれは、悪いこと邪な気持ちが無しともいえます。つまり清廉潔白を表せます。」 「なるほど…」 「そして白はどんな色にも染まりやすいけれど、それはどんなことも受け入れられる寛大さがあることを表します。まさに正直で素直、お前にぴったりの花です。」 梨姫は涙を流した。自分の名前について改めて語る母親を見て、もう今生の別れになることを悟ったからだ。 「母上…本当にありがとうございました。私は母上が大好きです。」 梨姫は涙を流しながら礼を言った。 「梨姫、私達女子に自分の道を決める自由はありません。されど、己の道を信じることはできます。」 藤は涙を必死に堪えていた。 「いいですか?絶対に道を引き返してはいけませんよ。どんなに辛くとも前へ前へと進むのです。」 藤の堪えていた涙がとうとう溢れ出した。 「母上、そばにいってもいいですか?」 梨姫が藤にそう尋ねると藤は静かにうなづいた。そして2人は親子の抱擁をして、しばらくお互いの別れを悲しんでいた。  梨姫はその後、別邸を後にした。もうこの家に未練はない…そう思いながら。 藤は梨姫が去った後、まるで絵師が顔料で塗ったような青々とした空を見てこう呟いた。 「あぁ…どうかあの子がどうか嫁ぎ先で苦労しませんように…」
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