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第9話 鶴長
とうとう婚儀の日がやってきた。婚儀は朝から準備が始まり、梨姫は湯で体をきれいにさせられ、侍女達に化粧をされたり着替えさせられたりした。
「まぁ、なんと美しい…」
梨姫の花嫁姿を見て侍女達は梨姫を褒めたたえた。それから婚礼が始まった。梨姫は隣にいた鶴長をチラッと見た。
(そういえばこの人が話している所見たことない…それに今まで一度も目が合ったことがない…)
初めて会ったときから梨姫は鶴長に良い印象を抱いてなかった。鶴長は無口で全然話さないし、にこりとも笑わなかったからだ。それに加えて梨姫の心には蘭丸の姿があり一目みたときから蘭丸を忘れない日はないほどであった。
婚礼が終わり、夜がきた。夫婦となった鶴長と梨姫は同じ部屋で就寝することになる。といっても鶴長は14歳、梨姫は12歳とお互いまだ幼いので当然夫婦の営みはない。けれども梨姫はたとえ鶴長に良い印象を持っていなくてもせっかく夫婦になれたのだからどうにかして彼と仲良くなりたいと思っていた。
梨姫が寝所で静かに待っていると鶴長がやってきた。
「若様、あの」
鶴長が布団の上に座ると梨姫は鶴長に声をかけた。
「よかったらお話でもしませんか?」
梨姫は勇気を振り絞って鶴長にそう言った。しかし、鶴長はまるで梨姫の言葉など聞こえていないかのように布団に入って梨姫に背中を向けて寝始めた。
「あの!」
梨姫はそれでも鶴長に声をかけようとした。しかし鶴長は梨姫の言葉には一切答えなかった。
(なんて感じが悪い人なの…人のことを無視するなんて…)
梨姫の中で鶴長に対する不信感は深まっていった。
正室としての暮らしは梨姫にとってはなかなか大変だった。まず起きる時間は決まっていて侍女が声をかけるまではたとえ起きていても起き上がってはいけなかった。朝起きるとまずは身支度から始まり侍女たちによって髪を梳かれ風呂に入らされて髪を結われた。それから朝食を食べ、そのあとはまるで着せ替え人形のように着替えをさせられ毎朝仏間に行って位牌に手を合わせた。それが終わると書物を読んだり和歌を詠んだりと比較的伸び伸びとした生活になるが、葵山家にいたときのように外では遊べなかった。いつも変わることのない規則的な生活に、まるで自分を監視するかのようにそばにいる侍女達。実家にいたときのような自由な暮らしができないことに梨姫は不満を抱いていた。
「鶴長とは上手くやっているのか?」
そう聞いてきたのは前藩主の正室、正心院(しょうしんいん)であった。
「え、あ、はい」
本当はあの日から梨姫と鶴長の仲は上手くなどいってなかった。2人は寝床こそ同じにしていたもののろくに会話をしたことがなかった。しかし、さすがに鶴長の家族の前で本当のことを話すわけにもいかないので梨姫は鶴長との仲について余計なことは何一つ話さなかった。
「鶴長は少し無愛想なところがあっても根はとても優しく気立てのいい子だ。そしてそなたの務めとは後継ぎとなるお子を産むことじゃ。そのためにもどうか鶴長と仲睦まじく暮らしてほしい。」
正心院はそう言った。
「…はい」
(でもあの人、一言も話さないし笑わないし正直言って仲良くなんてなれないわ。それよりも蘭丸殿…一目見て以来、一度も会ってないけど、どう過ごされておいでかしら…)
梨姫の心には依然として蘭丸の姿があった。
「義姉上は良いですね、見た目がきれいで。私なんか色黒で…女子は色白の方が良いのに」
そう言ったのは鶴長の妹にあたる香姫であった。
「肌の色なんて白粉でいくらでもごまかせるだろ」
そう香姫を諭したのは鶴長の弟、鶴重であった。
「殿方が好きなのは白粉を塗りたくった女子ではなく元が可愛い女子なのです。父上の側室達を見てください!みな、美しい女子ばかりでしょう?男というのは結局美しい女子が好きなのです。」
香姫は嘆くようにして言った。
「そうとも限らないぞ。今の公方様は外見より中身を見るお方で公方様の側室は醜女(しこめ)ばかりらしい」
鶴重が言った。
「じゃあ、公方様の側室になら、なれるかもしれない」
香姫が冗談でそう答えると3人は一緒に笑いあった。
「でも、中身を見てくれるっていってもそれはそれで難しいのでは?」
梨姫はそう切り出した。
「そ、そうなのですか?」
「だって中身がいいってことは教養があるとか、心優しいってことだから下手したら見た目で勝負するより難しいかもしれない!」
「たしかに義姉上の言うとおりじゃ。香は頭も悪くて手がかかる娘で、きっと公方様が望む女子ではない」
鶴重は笑いながら言った。
「もう!兄上!」
梨姫は時間があるときは香姫や鶴重とこうやって何気ない話をしながら共に過ごしていた。香姫や鶴重は兄の鶴長と違って2人とも気さくで明るく梨姫は2人と一緒にいるのがとても楽しかった。
(鶴長様もお二人ぐらい優しい方だったらよかったのに…)
「美しいといえば、愛姫様よ!いいなぁ。愛姫様はあんなに美しくて…」
香姫が愛姫の姿を思い浮かべてうっとりしながら言った。梨姫は蘭丸の母、愛姫の話題になったのでドキッとした。
「そぉか?でも美しい愛姫様も良縁には恵まれなかったじゃないか」
鶴重が言った。
「そ、そうなのか?」
梨姫が鶴重の発言に反応した。
「はい。愛姫様は昔、他家に嫁がれたのですが、蘭丸殿を産んですぐに嫁ぎ先の相手が亡くなられたのです。」
「まぁ…」
「結局その家も他の家族が継いでしまったから愛姫様は実家であるここに蘭丸殿を連れて戻ってきたんです」
「愛姫様も大変だったのね…」
そのとき梨姫は、愛姫のあのどこか哀感が漂う美しさはそういった不幸が表れてるからではないかとひそかに思った。
「それに愛姫様はご家族にも恵まれなかった。お祖父様の子供達は愛姫様以外みんな幼くして亡くなって蘭丸殿だってあんな感じだし…」
梨姫は蘭丸の名前を聞いてドキッと胸が高鳴った。
「ね、ねぇ、その蘭丸殿って病弱だって聞いたけど一体どういう病気なのだ?」
梨姫は恐る恐る2人にそう聞いてみた。この2人なら何か教えてくれる気がした。
「さぁ…父上も母上もあまり蘭丸殿のお話はしないので…」
鶴重はそう答えた。
「でも、昔は病気がちな方ではなかったのです。」
香姫は言った。
「そ、そうなのか?」
梨姫は香姫の言ったことに興味をもった。
「はい。昔は明るくて元気なお方で私も小さい時はよく蘭丸殿と遊びました。」
「そうそう。小さい時は特別病弱でもなかったのに」
昔の蘭丸は明るくて元気だった…梨姫は2人から昔の蘭丸について聞き、蘭丸に対してますます興味をもつようになった。
(今は病弱で引きこもりのお方が昔は明るくて元気な子供だった…もし彼の身に何かがあったとしたら?それであぁなったとしたら?それはいったい…)
蘭丸にはきっと何かある。そう思い始めた途端に梨姫の心は弾んだ。そう、まるで物語の続きが気になっている夢みがちな子供のように…
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