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終章 四月 想うは貴方ひとり
「人は三回死ぬんだよ」
それは、水野の持論だった。
白と黒の寂しい世界の中で、唯一嬉しそうに花に囲まれ無邪気に笑う顔を眺めながら、何気無い放課後の雑談を夕暮れの防災無線の音と共にぼんやりと思い出していた。
周りを見渡すと見知った同級生や同い年ぐらいの見知らぬ誰かが暗い顔をして、あるいは泣きながらその笑顔を見ている。笑顔はその悲しみに答える事は無く、それを俺は遠い景色のように眺めていた。
水野の持論をもう一度、心の中で唱える。
人は三回死ぬ。
ここで泣いてる誰かも、俺も、これから始まる新しい日常の記憶に押しつぶされて、いつかアイツの事を忘れていくのだ。忘れられることは、死ぬことだ。俺は、きっとアイツをもう一度殺すのだろう。
なぁ、水野。お前はこれから何度死ぬんだろうな?
問いかけても、白い菊の花に包まれた写真は当然何も返さない。
「生川」
隣でボロボロと涙を流し嗚咽を漏らしているだろう生川を見ずに聞いた。
「五時の、防災無線から聞こえるあれ。曲名なんだっけ」
「へっ?」
何か言いたげな視線を感じたが無視する。ただ前を見つめ続ける俺に何を思ったのか、暫しの沈黙の後に、
「うぅ……ズルっ……たしか……スン……家路……グスッ……だったと思う……けど……ズルっ」
と、泣きながら答えてくれた。それに俺は、
「そっか」
と、気のない返事をした。
どうして? と生川は聞くが、俺はその問いに答えなかった。答えたくなかった。
式場の外では高校の入学式を目前に咲ききった桜が、残りの花びらを散らして、新しい葉を伸ばしている。寒さも和らぎ、すっかり春になった。
俺達は、高校生になる。
この狭い街から出て、新しい世界に行くのだ。だが、その沢山の仲間の中に水野の姿は決して無い。
水野は死んだのだ。その事実だけが目の前にあった。
知らない何処かの高校にひょっこりと紛れていそうだが、もうどこにもアイツが居ないことを、俺は誰よりも知ってる。それが、どうしようもなく悲しい。
水野の持論を思い浮かべながら目を閉じる。すると瞼の裏には教室でいつもの席に座っている水野が居た。俺はその幻の水野に言う。
お前がちゃんと報われたのか、俺は知らねぇから、あれで良かったのか今でも迷ってる。
なぁ、水野。俺はもうどこにも行けない子供じゃなくなって、お前を置いて、遠くに行く。歳取って、恋をして、子供が出来て、老いていく。お前が追いつけない程遠くへ行く。
水野。俺はそうやって、あの日々を遠い、遠い忘却と幻想の彼方に追いやって、夢も見ねぇつまんねぇ大人に成る。
でも、今の俺はまだ、大人に成りきれてねぇんだ。
だからさ、水野。まだお前にさよならを言えないままでもいいだろうか。
ポトリと膝の上に雫がひとつ、静かに落ちた。
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