彼の香り

1/1
79人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ

彼の香り

光雄の葬儀は葬祭場で行われた。 生前、経営者であった光雄は人柄も良く 同業者や関連会社にも人気があった。惜しむ声が多く葬儀には 地元の有力者から友人まで100名を超す人々が集まった。 葬儀に交じっていた美穂は光雄の人望に誇りさえ感じていた。 自分が愛した人は凄かったんだと。 毎晩枕を濡らし葬儀を迎えた美穂だったが 葬儀中に来場者が光雄の生前の話をしているのを聞いているうちに 光雄は本当に死んでしまったのだと実感してきた 会えない寂しさに身悶えして夜を超えてきたが 光雄の死を実感する事で感情が漸く落ち着いてきていた。 一通り葬儀が終わると光雄の親族だけで光雄の実家で ささやかな集まりを行うとの事だった。 葬儀場から退場しようとする美穂に冴子が声をかけてきた。 「今日遠方から来ている親族がうちに集まって精進落としみたいなものだけど。するのよ。おいでなさらない?迷惑じゃなければ。 あの人は貴方が好きだったのよ。実はちゃんと聞いていたの。 まさかこうなると思ってなかったから。前に話をしたときね。 俺は彼女を愛していると。そう言ったのよ」 美穂は尚も涙が頬を流れ落ち、泣き崩れた。 「何もこんな日にこんなこと言う気はなかったんだけど。 貴方は優しいから。きっと私が色々言わないと連絡くれないでしょ?」 冴子は一体どういう心理で言葉を投げかけてくるのか理解できなかった。 自分が妻なら、絶対にこんなことは出来ない。 「とにかくそういうことだから。場所はここ。」 細かい住所を書いた紙を手渡した。 美穂は流石にこの日は出向く事は無かった。 親戚一同が集まる場に出ていくほど強くはない。 「すみません、でも、やっぱり私は行けません。 ご親族の方もいらっしゃるし」 「そう。じゃいいわ。」 あっさりと答える冴子。 益々理解し難い反応で光雄がどうして彼女を愛したのか どうして別れを選んだのか理解に苦しんだ。 「あのね、私ね。あの人を愛しているのよ。 変な女だと思ってるでしょう?わかるわ。自分もそう思うから。」 「いえ、そんなことないです」 「いいのよ。でもね、人って何なのかしらね。 私が好きっていう気持ちは結婚前もそして今も変わってないのよ。 だけどねそれが伝わらなくなっちゃうの、でね、別れるってなってね。 でね、勝手に死んじゃうの」 「.....」 「だからね、貴方は幸せだったと思うのよ。 好きなままだったはずだから。伝わっていたと思うのよ。好きって。 あの人、言ってたからね。彼女は俺を本気で好きだし愛してくれているんだって」 「.....」 「悔しいけれど素晴らしいわよね。私は何も変わってないつもりだったけど 変わってしまったのよね。あの人は何一つ変わってなかった。と思う。 きっと永遠の愛っていうのは、互いに変わらない事なのかしらね。 自分では態度とかも変わってないつもりだったけれど、そうじゃなかったみたい」 「どうなんでしょうか...」 「お前は家庭がどうとか夫婦がどうとか言うけど俺を愛してないって。 そんなことを言われたのね。私は何も変わってないつもりだったんだけどね」 美穂は正直、どういう経緯でそうなったのかが理解できず、そして 何も答える事が出来ず会釈をして別れる事しか出来なかった。 「あの、光雄さんの部屋の鍵は今日は持ってきてないので後日お返しします」 「そうね、後処理するからまた今度。」 その帰り最後にと光雄の部屋に立ち寄った。 光雄の部屋に入ると生前のまま、光雄の持ち物が溢れ、 二人の写真が壁に貼られている。 楽しそうな二人。 また泣けてきて寂しさが足元から吹きあがってくる。 光雄と何度も共にしたベッドに横たわると、 光男の香りがする布団に顔を埋めた。 今にもシャワーから上がった光雄が寝室のドアを開けて 「お待たせ~!寝てないかあ?」 と入ってきそうだ。 美穂は二人用の長い枕を縦にして抱き着いた。 込み上げる情熱。激情。 光雄が恋しい。光雄が欲しい。 「光雄さん.........」 貪るように火照る身体を、自身を刺激しながら 滲み終えない愛蜜を絡ませ、光雄の名を何度も呼び 遠くに旅に出てしまった背中を引き戻そうともがいた。 ”愛って何なんだろう。もしも光雄さんが死なずに 一緒になっていたとして、結婚生活を続けたとして 5年10年経過したとして。時間が、愛を、どうするんだろう。 奥さんと光雄さんみたいに愛がなくなっちゃうのかな? 消えちゃうのかな?上手くいかなくなるのかな? 愛しているまま片方が死んじゃって時間が止まっちゃって。 そうしたらこのまま愛が愛のまま永遠になるのかな... ねえ、光雄さん。” (愛欲/氷室静) この物語の登場人物等はフィクションです。愛蜜完。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!