赤い井戸

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とある村の中に不思議な井戸があった。普通の井戸とは明らかに違うところがある。井戸を型どる石が真っ赤な色をしているのだ。他には特に変わったところなく、普通の井戸と同じで水を汲める。赤井戸と呼ばれるその井戸は村の中でも目立っていた。井戸の水は湧き水でとても新鮮で透き通っている。しかし、その色のせいか赤井戸の水を飲もうとする人はいなかった。綺麗な水なのにどうして飲み水にしないのかと、おばあちゃんに尋ねると、 「あの水は飲んじゃいけない決まりなんだよ。」 と、教えられた。なぜそんな決まりがあるのかはわからなかった。 「・・・赤井戸の事が知りたいなら、池谷のじいさんとこ行けばいい。」 池谷のじいさんとは、村の中でも一番の権力者で金持ちのちょっと意地悪なじいさんだ。おばあちゃんに言われるままに池谷のじいさんのところへと行ってみる。 「赤井戸の話だぁ?お前に言うことなんてねぇ!帰んな!」 いかにも不満げな顔で追い返される。池谷のじいさんは話をしたくないようだ。その様子を見ていたのか、隣の家からおばちゃんが寄ってくる。 「ちょっとあんたぁ。赤井戸の話、聞きに来たの?命知らずだねぇ!」 ここじゃあ、じいさんに聞かれるからと、おばちゃんの家へと案内された。 「あの井戸はねぇ、呪われとるんよ!」 おばちゃんはこの村に二十年前に嫁いで来たらしい。その頃は、井戸はまだ普通の石と同じ色だった。 「綺麗な水が湧いててねぇ。ご飯だって美味しく炊けたし、そこだけはこの村に嫁いで良かったと思ったもんだよ。」 村の住人も今より多く、栄えいた。 「外からもたくさん人が来てたねぇ。色んな話を聞けたもんさ。でもねぇ、ある日恐ろしいことが起きたんよ。」 おばちゃんの声が低くなる。 「池谷の家にね、隣の村から娘が嫁いで来たんだよ。それはもう美人で村の男たちはみんな夢中で見てたもんでね。池谷のじいさんの自慢気な顔と来たら・・・。」 頭にきたのか、ふんっと鼻を鳴らしておばちゃんは続けた。 「その子が、確かお千代って名前だったかね。器量も気立てもよくて、これぞ大和撫子って子だったよ。村のみんなから気に入られてね。でも、姑からは酷く嫌われていたみたいなんよ。」 お千代さんは姑からよく家事にケチをつけられていた。埃が残っているとか、ご飯が固くて食べられないとか理不尽に責め立てられる日々。 「何がむかつくって、あの池谷のじいさんだよ。あいつはお千代さんが苛められてるのを見てみぬ振りをしてたのさ。村の誰もがお千代さんに同情したよ。相手が権力者なんで、誰も口を出せないでいたけど・・・。」 知り合いのいない村の中で、傷ついていたお千代さんは、ある日姑から水を汲んで来るように頼まれた。精神的に追い詰められていたお千代さんが、井戸の中を覗きこむと変わり果てた自分の姿が見える。ーーーなぜ、自分がこんな目に合っているのだろう?悲しみから、お千代さんは井戸へと身投げしようとした。だが、井戸は人が死ねるほどの高さではない。お千代さんは、頭を打ち付けて気を失った。しばらくして目を覚ますと、頭上は真っ暗だ。夜になったのかと思って、あることに気がつく。星が一つも見えない。村は夜になると、満天の星が見える。夜になったわけじゃない。ーーー蓋を閉められたんだ。お千代さんは恐ろしくなった。井戸へ身を投げたのは事実だ。でも、死にたかったわけじゃない。死んでしまいたいなんて思ってない。 「蓋を閉めたのが、誰かはわからなかったんだけどね、あれはきっと姑がやったのよ。なんたって井戸の管理をしていたのは池谷家だったんだもの。鍵なんて掛けられないわ。」 赤井戸には誰かがいたずらしたり、動物が入ったりしないように夕方になると蓋を閉めて鍵を掛ける決まりになっていた。そのせいで、お千代さんは誰にも気づかれずに冷たい水の中で息絶えることになる。助けを呼ぶ力も、這い上がろうとする力もなく、意識が離れていくのを待つ。それがどれだけ恐ろしいことか。 「朝になってお千代さんの死体が発見されたんだけど・・・・水の中にいたせいで酷い有り様でねぇ。あんなに綺麗な人が、って村のみんなが憐れんだんよ。お葬式の時の母親の嘆きようと来たら・・・・。」 生前とまるで違う娘の醜い姿に、母親は狂ったように泣き叫んだ。父親は静かにそれをなだめていたが、その目は怒りに満ちていたという。 「この怨、晴らさでおくべきか。」 帰り際、母親が呟いた。 「怖かったわよ。とっても低い声で・・・。それからしばらくして、井戸に異変が起こったんよ。」 おばちゃんの話では、井戸から水が溢れて来るようになったと言うことだった。 「それもね、ただの水じゃないの。真っ赤な水!井戸から溢れる位出てきてね。井戸の周りが真っ赤に染まっちゃったの。土とかは雨が降ったら流れたんだけど、井戸は雨が当たらないでしょ?誰も井戸へ近づきたがらないもんだからそのまんまなんよ。」 それから、赤井戸は閉じられたままになっているという。鍵は池谷家の人間だけが持っているようだ。話をしてくれたことにお礼を言って、私はおばちゃんの家を後にした。 「かっちゃん、さっき池谷のじいさんを訪ねてきた女の子がいなかった?」 おばちゃんが電話にでると、山下の貴子さんが興奮ぎみに捲し立てた。 「来てたわよぉ。池谷のじいさんにえらい剣幕で、帰れー!って怒鳴られてて!可哀想だから、うちでお茶でもって声かけたんよ。」 「うちのばあ様がね、その子に赤井戸の話が聞きたいなら池谷のじいさんとこ行けって言ったらしいのよ!」 「あらーそうだったの?」 「それで、ちょっとおかしなことがあってねぇ・・・。」 「おかしなこと?」 おばちゃんは首を傾げた。 「・・・その子ね、ばあ様に『あの井戸の水はあんなに綺麗なのにどうして飲み水にしないのか』って聞いたらしいのよ。」 「それはおかしいわね。あの井戸、飲み水どころか、蓋も開けてないのに。」 「それもおかしいけど、もっとおかしいところがあるでしょう?井戸の鍵は池谷家の人間しか持ってないのよ?あの子、今日初めてこの村に来たって言ってたらしいわ。」 貴子さんの声が高くなる。おばちゃんもなんとなく、相手の言いたいことがわかったらしい。額に嫌な汗が滲んだ。 「なんで、井戸の水が今も綺麗だって知ってるのよ。」 二人は同じ人物を思い浮かべただろう。村の外から、若い女性ーーーお千代だ。 「・・・か、考えすぎよね・・・。」 自己暗示しようとするおばちゃんに貴子さんの言葉が追い討ちをかける。 「そうでもないのよぉ。ばあ様が言うには、あの子、千代子って名乗ったらしいの!」
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