たとえ、一人でも。

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 ――俺の両親は夫婦である。  何を当たり前なことを、と思うことなかれ。うちの両親が夫婦になったのはつい最近のことだ。 “冷凍庫のものを適当に食べて お土産は牛タンだよ! 母より”  誰もいないリビングで母の走り書きメモを見つけ、俺は「始まったかぁ」とつぶやいた。  今日から両親は夫婦水入らずで東北旅行、ではなく、東北にある大学で行われている学会へ出かけている。2人とも仕事だ。大学教授で、学会役員でもある父は、各種研究発表や会議に出席し今日から2日は帰ってこない。学術書を扱う出版社社員の母は、会場の一角を借りて書籍を販売したり、執筆者である先生方にあいさつ回りをしているはずだ。大先生の著述集が出たと言っていたし、母もおそらく日帰りではないだろう。  毎年恒例、秋は学会の季節だ。リビングの隅にかけられたカレンダーに目をやれば、毎週のように土日に「学会」の文字が書かれている。来週は福岡まで行くらしい。お土産に明太子をお願いしておこう。あれはうまい。  入籍したよ、と父からひっそりと教えられてから、早1週間が過ぎた。何か生活が変わるわけでもなく、俺から見た両親の関係性にも特に変化はない。最近部活やバイトで家を空けることが多いから、その間に何か変化が起こっているのかもしれないけど――少なくとも、俺には微塵も感じられない。  もっと、「気持ち悪い」とか「気まずい」とか、思うのかなと考えていたけど、自分でも意外なほど思わなかった。もちろん、両親が何も変わらずにいることが大きいが、例えば目の前で父が母にプロポーズしたとしても、俺は普通に父を応援していたと思う。2人が目の前でキスやハグをしても――そりゃあんまり激しいのは嫌だけど――笑顔で拍手をする自信がある。  上手く説明できないけど、多分、二十歳の誕生日の日以来、俺は両親を一個人として見るようになったんじゃないか、いや、わからんけど、多分、そうなんだと思う。  二十歳になった日の夜、父は自分が俺の実の父親ではないと告げた。正直な話、結構前からそうだと思っていた。自分から確かめに行けなかったのは、やっぱり少し怖かったからだ。もし自分の考えが間違っていた時、どれだけ父を傷つけるのか。そして、もし間違っていなかったら、俺は自分と血をわけた実の父親を、捜したくなってしまうんじゃないか、なんて。  ブーン、ブーン。  尻ポケットに入れた携帯が震え、俺はその場で飛び上がった。電話だ。  慌てて取り出すと、画面には「一静@父さん」の表示が出ている。 「もしもし」 『彰人、よかった出てくれて。今大丈夫か』 「うん」  父の声の向こうから「ガラガラガラガラ」と荷物を引く音と、アナウンスが聞こえてくる。どうやら空港にいるようだ。 『今家か? ちょっとメモを取って欲しいんだが』 「メモ? ちょっと待って」  俺は家の電話に駆け寄り、その傍に置いてあるメモパッドに父の言葉を書きとった。    父が俺にメモを取らせたのは、ここから数駅離れた病院の住所と部屋番号。 『今すぐその病室に行って欲しいんだ。俺の先生がいる。名前はキヅカワトシオ。もし病室に入る前に誰かに止められたら、佐藤一静の代理だと言えばいい』 「え、行くって俺が? 今から?」  それはちょっとおかしくないか。  突っ込む間も与えず、父は早口に続ける。 『何か予定があったか? 悪いが全部キャンセルしてくれ、後で何とでもしてやるから。俺が病院に着くまでの間そこにいて欲しい』 「いや、別に予定なんてないけど……」 『じゃあ、すぐ行ってくれ。俺たちもすぐ向かうから。二時間もすれば着けるはずだ』 「二時間って、いや、行くのはいいけど」  でも俺、その人知らないし。  そう言いかけたのを、珍しく焦った様子の父が遮った。 『あの人を一人で逝かせたくないんだ。頼む』  ――逝かせたくない。  思わず息を飲むと、「替わって」と母の声が聞こえた。 『もしもし、彰人? 母さんだけど』  スーツケースを引く「ガラガラ」という音に、「カツカツ」というヒールの音が混じる。母も早足で歩いているのだ。 『もしもし、聞こえる? 彰人?』 「あ、うん、聞いてる」 『ごめんね、急に。木津川先生の病室、個室でちょっと見えにくい所にあるのよ。廊下の奥の方なの。同じ階にナースステーションがあるから、迷いそうになったら聞きなさい。焦らなくていいから。わかった?』 「わ、わかった」 『駅でタクシー拾いなさいね。お金なかったら母さんの部屋のタンスの一番上開けなさい。これから飛行機乗ったら、しばらく電話繋がらないからね。頼んだわよ』 「いやいやいやちょっと待ってよ、行くのは分かったけど、行ってどうしたらいい? 着いたらとりあえず連絡したらいいわけ?」 『いや、連絡しなくてもいいわ。そこにいて』  電話の向こうから、父の「チケット取ってくる」という声が聞こえた。革靴の音が遠ざかっていく。  途端、母がぐっと声を潜め、さらに早口になった。 『悪いけど、説明は後よ。とにかく急いで。何があってもなくても、私達が行くまで絶対に先生のそばから離れないでね』 「あってもなくても?」 『そうよ。もし話が出来たら、何でもいいから話をして。あんたのこと、たくさん聞かせて』 「俺のこと、って……」 『とにかくにそこにいるのよ。母さん達もすぐ行くから。じゃ、切るね』 「え? ま、」  待った、という前に電話は切れた。   「嵐かよ……」  訴えても、誰が返事をするでもない。 「タチカワイチリツ病院、病棟Aの201号室……」  数秒の後、俺は二階の自室に駆け上がった。
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