12/21
241人が本棚に入れています
本棚に追加
/568ページ
「事実である事に、何故訂正をせねばならぬ」 「堕ちると頭は糞か何かにでもなるのか」 「なんだと…?」 鋭く吐き捨てた灯佳を見る禍神の目が、仄かに歪んだ。 しかし歪んだ目をしているのは灯佳も同じ。彼の目は、怒りに歪んでいた。そんな彼の脳裏には今、何時ぞやの情景が浮かんでいる。 あれは確か──あのお面を渡してくれた時だった。その時の彼女は、父に手伝ってもらいながら作ったと笑っていたのだ。そう、そうなのだ。 あんなにも美しい面を作れる者が、無能な訳がない。 「優秀で、立派で、お前より遥かに優しい愛情を持った男だ。でなければその琴珠という者に寄り添わないし、あの子があんなにも…、あんなにも嬉しそうに、自慢気な笑顔を見せるわけがない。訂正どころか詫びろ、糞神」 「…良かろう。……良かろう、良かろう。嗚呼、良いとも、良いとも良いとも良いとも。良かろう──!!」 歪められていた禍神の目が、カッと瞠られたその瞬間、ぶわりと黒い霧が辺り一面に分散した。強い風と共に分散したそれは紛れもない、禍神から発せられた瘴気だ。 瞬く間に宇迦之御魂神や灯佳は、禍神の姿は愚か、其々の存在が見えぬという状況に陥ってしまった。 瘴気の濃さで禍神の居場所は特定出来ず、彼女は初めて、たらりと冷汗を流した。 「御祖父様…!!っ、茄狐!瑪狐を連れてこの場から離れおし!」 枯れ果ててはいたが、辛うじて姿を残していた穂を一振りして強制的に狐達を天界へ返した後、それは墨の様に崩れ跡形もなく塵と化して消えた。それを見た彼女は愈々(いよいよ)顔を青褪めさせ、焦りを見せ始める。 (大丈夫、大丈夫。この石に封じさえすれば──) ぎゅっと掌の翡翠の石を握り締めて唇を噛み締めた時、背後に何かの気配が現れた。 「っ!?」 神の身にも血は流れている。その血が、尋常ではない速さでどくどくと体中を逆流しているのを感じていた。心臓を駆け巡る血は凍てついたように冷たく、激しく跳ね上がっている。 何かに雁字搦(がんじがら)めにされたかのように身動きは(おろ)か、目玉すら動かない。 それは全て──いつの間にか首に回されたこの、禍々しき冷たい手のせいだ。 「それを寄越せ」 「ぅ、…御祖父さ、」 「寄越せ」 「ぁぐッ」 ぎりぎりと締め上げられ食い込んだ爪が、首の薄皮を裂いた。ぷつりと血が浮き上がり、白無垢に赤い染みをつける。 首を掴まれた事により落とされた綿帽子は地面へと叩きつけられており、その地面から足が徐々に遠ざかっていく。苦しみに足掻くが、白無垢の裾がばさばさと空を切るだけだ。 このままでは首の傷口から瘴気が入り込み、己の神格まで穢されてしまう。己まで穢れ、堕ちてしまえば禍神は二柱となり由々しき事態になる。 その事に気付き慌てる宇迦之御魂神は、涙が滲み、霞んでいく視界で、この場に唯一残っているだろう存在を必死に探した。 (都合がええ事はわかってはる。そやけど、ほんでも、あの子なら──!) 「ぁ…」 酸素が足りなくなり、手の力が抜けていく。翡翠の石が悲しい音を立てて、ころころと地面へと転がり落ちてしまった。 薄れ、遠退く意識の中、禍神がその石に手を伸ばした気配がした。 (ああ…もう…堪忍や…) 逆らう事の出来ない瞼は閉じられ、視界は閉ざされた。絶望と懺悔の念に押し寄せられた宇賀御魂神は、最悪の未来を想像し、あの少女に向けて口の中で『かんにんや』と呟いた。 「さっさと地面に両手ついて詫びな、糞神」 ころんと石が拾い上げられた音と共に、求めていた声が彼女の鼓膜を震わせた。
/568ページ

最初のコメントを投稿しよう!