対面

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対面

夜明け前、美穂は連絡を受けてから病院に駆け込んだ。 病院受付で「身内」だと告げ、光雄が搬送された事を突き止めると 「妻」のフリをして緊急処置中も治療室前で項垂れ、 何もない事を祈りながら待合椅子で待っていた。 やがて1時間を過ぎた頃に処置をしたスタッフから説明を受けると どうやら過度の疲労による意識障害ではないかとの事だった。 取り急ぎ一通りの検査を試みた結果、即座に命の別状は無いと判断され 即入院をし精密検査を行うとの事だった。 検査の結果では長期入院や病気の発見もありうるとの事であった。 内縁の妻だと説明をしたものの罪悪感から説明を聞いた後で 「内縁の」と付け加えた。 医師は一瞬表情を変えたのが分かったが 勝手に複雑な憶測をしたのだろうか、特にそれ以上は 確認してくる事もなく光雄は一旦病室へと運ばれていった。 おおまかな説明を聞き終え、一旦自宅に帰ってから 帰って来ようと病院の出口に向かおうとした時、 丁度光雄の妻が駆け込んできた。 「佐川光雄の妻です!」 という甲高い声が耳に突き刺さった。 「え?」という表情で彼女を見た美穂を見た光雄の妻、冴子は 美穂を見て間髪入れずに会釈をした。 美穂はその場でどうしていいのか分からず立ちすくんでいると 冴子は先生にこう言い放った 「あの人は大丈夫なんでしょうか?命に別状は?」 「先ほど身内の方に説明差し上げたのですが命に別状は御座いません。 疲労だと思いますが現在は処置をして意識は回復されておりまして、 精密検査を兼ねて今日から入院して頂きます。詳細は少し経過を見て ご説明が出来ると思います。現段階では命に別状は無いと判断します」 「そうですか、わかりました。有難う御座います。」 美穂はソロリソロリと冴子と医師が何やら話している位置から ゆっくり動いて逃げようと距離を取った。 しかし一通り医師とのやり取りを終えた冴子は 速足で美穂まで近づくと眼力のある目で美穂を引き留めた。 瞬きもせずに見据えたままで美穂に言った 「お世話様です」 美穂は氷の如く自分の身体が氷点下になったのかと思うほど 血液が体外に抜けてしまったような寒気を覚え緊張した。 こわばって目の周りが痙攣しているのが分かった。 「あ、の、会社の同僚で....」 とっさにおかしな事を口にしてしまう。思考回路も停止していた。 冴子はほんの数ミリも顔の皮膚を動かすことなく ロボットのように無表情で美穂に続ける 「どういうご関係でも構いませんの。あの人の大事な人なんでしょう?」 返す言葉が何一つ浮かばなかった。 作る表情も何一つ無くまるで無垢の木のようにそこに ただただ立ちすくむしかなかった。 「とにかくあの人をどうも有難う御座います。」 「あ、はい。」 「どうされます?貴方がもし宜しかったらですけれど。あの人のお世話。 着替えなどは自宅から一度持ってきますので。お金もいくらかお渡しします。」 「あの....ちょっと私が勝手に決められないので」 「だから私が聞いているのよ」 一切表情を変えずに冴子は畳みかける。 光雄とどういう状況なのか、自分に対してどういう感情があるのか 人並み以上に気が使え、人並み以上に人の感情がわかると自負していたが 何一つその様から情報を解析出来なかった。 「ご迷惑でなければお手伝いしたいですけれど」 美穂は思考停止している頭で絞り出した言葉を口にした。 ”光雄さんのそばに今すぐ行きたい。ずっと世話をしたい” という願望を最大限、本妻に叱られないように考えた結果 「お手伝いしたい」という妙なアウトプットになってしまった。 「気にしないで頂戴。うちの人と私はもう何年も別居してるのよ。 ちょっといいかしら?ロビーにでも。すぐ済むから。」 美穂をロビーの待合で話をしたいと言う冴子。 美穂は恐怖でどうにかなりそうだった。 ロビー待合に移動した二人。 冴子は途中、コーヒーを2つ買うと美穂に手渡した。 「コーヒーで良かったかしら?」 「は、すみません。有難う御座います」 「貴方、若いわね。長いの?あの人と。まあどうでもいいんだけれどね」 「いえ、あの、すみません」 美穂は言葉を選んでいるうちに何一つ口から出てこない。 何も言えないとはこういう事を言うのだと実感していた。 「とにかくね。貴方はあの人と付き合ってるんでしょ?いいのよ。 大事にしてもらいなさい。根は優しい人なんだから。 ただね、私は別れるのよ。どうしてそうなったかは色々ね。 好きは好きよ。でもね愛とかじゃないの。」 「はい」 「でね。貴方、あの人の事どこまで知ってるのか知らないけど。 病気なのよ。知ってると思うけど。」 「え?」 「やっぱり言ってないんだ。そういう所はいけないわね」 「あの....病気って?」 「あの人から聞いたほうがいいと思うわ。私が言うと絶対怒るんだろうし」 「ひどい病気なんですか?」 「本人からお聞きなさいね。とにかく私は貴方があの人とどうこうなるのは 別に反対も何もしないから。それだけよ。」 「あの」 「病気ね、肝臓よ。若い時に壊したのが悪化したのよ」 「肝臓ですか?悪いんですか?」 「肝硬変ね。お酒の飲みすぎ。肝臓がんの手前だと思う。」 「え!?」 今まで一言も聞いてなかった。顔色が悪いとは思っていたが 単なる地黒だと思っていたから不審に思ったことも無かった。 「さっき先生とも話をしてたんだけど、その話をしてたのよ。 平気でお酒を沢山飲むし今回も薬も飲まずに無理したんじゃないかって」 「そうなんですか....聞いてないです。すみません気が付かずで」 「さあ、あの人、若い子に恰好つけてるんでしょ」 「..........」 「とにかくそういう事だから。長生きしないんじゃないの? いいの?貴方若いのに。まあ余計なお世話ね。 私が言ってきたけど聞かないからねあの人は。馬鹿よ。」 「..........」 「まあそういう事。好きにして頂戴。ただ、別れるのに 慰謝料とかねそういうのは勝手にやるから。 あの人が別れたいって言うんだから。私はいいのよ。 もう飽き飽きしてるのよ。だから今回もお願いね。」 「あ、はい。」 「また昼から着替えとか持ってくるから。それとも あの人の家、行ってるんでしょ?着替えとかあるんじゃないの?」 「あ、あの、はい。あると思います」 「じゃ、貴方があの人の家から持ってくる?私は何もしないけど」 「そうしましょうか?」 「いいわ。じゃあお任せしていいかしら?医療費とか 世話代は全部持ちますから」 「あ、いえ、はい。わかりました」 こうして本妻と彼女との奇妙なやり取りが病院で行われた。 病気の事実は衝撃ではあったが、本妻の実にドライで さっぱりした性格は意外だった。 ひょんなきっかけで本妻との話が出来、 晴れて美穂は堂々と光雄と付き合う事が出来る事となった。
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