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まるで若葉は、癒月が何故この屋敷に訪れたのか判っているような口振りだった。 「…実は先日から、夢を…見るのです」 「あらら。夢に御座いますか」 笠を外し貌が露わになった癒月が表情を陰らせながら言葉を紡ぐ。 それにしても、やはり想像通り美しい顔だ。 少々丸みのある顔つき、目元は尻に近付くにつれて垂れ気味。口元はほんのり桜色。まさしく儚げという表しが合う美女だった。 「はい、その夢を見るのは決まって雨の晩」 ──   ─── 今宵は三日月。 外は雨の音色に、部屋は静謐(せいひつ)な空気に包まれている。一つの燈台(とうだい)と月明かりのみで照らされる室内。 癒月は何故だかその晩、寝付けなかった。 常ならばもう眠りに身を委ねている刻。それなのに、今宵は嘘のように目が冴えていた。 唯唯、弓なりの月を見上げる。 そうしているうちに、何やら身体の力が抜けていくような感覚に囚われた。 ふわふわ、ふよふよ。 まるで自分の身体の感覚がなくなったようだ。次第に視界が霞み、意識が朦朧としていく。先程までの目の冴え様が嘘のように。 やがて、癒月の身体がころりと床に倒れた。 目は閉じられている故に、恐らく眠っただけであろう。いや、気を失ったと言った方が正しいか。 ───ぴちゃん。 「んっ…」 ──ぴちゃん。 音がする。まるで水が滴るような音。その音を耳に入れた癒月の意識が覚醒していく。 「此処は…っ、寒い」 瞼をふるりと震わせ目を開けると、そこは辺り一面の闇、真っ暗だった。先程まで自分は屋敷で月を眺めていた筈。だと言うに、何故このような場にいるのか。 夢なのか。 此処は、夢なのだろうか。 それならば合点がいく。 しかし、果たして夢とは感覚があるものだっただろうか。今迄の夢では寒さらは感じた事がなかった。それに、先程の水の音は何だろうか。 癒月は首を傾げる。 「……冷たい…?」 なにやら己の身体が冷たい。 ふと感じた感覚に視線を己が身体へと下ろすと、寝る前に纏っていた単衣(ひとえ)が濡れていた。身体に水分が纏わりついてる故に寒いのだろう。 そのまま視線を前へとずらせば、辺り一面が水面下だった。 「大きな水溜り…。いや違う、湖…?」 それは大きな大きな水面。どこまでも続いている。 先程まで闇一色だった視界が段々と明けてくる。よぅく目を凝らして、次は上へと視線を動かすと──月だ。 大きな三日月が、そこにあった。先程まで自分が眺めていた月が。 ──ぴちゃん。 「月から…水が…」 水音の出処はこの三日月からのようだ。月から雫が落ちてくる。何故だ、そんな事有り得るのか。驚愕に包まれていた癒月だが、ふと、ある思考に辿り着く。 「月が、泣いている」 これは月の涙なのだろうか。ならば何故、月は泣くのだろうか。 気付けば、夢を見る前と同じ場所にいた。自室だ。 日は登り、月はもう無かった。 身体を纏っていた水気も一切無かった。やはり、ただの夢だったのだろうか。 その日からだった。雨降る三日月の晩には、同じ夢を見るようになったのは──。
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